平成29年度~校長室

2019年2月の記事一覧

バレンタインデー

 明日はバレンタインデーです。バレンタインデーは、英語で「Saint Valentine’s Day」、訳せば「聖バレンタインの日」という意味です。つまり、バレンタインというのは人の名前です。どんな人だったかというと・・・。西暦3世紀ころのローマ帝国では、皇帝クラウディウス二世が若者たちがなかなか戦争に出たがらないので、手を焼いていました。その理由を彼らが自分の家族や愛する者たちを去りたくないからだと確信するようになった皇帝は、ついに結婚を禁止してしまったのです。ところが、インテラムナ(イタリア中部にある町で、現在のテルニ)のキリスト教司祭であるバレンティヌス、英語読みではバレンタインは、かわいそうな兵士たちを見かねて、内緒で結婚をさせていました。それが皇帝の知るところとなったから大変です。しかも、当時のローマ帝国ではキリスト教が迫害されていました。皇帝は、バレンティヌスに罪を認めさせてローマの宗教に改宗させようとしましたが、バレンティヌスはそれを拒否しました。そこで投獄され、ついには269年2月14日に処刑されてしまったということです。このためキリスト教徒にとってこの日は祭日となり、恋人たちの日となったというのが一般論です。
 では、なぜこの日にチョコレートをあげるようになったのでしょう? 実は、女性が男性にチョコレートを贈るのは日本独自の習慣です。欧米では恋人や友達、家族などがお互いにカードや花束、お菓子などを贈ります。 チョコレートはどこから出てきたかというと、1958年に東京都内のデパートで開かれたバレンタイン・セールでチョコレート業者が行ったキャンペーンが始まりだそうです。そして、今ではチョコレートといえばバレンタイン・デーの象徴のようになってしまいました。クリスマスもそうですが、キリスト教になじみの薄い日本では、本来の意味が忘れられてセールスに利用されがちのようですね。自分の命を犠牲にしてまで神の愛を伝え、実践したバレンティヌス・・・。今年のバレンタイン・デーは、そんな彼のことを思い出してください。

 
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虎落笛(もがりぶえ)

 冬の夜、車や人の声など人為的な音が鎮まってくると、風が木立を揺らしたり、サッシを鳴らしたりする音が自然、耳に響くようになります。 そして、時にはそんな音に雑じって甲高い音が耳に届きます。轟々と鳴る風のなか、ぴゅうぴゅうと、ぴぃぃと、時には長く短く、高く低く耳につく音、それが虎落笛(もがりぶえ)です。虎落は冬の季語。虎落とは竹を組んだ柵のことを指します。また、もがるとは駄々をこねる、逆らうなどの意味もあり、風に対して柵や垣根、木の枝などが抗っているように聞こえることから、この名で呼ばれるようになったとか。冬の厳しい寒さを感じさせる音色です。

 
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高校生インストラクター講座

 本日10時より、本校で高校生インストラクター講座をおこないました。この講座は羽生市が主催し、本校の生徒が講師として対応します。今日は「手作りハーバリウム教室」をおこないました。ハーバリウムとは植物標本のことを指し、色とりどりのドライフラワーなどが澄んだオイルで瓶詰めされたインテリア雑貨として人気があります。本日は20名を超える近隣の方々にお越しいただき、手作りのハーバリウムを作っていただきました。ドライフラワーの瓶詰めは初めての方が多く苦戦していましたが、生徒が丁寧に対応し、オリジナルのハーバリウムを作ることが出来ました。本校の活動を理解していただく一助とすることが出来ました。

 
インストラクター講座を始めます     今日つくるのはこれ!
 
   材料を配布します         ここはこうやって・・・
 
  教え方も慣れてきました    オリジナルのハーバリウム、完成!
 
  今日はありがとうございました      みんなで記念写真
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持久走大会

 本日、持久走大会をおこないました。朝から冷たい北風の吹く寒い日となりましたが、生徒たちは元気よく登校後健康観察をおこない、体育館に集合して点呼、諸注意、準備運動。その後順次スタートの葛西親水公園に移動し、10時30分より男子が8km走、10時45分より女子が7km走にチャレンジしました。持久走を見ていると、足の速い生徒が目につきますが、友だちと声を掛け合いながら励まし合って走る生徒、自分のペースで完走を目指す生徒、ゴールした後も仲間を応援し、ゴール前で苦しそうな生徒には走り寄って声をかけ共に走る生徒など、ふだん見られない面を見ることができ、生徒の思いやりや成長を感じました。多くの生徒ががんばってゴールしました。ゴール後倒れこむ者もいましたが、保護者から飲み物や食べ物をいただき、笑顔を見せてくれました。今日は帰宅したらしっかりと体の手入れをし、十分な食事と睡眠をとって、来週元気な笑顔を見せてくれればと思います。

 
  体育館で連絡・諸注意       スタート地点。さ、寒い!
 
    男子のスタート          女子のスタート
 
    押さないでね!       今のうちにゴールの準備を 
 
  男子の1位、1年山口君      次々とゴ~~~ル!
 
    完走しました!       女子の1位、2年の原口さん
 
   先生もAEDを抱え快走!      閉会式。全体1位は1年5組
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針供養

 日暮れが12月の当時の頃に比べ長くなってきました。陽が伸びて、春の到来が予感されます。さて、立春後の農作業などの仕事を始める2月8日は「事始め」、逆に農作業などの仕事を終えて正月の準備を始める12月8日は「事納め」となります。かつては両日ともに仕事を休んで家で静かに過ごす日とされていました。針仕事を控え、これまで使ってきた針に感謝をささげて供養する「針供養」も事始め、あるいは事納めの日におこなわれる儀式です。曲がったり、折れたり、さびたりして使えなくなった古い針を、豆腐やこんにゃく、もち、大根など柔らかいものに刺すことで、労をねぎらい、神社に納めたり、川や海に流したりする風習です。針仕事をする人が少なくなった現在でも、服飾業界の学校や企業の間では針供養が行われています。かつて寺社に用意された大きな豆腐に医師が注射針を、音楽業界関係者がレコード針を刺しに来ることも見られましたが、医療廃棄物の処理規制が厳しくなり、レコード産業が衰退した後は見られなくなりました。時の移り変わりを感じさせます。

  
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初午(はつうま)

 2月最初の午(うま)の日を初午(はつうま)と呼びます。本来は、農作業が始まる旧暦の2月に行われていました。711年(和銅4年・奈良時代)のこの日に、稲荷社の本社である京都の伏見稲荷大社に稲荷大神が鎮座されたといわれています。この日をしのび、伏見稲荷大社をはじめ、愛知の豊川稲荷や佐賀の祐徳稲荷神社など、全国の稲荷神社で盛大にお祭り(初午大祭)が行われます。また、立春を迎える2月の最初の午の日は、一年のうちで最も運気の高まる日とされています。「午(うま)」は方位の南を示し、時間は正午を表わします。この時間は太陽が最も高く上がり、一日のうちで陽光の力が最も強まる時といわれています。稲荷大神のお使いとされているのがきつねです。初午の日には、その好物といわれている油揚げやお団子などをお供えします。餅まきが行われる地域もあります。

  
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御神渡り(おみわたり)

 寒い日が続きますが、風邪をひいたりしていませんか? 今日は冬の風物を紹介します。冬、全面結氷した湖の表面が割れ、その裂け目に沿って氷が盛り上がる現象があります。急激な温度の変化により氷が膨張して長い帯状に隆起し、湖に突如できた一本の道筋は神秘的で、「神の渡り道」とされました。長野県の諏訪湖の「御神渡り」が特に有名で、近くの諏訪大社と八剱神社により1443年からほぼ毎年記録されていますが、ここ数年は見られず、昨年2月1日に5年ぶりに確認されたそうです。

 
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吹奏楽部ミニコンサート

 2月2日(土)、吹奏楽部が館林市のアゼリアモールで昨年に続きミニコンサートをおこないました。吹奏楽部は現在8名で活動しています。この日は11時30分、13時30分、15時30分の3回演奏会をおこない、13時30分の演奏会には多くの方がお見えになっていました。この日の演奏はアンコールを含めて全8曲で、初めは緊張もあり、トークにぎこちなさもありましたが、次第に雰囲気に慣れ、ふだんの練習の成果を十分に発揮する演奏をすることができました。
 このような成功体験をさらに積み重ね、多くの人々を魅了する活動を続けてもらえればと思いました。

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立春

 立春は2月4日頃および雨水までの期間を指します。旧暦ではこの日がが1年の始めとされていたため、決まり事や季節の節目はこの日が起点になっています。八十八夜、二百十日、二百二十日も立春から数えます。冬至と春分の真ん中で、まだまだ寒いですが、暦の上では旧冬と新春の境い目にあたり、この日から春になります。梅の花が咲き始め、徐々に暖かくなり、春の始まりとなります。立春の早朝、禅寺では、入口に「立春大吉」と書いた紙札を貼る習慣があります。厄除けとして、家の鬼門にこの紙札を貼るご家庭もあります。「寒中見舞い」は立春の前日までに出してください。以降は「余寒見舞い」(2月下旬頃まで)になります。

 
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毘沙門堂節分会でボランティア

    昨日2月3日は節分で各地で豆まきなどの行事がさかんにおこなわれました。羽生市でも学校の近くの毘沙門堂で節分会がおこなわれ、本校の生徒たちもボランティアで参加しました。朝から暖かく穏やかな日で、日向にいると汗ばむくらい陽気で、生徒たちは裏方や案内など汗をかきながら頑張っていたと思います(人が多くてどこでどのような役割をしていたかよくわかりませんでした)。

 
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