平成29年度~校長室

2019年1月の記事一覧

授業紹介

 6時間目、1年3組の生物基礎の授業は「ウニの受精」の実験。担当の三上先生が千葉県の房総の海で採ってきたウニの受精を、実際に理科の器具を使い、顕微鏡でそのようすを観察しながら、内容をプリントにスケッチしたり、まとめたりしました。

 
 
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フランス、大変革の日

 タイトルから「一体何のこと?」と思う人が多いと思いますが、これには多分に私の主観が入っていますので、「こう考える人もいるのね。」くらいにとらえていただけるとありがたいと思います。今から226年前の1月21日のフランスのパリで、国王だったルイ16世が多くの公衆の前でギロチンで処刑されました。フランスは古くから国王の権力が強く、国王の命令のもと、近代以降はヨーロッパの強国として近隣の国々と争ったり、海外にも積極的に進出して強勢を誇っていました。しかし、18世紀以降はその積極戦略がうまくいかず、国家財政が厳しい状況が続いていきました。このフランスを根底から支えていたのは、農民や商人などの第3身分でしたが、彼らは搾取の対象で、その上に立つ聖職者や貴族は税金も払わず、退廃的で贅沢な暮らしを送っていました。これに不満を募らせた第三身分の人々がパリのバスティーユ牢獄を襲撃してフランス革命が始まりました。国王ルイ16世はこの事態収拾をうまくできず、国家逃亡を図るなど多くの人々の信頼を失い、彼らの怒りを増幅させて、議会の決定で処刑となりました。でも、王が庶民に公開処刑にされるなどふつうは考えられません。各国の皇帝や王はぞっとしたと思います。その後、フランスではナポレオンが皇帝となったりと皇帝政治、王政治が復活したこともありましたが、現在のフランスは民主主義の国家として、EUの中心として、世界をリードする立場にあります。現在も国王がいる国もまだありますが、人々の声が政治に反映される国が多くあります。その意味では、ルイ16世の処刑・体制変更は当時のヨーロッパ社会に大きな衝撃を与え、民主主義社会への道を開いたと言えると思います。現在のフランスも社会の混乱が大きく、近く大きな変革が起こるかもしれません・・・。

 
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大寒(だいかん)

 明後日1月20日は今年の大寒です。また、2月上旬の立春までの期間のことを呼びます。大寒は冬の季節の最後の節気で、寒さがさらに厳しくなり、1年中で最も寒い時季です。小寒から立春までの30日間を寒の内といい、大寒はそのまん中に当たります。この時期には、寒稽古など耐寒のためのいろいろな行事が行われます。また「寒仕込み」といって、寒気を利用した食べ物(凍り豆腐、寒天、酒、味噌など)を仕込むのに最もよい時期とされています。寒の水とは寒の内の間に汲んだ水のことで、この時期の水は雑菌が少なく体にも良いとされてきました。また、長期保存に向いているとされ、「寒の水」で作られた味噌、醤油、酒は腐らないといわれています。中でも、寒の入りから9日目に汲んだ寒九の水は、薬にもなるといわれるほど良質とされ、酒造りにおいて最高の酒ができるといわれています。良質のものができるのはうれしいですが、寒さが大好きな人は少ないですよね?

 
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阪神淡路大震災の記憶

 高校生のみなさんも聞いたことがあると思いますが、24年前のこの日、近畿地方はマグニチュード7.3の大地震に襲われ、特に神戸の街が壊滅的な打撃を受けました。この地震は阪神淡路大震災と呼ばれ、道路・鉄道・電気・水道・ガス・電話などの生活ライフラインは寸断され、広範囲において全く機能しなくなりました。これ以降、都市型災害及び地震対策を語る上で、「ライフライン」の早期の復旧、「活断層」などへの配慮、建築工法上の留意点、「仮設住宅」「罹災認定」等の行政の対策などが注目されるようになりました。死者6434名、行方不明者2名、負傷者43792名と、多くの人々が打撃を受けました。避難人数はピーク時で316678人、住家被害は約90万棟、火災被害はやく14600件、その他道路の破損7200か所以上、橋梁の破損330箇所、河川の破損774箇所、崖崩れ347箇所となり、被害総額約10兆円規模と未曾有の規模の災害でした。この被害に対応するため、全国からさまざまな形の「救援・支援」が寄せられました。救援物資・義援金・ボランティア活動のほか、インフラの復興には他府県の電力会社・ガス会社などの多くの職員が復興応援のために現地入りし、対応しました。8年前の東日本大震災の時、この時の経験が生きたこともあったかと思います。災害は起こってほしくありませんが、いつ何が起こるのかわからないのも事実です。さまざまな場面に対応できるよう、ふだんから準備、対応の検討はしておきましょう!

 
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藪入り(やぶいり)

 江戸時代に、商家などに住み込みで働いていた丁稚(でっち)や女中などの奉公人、嫁いできた新婚のお嫁さんが、休みをもらって実家に帰省することを「藪入り」と呼びました。1月15日の小正月が終わった翌日の1月16日と、7月15日のお盆を終えた翌日の7月16日が藪入りの日でした。奉公先あるいは嫁入り先で正月と盆という重要な行事を済ませ、そのうえで実家の行事にも参加できるようにとの配慮が生んだ習慣とされています。現在のような定休日がお店にない時代、藪入りは奉公人にとっては貴重な休日で、主人はお小遣いや着物などを持たせて、親元に送り出したそうです。第二次世界大戦が終わり、労働基準法が整備され、日曜日などを定休日とする店が増えたことで、藪入りの習慣は過去のものとなりました。但し、正月と盆の帰省という形式で藪入りの伝統は、現在にも継承されています。

 
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小正月

 旧暦の1月15日は立春後の望月(もちづき。満月のこと。)にあたり、その昔この日を正月としていました。元服(現在の成人式)が行われていたのもこの日です。やがて太陽暦になると、元日を「大正月」、1月15日を「小正月」と呼ぶようになりました。大正月が年神様を迎える行事なのに対し、小正月は豊作祈願や家庭的な行事が多いのが特徴です。また、大正月を男正月、小正月を女正月ともいい、松の内に多忙をきわめた女性をねぎらう休息日でもありました。小正月には餅花を飾り、豊作を祈ります。餅花とは紅白の餅で、これを柳などの木に飾りつけ、農耕神の予祝の花とされている桜の花や、実った稲穂に見立てます。地方によっては餅ではなく繭を使い、繭玉と呼びます。餅花は小正月の正月飾りでもあります。また、小正月には小豆粥を食べ、無病息災を祈ります。小豆のように赤い色の食べものは邪気を払うと考えられています。祝い事の席には、小豆を使った赤飯などがつきものですね。

 
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成人について

 14日(月)は成人の日です。現在は男女を問わず、20歳になると公に「成人」として扱われます。そして、晴れて成人となった若者が大人としての重い責任を新たに自覚し、同時に彼らを祝い、励ますのが「成人式」です。成人を20歳以上としたのは、1898年(明治29年)の民法制定時に徴兵制度や課税の基準年齢が満20歳だったことにあわせたものと言われています。成人の日が1月15日と制定されたのは1948年(昭和23年)のことで、戦後の混乱の昭和21年、埼玉県蕨市で日本の将来を担う若者を激励するために開催された「青年祭」がきっかけとなりました。そのなかの行事「成年式」が全国各地で成人式として広まり、そのうねりを受けて国が「国民の祝日に関する法律」に成人の日を盛り込んだのです。1月15日が成人の日となったのは、昔は正月に大人として認められる「元服」の儀式をおこなったから、小正月や関東以外の松の内の終わりが1月15日であるからなど、諸説あります。ちなみに、成人の日はハッピーマンデー法により2000年(平成12年)以降は1月の第2月曜日となりました。日本では、明治29年の民法制定まで成人を20歳以上とする考えはなく、男子は平安時代以降10~16歳、女子は12~13歳が成人としてとらえられ、下していた髪を結い上げる「髪上」という儀式をおこなっていました。また、一定の年齢に達したら成人という考え方ではなく、1日に何キロの芝を刈れるなどの行為ができるようになれば成人として認める考え方もありました。
 ところで、昨年6月13日に成人年齢を現行の20歳から18歳に引き下げるとともに、女性が結婚できる年齢を16歳以上から男性と同じ18歳以上にする改正民法が可決、成立しました。施行は2022年4月1日からとなります。つまり、今の高校1年生は今までと同じように20歳で成人となりますが、1学年下の中3、中2の生徒は2022年に成人となり、3学年が一挙に成人となる現象が生まれます。成人式の在り方ややり方や、未成年者のため契約の際に親の同意が必要だったことがなくなるなど、大きな変化が起こります。これから社会全体で考え、対応していかなければならない課題です。

  
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鏡開き

 お正月の間、年神様の居場所になっているのが鏡餅。そのため、年神様がいらっしゃる松の内の間は飾っておき、松の内が過ぎたら下げて食べ、年神様をお送りします。年神様の依り代(よりしろ)である鏡餅には年神様の魂が宿っているとされるため、鏡餅を食べることでその力を授けてもらい、1年の家族の無病息災を願います。
つまり、鏡餅は供えて、開いて、食べてこそ意味があるのです。松の内を1月7日までとする地方では11日に、関西など松の内を15日とする地方では15日に鏡開きを行う場合が多いようです。昔は「二十日正月」といって20日に鏡開きを行っていましたが、徳川幕府三代将軍・徳川家光が慶安4年4月20日に亡くなったため、月命日の20日を避けて11日になったといわれています。鏡開きはもともと武家から始まった行事で、鏡餅に刃物を使うことは切腹を連想させるので禁物でした。そこで、手か木槌などで割ることになりましたが、「割る」という表現も縁起が悪いので、末広がりを意味する「開く」を使って「鏡開き」というようになりました。鏡開きで年神様を見送り、お正月に一区切りつけるということは、その年の仕事始めをするという意味がありました。剣道などの武道で、新年の道場開きに鏡開きとしてお汁粉をふるまったりするのは、その名残りです。また、祝い事の時に振舞われる樽酒のふたを割ることも鏡開きといいますが、これは酒樽のふたのことを「鏡」と呼んでいたから。米からできる日本酒は神聖なものとされ、神事を営む際に神様に供えられ、祈願が済むと参列者で酒を酌み交わして祈願の成就を願う風習がありますので、やはり縁起の良い「開く」という表現を使っています。鏡餅の鏡開きも、樽酒の鏡開きも、新たな出発に際して健康や幸福などを祈願し、その成就を願うということは同じなのです。

   
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雑煮

 雑煮は、年神様にお供えした餅のご利益を頂戴するために、年神様の魂が宿った餅を野菜や鶏肉、魚介などといっしょに煮込んで作る、お正月には欠かせない料理です。地方色も豊かで、また、家庭ごとに我が家の味があるのも特徴です。雑煮は元々は正月だけのものではなく、室町時代に武家社会の儀礼的な宴で、本膳料理の前菜として出されたのが始まりです。あわびや里芋、山芋、大豆など健康によいもの7種を入れた煮物で、お酒を飲む前に食べて臓腑を保護・保養する意味があり、「保臓(ほうぞう)」と呼ばれ、「宝雑」「烹雑」と書くこともありました。江戸時代にお餅を入れて雑多なものを煮込む「雑煮」となり、各地にいろいろな雑煮が生まれました。また、雑煮を煮るときは、「若水」を使うのが本来の習わしです。「若水」とは元旦に初めて汲む水のことで、「初水」「福水」ともいい、これを飲むと1年の邪気が祓えるといわれています。昔は井戸や湧水を汲みに行きましたが、今は元旦に水道で汲めばいいのですから、手軽に実践できますね。「若水」は、ぜひ家長が汲んでください。雑煮は地方によっても様々で、材料も作り方も違います。京都中心の関西では、白みそ仕立てで、丸餅を焼かないで煮る、まったりした甘い味わいが特徴です。京都文化の影響の強いところは、白みそ仕立てに丸餅が基本。丸餅なのは、鏡餅を模しているからです。日本海側や山間部が赤みそなのは土地の食文化が融合した例でしょう。一方、関東や中国・九州地方では、しょうゆ仕立てのすまし汁が多く、角餅(切り餅、のし餅)を焼いて入れ、すっきりした味わいが特徴です。江戸文化の影響の強いところは、すまし汁に焼いた角餅が基本。そこへその土地ならではの具材が入ります。みそを使わないのは、武家社会では「味噌をつける」がしくじるという意味で縁起が悪いから。角餅なのは、丸める手間がかからず合理的で、焼いて膨らみ角が丸くなると解釈します。関西風・関東風は、関西地方・関東地方という単純なものではなく、その土地の礎を築いた人が京都文化・江戸文化どちらの影響を受けているかが反映されています。全国的にすまし汁が多いのは、参勤交代で地方に江戸文化が伝わったためです。海辺の町では魚が入り、山里では地元の野菜が入ります。香川などで小豆のあんころ餅を入れるのは、せめて正月には稀少な砂糖を食べたいという思いの表れです。地域性ばかりでなく、家によっても雑煮は違います。それは、祖先や親の出身地、結婚した相手の出身地、好みなどが融合して我が家の雑煮になっているからです。あらためて、我が家の雑煮を見直してみるのも面白いかもしれませんね。

   
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だるま

 赤くて丸い身体に、黒々とした眉とひげ。転んでもすぐに起き上がる「七転び八起き」のだるまは、商売繁盛や運が向く縁起物です。神社やお寺の縁日などで売られますが、特に歳末から3月ごろまで、全国各地でだるま市が開かれています。だるまのルーツは、室町時代に作られていた起き上がり玩具ですが、江戸時代に達磨大師の姿を模して作られたところから、「だるま」と呼ばれるようになりました。達磨大師とは実在の人物で、中国の嵩山(すうざん)少林寺で、9年も壁に向かって座禅をして悟りを開き、禅宗の始祖となったという高僧です。群馬県高崎市の少林山達磨寺が、このだるま発祥の地として有名です。昔、碓氷川の大洪水で流れてきた巨木で、一了(いちりょう)という行者が達磨大師の姿を彫ってお堂に安置したのが達磨寺の起こりです。江戸時代、天明の飢饉の時に、少林山の九代目・東嶽(とうがく)和尚が、農家の副業として達磨大師の絵を手本に張り子のだるまを作らせ、七草大祭で売らせたところ、商売繁盛、家内安全のご利益があるとして、たいそう評判になりました。
毎年1月6日・7日に「少林山七草大祭だるま市」、通称「高崎だるま市」が開催されています。高崎だるまの顔は、眉は鶴、ひげは亀を表しているそうで、縁起の良い顔の福入りだるまを買い求める多くの人で賑わいます。だるまは、売られている時は両方の目が白いままのものがほとんどです。だるまに「願」をかける際に片方の目に黒目を入れ、願いがかなった時にもう片方の目を入れますが、これは、昔、養蚕農家で行われていた風習からきているといわれます。群馬県は養蚕が盛んな土地です。蚕は年に3回繭を作りますが、養蚕農家では、春の繭が良ければだるまに片目を入れ、秋の繭も良いと、もう一方の目も入れる習慣があり、それが一般に広まったといわれています。また、目を入れることは「目(芽)が出る」に通じてめでたい意味もあるそうです。

         
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