校長室日誌

2017年7月の記事一覧

ほおずき

 ほおずき(鬼灯) はナス科の多年草で、本では平安時代から薬として利用されてきました。東南アジアが原産とされていますが、その自生地ははっきりしていません。淡い黄色の花を6月から7月ころ咲かせます。この開花時期にあわせて、日本各地で「ほおずき市」が開催されます。日本の仏教の習俗であるお盆では、ガクに包まれたほおずきの果実を死者の霊を導く提灯に見立て、枝付きで精霊棚(盆棚)に飾ります。古くは薬草として利用され、子供の夜泣きやひきつけ、大人のお腹や胸の痛みを和らげる効能があるとされていました。中国では、根が「酸漿(サンショウ)」という生薬名で知られ、漢方医学では咳止めや解熱、利尿の薬として熱や黄疸の時に用いられます。また、ヨーロッパを中心にフルーツとして食べられている「食用ほおずき」は、イノシトールというビタミンBの1種を豊富に含み、体内に脂肪を溜め込まないようにする働きがあるとされています。コレステロールの低下や動脈硬化、ガンの予防に効果があります。
毎年7月9日、7月10日に東京都台東区浅草の浅草寺でほおずき市が催されています。約200年前の明和年間に始まったと言われています。ほおずき市といえば浅草寺、と言われるほど有名なほおずき市。7月10日に参拝すると、なんと四万六千日も毎日お参りしたのと同じだけのご利益があると言われています。ほおずき市としては全国でも最大規模で、毎年全国からも多くの人たちが訪れて、大変な賑わいになります。境内にはたくさんのほおずきを売る店、そして風鈴の涼やかな音色が響き、いかにも浅草といった江戸の下町の風情を感じることが出来ます。
 
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関東高P連神奈川大会

 
 7月7日(金)、8日(土)、神奈川県横浜市のパシフィコ横浜で開催された関東高等学校PTA連合会大会神奈川大会に参加しました。7日は神奈川県の高校生によるアトラクションで始まり、高校生の演奏や演技で盛り上がりました。その後、全体会で今年度の大会宣言の採択、記念講演としてフリーアナウンサーの羽鳥慎一さんによる「聞くちから、話すちから」のがあり、高校生活の大切さや話すには相手の話を聞くちからが大切との話がありました。
 
 8日(土)は分科会「生徒指導とPTA」に参加し、今年創立100周年を迎える山梨県立甲府工業高校の取組、「自分で自分のの身を守る」DIG体験にPTAとして取り組んでいる神奈川県立二宮高校の話を伺いました。本校も2年後に百周年を控えており、貴重なお話を伺うことができ、大変参考になりました。

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高校野球埼玉県大会1回戦報告

 7月9日(日)、熊谷運動公園野球場で夏の高校野球埼玉県大会の1回戦があり、本校はお隣の羽生第一高校と対戦しました。朝から夏の日差しが照りつけるなか、1・2回は無失点で押えましたが、3回に満塁のピンチからヒットを打たれ、ミスも絡まって4失点! 4回・5回も相手に大量得点を奪われて24-0で5回コールド負けとなりました。大敗はしましたが、しっかり守れれば1・2回のように互角の試合ができ、ちょっとしたミスから大量失点の教訓は改めて身に染みたと思います。ミスがあることはこれななくせば互角の試合となる証し。このことをしっかりと理解し、今後へつなげていければ勝利や成功に結びつくと信じて、がんばっていきましょう!
 選手の皆さん、応援の保護者・生徒の皆さん、暑い中お疲れ様でした。
 
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七夕

 明日は七夕です。七夕といえば織姫と彦星の話が有名です。中国の伝説ですが、昔、天の川の西岸に織姫という姫君が住んでいました。織姫は機織りの名手で、美しい布を織り上げては父親である天帝を大変喜ばせておりました。そんな娘の結婚相手を探していた天帝は、東岸に住む働き者の牛使い彦星を引き合わせ、二人はめでたく夫婦になりましたが、結婚してからというもの、二人は仕事もせずに仲睦まじくするばかり。これに怒った天帝が、天の川を隔てて二人を離れ離れにしてしまいました。 しかし、悲しみに明け暮れる二人を不憫に思った天帝は、七夕の夜に限って二人が再会することを許しました。こうして二人は、天帝の命を受けたカササギの翼にのって天の川を渡り、年に一度の逢瀬をするようになったとのことです。
 
 一方、日本では、古来お盆に祖先の霊を迎える前の旧暦の7月7日、祓(はらえ)の行事がおこなわれていました。「棚機津女(たなばたつめ)」という衣を織る女性が神様に仕え、川などの清い水辺の機屋(はたや)に一晩こもって「棚機」という織り機で神様の衣装を織り、それを神棚に供えて、村人たちの穢れを払っていました。この2つが結びつき、7月7日の七夕の習慣が生まれました。七夕の習慣は江戸時代には庶民に広まりましたが、明治時代になると暦が太陽暦(新暦)になり、旧暦の7月7日が新暦では8月上旬となって1か月遅れるようになり、廃れていくようになりました。これに対して、昭和2年に大正時代から続く不景気を吹き飛ばそうと、仙台の商店街の有志たちが、伊達正宗も推奨したといわれる絢爛豪華な七夕飾りで名高い「仙台七夕まつり」を復活させ、これをきっかけに七夕まつりが夏の風物詩として日本各地で開催されるようになり、往年の輝きを取り戻しました。埼玉県では深谷市の七夕まつりが有名です。
 
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梅干し

 商店の店先で収穫された梅の実が広げられていました。梅の実の収穫期はほぼ終わったようです。梅は「花よし、香りよし、果実よし」と三拍子揃った花木。早春にいち早く花開き、馥郁(ふくいく)とした香りを放ち、昔から人々に愛でられてきました。そして、梅の実も様々に加工され、盛んに利用されてきました。「梅干し」はその代表的な利用といえます。
 
 梅は中国が原産といわれています。中国の古書「斉民要術」には「鳥梅(うばい=中国語ではウメイ)」、「白梅(=梅干し)」、「蜜梅(=蜜漬けの梅)」などの梅の実の加工法が記されており、日本には奈良時代の遣唐使により、漢方薬として「烏梅」が伝来しました。「鳥梅」は、未熟な梅の実を燻製にしたもので、色は真っ黒。鎮痛、解毒、健胃、整腸などの薬として重宝されました。梅の語源は、この「鳥梅」から「ウメ」と呼ばれるようになったという説の他、「熟む実」から「ウメ」となったなど諸説あるようです。日本に現存する最古の医学書である平安中期の「医心方」で、「梅干し」の効用が取り上げられています。鎌倉時代以降、実の多くは梅干しとして食用にされ、戦国時代は薬効のある携帯食としても重宝したようです。江戸時代には庶民の食卓にも登場するようになり、大晦日や正月、節分には、梅干しにお茶を注いだ「福茶」として、正月には当時のおせち料理である「喰積(くいつみ)」にも祝儀ものとして用いられました。
 昔から「梅は三毒を断ち、その日の難を逃れる」といい、朝夕に梅干しを1個食べれば健康を保てるといわれてきました。「梅干し」と聞いただけで口の中に唾液が溜まってきますね。梅干しは唾液の分泌を促し、食欲を増進させてくれます。梅の酸っぱさの素は豊富に含まれるクエン酸。このクエン酸には疲労回復やカルシウムの吸収を助ける働きもあります。また、おにぎりやお弁当に、抗菌作用のある梅干しを入れると傷みにくくなります。さらに、梅干しを加熱すると「ムメフラール」という成分が発生し、これが血液をサラサラにして、からだを活性化するといわれています。この他、新たな研究結果として、胃潰瘍の原因の1つであるピロリ菌を抑制する成分や、血糖値の上昇を抑える成分が含まれていることもわかってきたそうです。
 いろいろと効能のある梅干しですが、口に入れるとどうしても口をすぼめてしまいます。
 
※ 上はウメの実と梅干し、下は学校で採れたモロヘイヤのお浸し、ウエイトリフティング部は今年もインターハイ出場を決めました(報告が遅くなり申し訳ありません)。
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