2019年12月の記事一覧
初日の出は、闇夜の中から上ってくる
現在ではお正月は冬の真っ最中。1年で最も寒い季節ですが、旧暦のお正月は、現在の暦でいえば1月下旬から2月上旬。したがって、日が長くなってきたのを実感できる、寒さのなかにも春の気配が感じられる時期でした。清少納言の『枕草子』の第三段には「正月一日は、まいて空の気色うらうらとめづらしう霞みこめたるに……」と、お正月には日差しが明るくなり、空気がやわらいでいる情景がとらえられています。旧暦の話が出たところで、もう一つお正月に関連した旧暦のお話しをしておきましょう。旧暦では、毎月の終わりは月が隠れるつごもりで、月の初めは必ず新月でした。したがって大晦日の夜も闇夜。初日の出は、月明かりのない真っ暗な夜が明け、地平線から上ってくる新しい年を迎えるにふさわしい太陽だったのです。単に、その年の最初の日の出というだけではない実感があったのですね。吉方参りに続いて、初日の出を拝む風習は、大正の初め頃までさかんに行われていたそうです。来年の初日の出は見られるでしょうか?
除夜の鐘
除夜の鐘とは、大晦日(=おおみそか)のちょうど日付けが変わり、新しい年になる深夜0時をはさんでつく鐘のことを指します。除夜の鐘をつく理由は、人の心にある煩悩を祓うためと言われています。仏教では、人には百八つの煩悩(=ぼんのう)があると考えられてきました。その煩悩を祓うためにつく除夜の鐘の回数は108回とされています。煩悩とは、人の心を惑わせたり、悩ませ苦しめたりする心のはたらきのことを言います。人の心の乱れ・汚れを煩悩とすると、代表的な煩悩には、欲望(肉体的および精神的なもの)、怒り、執着、猜疑などがあります。さらに煩悩を細かく分類すると、三毒とか、百八煩悩とか、八万四千煩悩など、分類のしかたにもさまざまなものがあります。さて、鐘をつく回数が108回という理由については、煩悩の数が108つあるからだと述べましたが、それでは、なぜ大晦日に鐘をつくのでしょうか。108回鐘をつきさえすれば大晦日でなくても良いのでは…と思いませんか? 大晦日に鐘をつく理由も諸説あります。仏教では煩悩を祓うことにより解脱し、悟りを開くことができるとされています。本来は、日頃から仏教の修行を積むことにより、これらの煩悩(心の乱れ)を取り除き、解脱することができるのですが、除夜の鐘には厳しい修行を積んでいない我々においても、こうした心の乱れや汚れを祓う力があるという信仰が現在まで伝わり、除夜の鐘の儀式となって続いています。だから、普通の日ではなく、除夜、つまり大晦日に鐘を打つのですね。もともと仏教では、お正月には、お盆とならんで年に二回先祖を祀る儀式がありました。これが歴史を重ね時代を経るうちに、「お正月は年神様(豊穣・豊作の神様)にその年の豊作を祈る」という神道の信仰へと移っていき、仏教の古い儀式としては夏のお盆のものだけが長く受け継がれています。もともとあった仏教の風習のうち、正月に関しては、除夜に鐘をつく風習だけが今に残っているようです。梵鐘の澄んだ音は、深夜の空気と相まって心にしみわたるような気がします。鐘を叩くことで私たちの魂が共鳴するような気持ちにさえなります。
餅つきの由来
かつて、餅つきは年末の風物詩としてさかんにおこなわれていました。我が家にも以前は臼と杵があり、20数年前まで家族総出で12月30日に1日かけて餅つきをおこなっていました。つきたてでアツアツの餅は、大根おろしやあんこであえるとサイコーです! が、ノロウイルスが全国的に猛威を振るう中、集団食中毒の恐れがあるとして、餅つき大会を中止する動きもあります。日本には古くから稲作信仰あり、稲は「稲魂」や「穀霊」が宿った神聖なものだと考え、崇められてきました。稲から採れる米は人々の生命力を強める神聖な食べ物であり、米をついて固める餅や、米から醸造される酒はとりわけ力が高いとされています。そこで、祝い事や特別な日であるハレの日に餅つきをするようになりました。餅つきは一人ではできないため、皆の連帯感を高め、喜びを分かち合うという社会的意義もあります。そして、お正月には鏡餅、桃の節句には菱餅、端午の節句には柏餅というように、行事食としても定着していきました。とりわけ日本の行事文化の大黒柱であるお正月は、お餅が重要な役割を果たすので、年末に餅つきをするようになったのです。お正月のお餅には特別な意味があります。古来より、新年を司る「年神様」という神様が元日にやってきて、新年の魂(年魂)を授けてくれると考えられてきました。ここでいう魂とは、生きる気力のようなものです。魂を頂戴した回数を数えれば年齢がわかるので、誕生時が1歳、それ以降は元日に年をとる「数え年」が昔は一般的だったのです。この新年の魂の象徴が、丸い形をした「鏡餅」です。三種の神器に「八咫の鏡」があるように、鏡は神様の象徴でもあったため、丸い形をした昔の鏡を神聖なお餅で表すようになり、鏡餅と呼ぶようになりました。大掃除、門松、しめ飾り、おせち料理など、一連の正月行事は年神様を迎えるために成立したものですが、家にやってきた年神様は鏡餅に依り付くとされています。そして、年神様が依り付いたお餅には年神様の魂が宿るとされ、その餅を家長が家族に分け与えたのが「お年玉」のルーツです。年玉は年魂という意味で、鏡餅のほか、家族分の小さな丸餅を神棚に供え、それを下してお年玉としていたといわれています。このお餅をいただくための料理が「お雑煮」で、お餅を食べることで新年の力がつくとされてきました。お年玉はお金に変わってしまいましたが、鏡餅を雑煮にして食べるのはその名残です。こうしてみると、いかにお餅が大切かがわかります。大切だからと言って、食べ過ぎていいということではありませんが・・・。
歳の市
学校は冬休みに入りました。部活動や補習に参加する生徒くらいで校内は静かな状況です。一方、町ではクリスマスも一息つき、威勢のいい声が飛び交う歳の市が始まります。お正月のご馳走は何にしようかなぁ…? クリスマスが過ぎると一気にお正月ムードに。商店街や市場にお正月商品や生鮮食料品が勢ぞろいし、寺社には正月飾りや乾物などを売る市が立ち並びます。デパートなどの歳末大売出しも歳の市と称するものが多いですね。お正月に向けて下着、靴、鍋などの日用品を新しくするのは、お清めの意味があるからです。門松、注連飾り、鏡餅などの正月飾りは、29日は「二重苦」「苦立て」「苦松(=苦が待つ)」に通じ、31日は葬儀と同じ「一夜飾り」で縁起が悪いことや、年神様をお迎えするのに一夜限りでは失礼なことから、26日~28日または30日に飾ってください。必要なものを調達するだけでなく、露店や市場の賑やかさは年の瀬の風物詩。どれにしようか迷ったり、値切ったりするのも楽しみのひとつです。買い物リストをもってぜひ出掛けましょう。良いものを安く調達でき、買い忘れてもまだ日があるので慌てなくてすみます。
2学期終業式
早いもので今日は終業式。学校は今日までで、明日から1月8日まではお休みです。校長が2学期を振り返っての講話をした後、教務部の長沢先生から2学期の成績等について、生徒指導部の網野先生から冬休みの生活等について話がありました。その後、国体で活躍した陸上競技部や、埼玉県産業教育フェアCGポスター・ラベルデザインコンテスト入賞者の表彰をおこないました。今年は昨年と異なり14日間の休みとなります。部活動や補習等で登校する生徒もいますが、大半は自宅で自分の時間を過ごすことになります。1年を振り返り、うまくいかなかった事や反省すべき点を確認して、来年はより充実した、心に残る年にしてもらえればと思います。
終業式での「校長講話骨子」:
皆さん、おはようございます。今学期が始まった9月は汗を拭きながらの始業式でしたが、今日は寒さに耐えての終業式です。日が経つのは早いものと改めて感じます。皆さんにはどのような2学期だったでしょうか?
2学期にはいろいろな学校行事がありました。特に、11月の創立百周年記念式典には、百年に一度のイベントとして皆さんもその場に立ち会ってくれました。式典での皆さんの立派な態度、工藤夕貴さんの記念講演、全員でつくったちぎり絵の披露、警察音楽隊と吹奏楽部の合同演奏など、来場した多くの方々からお褒めの言葉をいただき、大変光栄なことと思いました。
今年もあと1週間で終わりますが、平成から令和へと年号が代わり、大きな変化があるように感じています。昭和の終わりに私が教員になった頃は、社会全体が今よりものんびり、ゆったりとしていて、学校は土曜日の午前中に授業はありましたが、午後は部活動や課外活動に参加するのが当たり前で、スマフォはおろかガラケーもなく、連絡は家電で、今流行りの振り込め詐欺はない時代でした。昭和から平成に代わり、バブル経済(聞いたこと、ありますか?)が崩壊して平成初期の低成長期となり、就職氷河期と呼ばれた時期もあり、停滞感が蔓延していたと感じていたのが平成の中頃まで。アベノミクスで経済状況がよくなり?、ラグビーワールドカップが開催され、来年に東京オリパラを控え、就職状況が好転したのが平成の末期と感じます。平成10年代生まれの皆さんは、時代や社会状況をどうとらえているでしょう?
時代が移り変わっていくなかで、人々の考え方や発想もその影響を受け、変化していきます。そのような時代や分野において、当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化することをパラダイムシフトと言います。かつては「24時間働けますか。」という歌が流行ったように、目一杯仕事をがんばるという風潮がありましたが、今は「働き方改革」が叫ばれ、ブラック企業やブラックバイトが非難を浴びています。また、皇位継承資格は皇統に属する男系男子のみとした皇室典範に、女性天皇を認めてもよいのではという考えも、パラダイムシフトの流れだと思えます。皆さんのなかにも、自分の考えがあることをきっかけに大きく変わった経験を持つ人はいると思います。
そのようにパラダイムシフトが起こるなかで、しっかりと自分の考えや意見を持ち、相手に伝えてほしいと思います。友だちとの付き合いはスマフォを介してが多くなってきていますが、やはり基本は面と向かって話し合うことだと思います。今年もスマフォに係るトラブルが社会でも校内でも見られました。スマフォの便利さ、気楽さは誰もが実感していますが、使い方や伝わり方がうまくいかないとトラブルとなります。「直接話す」という古くからの対応は、相手の目や表情からもその意図を読むことが出来る優れたものです。新しいものに目を向けながらも、古くからあるものにもしっかりと目を向け、自分を向上させましょう!
避難訓練
本日、地震による火災が発生したという想定で避難訓練をおこないました。体育館で集合、安全、点呼。10分ほどで全員の避難・確認ができました。訓練に当たって校長と保健環境部の担当の先生より講和をしました。今年は4月にパリのノートルダム大聖堂、10月に沖縄県の首里城など世界遺産で火災が起きています。冬場は火災が多くなります。十分に注意するとともに、避難経路や家族との連絡方法なども確認しておきましょう!
冬至の食べ物
冬至の日には食べ物に係わる言い伝えがあります。まず、冬至に「ん」のつくものを食べると運が向上すると言われ、だいこん、にんじん、ぎんなん、きんかん、みかん、うどんなどを食べる習慣があります。なぜでしょうか? 前に記したように、冬至は太陽の力が最も弱くなる陰の極みの日で、翌日からは再び太陽の力がよみがえり始めて陽に帰り、上昇運に転じると考えられました。この「一陽来復」という考え方に、「いろはにほへと」が最後に「ん」で終わって再び「い」で始まることを重ね、陰が極まる冬至の日に「ん」のつくものを食べることで、翌日から再び運気を呼び込めるとされました。また、古来より冬至に「かぼちゃ」を食べると風邪を引かないと言われ、夏に収穫したかぼちゃを長期間保存して、冬至の日に食べるという習慣もあります。夏の野菜であるかぼちゃは、漢字で表すと「南瓜」で、「なんきん」という異名を持ちます。つまり、運を呼び込む「ん」のつく食べ物の1つであり、北に象徴される陰から南に象徴される陽へ転じる、冬至にふさわしい食べ物です。また、黄色は魔除けの色とされたため、昔はかぼちゃを食べることで無病息災を祈願したのです。但し、そうした縁起かつぎのためだけにかぼちゃを食べる訳ではありません。かぼちゃは夏に収穫した後にも長期間保存が効き、秋・冬まで置くことで甘みが増すだけではなく、ビタミンAやカロチンなどの栄養価が高いため、冬の風邪や中風の予防にも効果的です。昔の日本では、冬至の頃には秋野菜の収穫も終わり、食べられる野菜が少なかったことも、かぼちゃが好んで食べられた理由でしょう。
球技大会
本日、球技大会をおこないました。種目は男子はミニサッカーで、女子はバスケットボール。学年クラス対抗戦です。グラウンドでのミニサッカーは、風が吹き、見学していると寒いと感じる中、熱心にボールを蹴っていました。体育館でのバスケットボールは、得点が入ると歓声が起き、クラスメイトに熱心に応援していました。各1位はサッカーが1年6組、2年2組、3年5組、バスケットボールは1年6組、2年5組、3年2組でした。寒い中、いい汗をかくことができました。
冬至(とうじ)
もうすぐ冬至です。今年の冬至12月22日(日)です。冬至とは、北半球において太陽の位置が1年で最も低くなる日のことで、日照時間が最も短くなるため、1年で最も昼が短く、夜が長くなります。太陽の位置が1年で最も高くなる夏至(6月21日ごろ)と比べると、日照時間におよそ5時間もの差があります。冬至は陽の光も弱く、この日を境に日が長くなっていくため、冬至を太陽が生まれ変わる日ととらえ、世界各地で古くから冬至の祝祭が盛大に行われています。また、旧暦では冬至が暦を計算する上での起点となり、立冬と立春の中間が冬至で、冬の真ん中となります。 日本では、冬至にはゆず湯に浸かる習慣があります。お風呂にぷかぷか浮かぶゆず。いい香りが漂ってきて、体もぽかぽかしてきます。でも、どうしてゆず湯に入るのでしょう? 中国や日本では、冬至は太陽の力が一番弱まった日であり、この日を境に再び力がよみがえってくると考えます。そこで、冬至のことをかげ陰(いん)が極まり再び陽(よう)にかえる日という意の「一陽来復(いちようらいふく)」といい、この日を境に運も上昇するとされています。また、悪いことが続いても、回復してよい方向に向かうという意味もあります。 古代には冬至を1年の始まりとしていた時代もあり、冬至に未来への希望をつないだのでしょう。 現代でも、新年や大切な儀式に際して入浴する風習があります。昔から強い香りがする植物で邪気をはらう風習がありますが(端午の節句の菖蒲湯(しょうぶゆ)など)、冬が旬のゆずは香りも強く、邪気ばらいにぴったりです。ゆず湯には、ゆず=「融通」がきく、冬至=「湯治」という語呂合せもあります。 ゆず湯に入ると1年間風邪をひかないといわれています。ゆずには血行を促進して冷え性を和らげたり、体を温めて風邪を予防する働きがあり、果皮に含まれるクエン酸やビタミンCによる美肌効果もあります。さらに、香りによるリラックス効果もあるため、元気に冬を越すためにも大いに役立ちます。
クリスマスの装い
もうすぐクリスマスです。町でも家庭でもクリスマスの飾りつけやパーティーの準備に余念がありません。でも、今さらながらですがクリスマスとは何でしょう? わかりやすく言えばイエス・キリストの誕生を祝う日。クリスマスの語源は、ラテン語のChrist(キリスト)+mas(ミサ、礼拝)=Christmasになります。諸説あったキリストの誕生日が古代ヨーロッパの冬至の祭りと結びつき、12月25日となりました。昔の暦は日没を過ぎると日付が変わったことから、25日は現在の24日の日没後にあたるため、24日の夕刻から朝までをクリスマス・イブとして祝います。キリスト教信仰が根付く欧米では、家族や友人と家で食事をしたり、教会へ行ったりするのが一般的ですが、日本ではにぎやかなイベントが多くなっています。また、サンタクロースやクリスマスプレゼントを、世界中の子どもたちが楽しみにしています。クリスマスの飾り付けの由来を調べてみると、クリスマス・ツリーはモミの木がベース。冬でも葉を落とさない常緑樹で、永遠の命を表します。旧約聖書に出てくる「知恵の樹」の象徴でもあります。さまざまなオーナメントを飾ります。ひとつひとつがキリストにまつわるお話を象徴し、キリストの誕生を物語っています。ツリーのてっぺんにかざる星は、キリストが生まれた時、東の空に輝いていたという「ベツレヘムの星」を、ベルは キリストの誕生を知らせた喜びのベルで、迷える羊を導くためのベルでもあります。また、ツリーの由来になった「知恵の樹」はリンゴの樹で、まるい玉飾りもリンゴの象徴です。クリスマス・リースは、ヒイラギやモミなどを丸く輪にして、終わりのない永遠の愛を象徴しています。ヒイラギの葉はキリストが人びとの罪を背負って十字架刑にされた時にかぶった茨の冠を表し、赤い実はキリストの流した血を象徴しています。また、とげのようにとがった葉が魔よけにも通じるため、ドアにかけてクリスマスを迎えます。食事やプレゼント、サンタさんにもいろいろないわれがありますが、関心があれば自分で調べてみてください。それよりも楽しむことが先ですね。