校長室日誌

2019年6月の記事一覧

夏越の祓(なごしのはらえ)

 旧暦の6月末に行われる「夏越の祓(なごしのはらえ)」は、半年分のケガレを落とす行事で、この後の半年の健康と厄除けを祈願します。由来は神話の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の禊祓(みそぎはらひ)にまで遡るそうですが、新暦に移った現在でも、6月30日ごろ日本各地の神社で行なわれている伝統行事です。半年に一度の厄落としである6月の「夏越の祓」。さらに半年後の12月末には、同様に厄除けをする「年越の祓」があります。この2つは対になる行事で、心身を清めてお盆や新しい年を迎えるためのもの。大晦日の年越し行事のような派手さはありませんが、「夏越の祓」も大切な節目の行事とされています。その厄落としの方法として「茅の輪くぐり」が行われます。茅の輪とは、チガヤという草で編んだ輪のことです。神社の境内に作られた大きな茅の輪の中を「水無月の夏越の祓する人は、千歳(ちとせ)の命延(の)ぶというなり」と唱えながら8の字を書くように3度くぐり抜けます。茅の輪をくぐることで、病気や災いを免れることができるとされています。「茅の輪くぐり」については日本神話に基づいているといわれています。昔、ある兄弟のところに、一人の旅人が現れて一夜の宿を乞いました。裕福な兄は旅人を冷たく断り、貧しいながらも弟の蘇民将来(そみんしょうらい)は温かく旅人をもてなしました。数年後、旅人が恩返しにと再び蘇民を訪れますが、実はこの旅人はスサノオノミコトで、その教えに従って茅の輪を腰に付けたところ、疫病から逃れられ、子々孫々まで繁栄したということです。この故事に基づき、家の玄関に「蘇民将来札」という札を貼り、厄除けにするという風習も残っています。人形(ひとがた)とは、人の形を模した紙の形代(かたしろ)です。人形に自分の名前や年齢などを書き、それで体を撫でて人形に罪やケガレを移し、身代わりとして神社に納めます。人形を川に流したり、篝火を焚いたり、水や火を使う神事で清め、厄を落とします。紙だけでなく、藁などで人形を作るところもあります。また、お清めのために人が直接、川や海に入る地方もあります。冷房も冷蔵庫もない時代、蒸し暑くなる7月はしばしば病気がはやりました。体力も消耗するので、甘く食べやすいお菓子でエネルギーを補給し、厄祓いをしていたようです。京都には「夏越しの祓」の日に食べる伝統的な和菓子があります。「水無月」と呼ばれ、ういろうの上に邪気を祓うあずきがのった三角形のお菓子で、三角形は削りたての氷を表しています。昔、宮中では旧暦6月1日に「氷の節句」が行われていました。冬にできた氷を山間の氷室(ひむろ)に貯蔵しておき、そこから取り寄せた氷を口にして夏を健康に過ごせるよう祈るというものです。しかし、庶民にとって氷は高嶺の花。そこで氷をかたどった三角形の生地に厄除けの小豆を散らしたお菓子が作られたのです。「水無月」は庶民の氷へのあこがれからできた銘菓。現在では夏越の祓の日の和菓子として親しまれています。

 
0

山開き

 山開きとは、その年に初めて登山が許されることです。初日には安全祈願の神事や山開きの宣言が行われ、夏山登山のシーズンが始まります。山開きの日にちは山によって異なりますが、3月末から7月初旬に行われています。日本は国土の約7割が山地で、山は身近な存在です。自然の恵みをもたらしてくれる山々に人々は感謝し、山に対する畏怖、畏敬の思いを抱き、山を神様がいる神聖な場所であると考え、また山そのものを神として信仰の対象にしてきました。神仏を祀る霊山は、修業者か徳の高い僧侶などしか入山を許されず、一般の人は入ってはいけない「聖地」とされていました。しかし、江戸時代中期になると、一般の人々も山や山に祀られている神様を拝むため、登山をしたいと思うようになり、期間を定めて山に登ることが許されるようになりました。その頃から登山開始を祝い、安全を祈願する儀式として山開きが行われるようになりました。宗教儀式としての山開きは、現在も日本各地の霊山で行われています。静岡県富士宮市の富士山本宮浅間神社で行われる富士山の山開きは有名ですが、2013年に富士山が世界遺産となって登山者が急増し、山開きにもその影響が出ています。富士山の山開きは、これまでは7月1日(旧暦では6月1日)、期間は8月末までの2ヶ月間でしたが、2014年の山開きは7月1日と7月10日の2パターンになりました。静岡県側の富士宮口、須走口のルートは7月10日が山開きで、その分終わりも10日延びて9月10日になりました。そして、山梨県側(吉田口)のルートは7月1日が山開きで、期間は2週間延びて9月14日までになりました。7月に入っても、富士山の登山道にはまだ雪が残っているところも多く、多くの人が安全に登山できるように整備の日にちを確保したことや、登山期間を延長して、混雑を少しでも緩和しようというのが理由のようです。富士山本宮浅間神社の「お山開き」は、7月10日に行われ、さまざまな式典や神事の他、交流会などのイベントも行われるそうです。江戸時代、富士山を信仰の対象とする「富士講」が流行し、富士山に登る「富士詣」をしていました。しかし日本一高い霊峰である富士山に登ることは簡単ではありません。また、女性は登山することも禁じられていました。そこで、富士講の信者たちは、富士山に模して富士塚を築き、富士山登山の代わりとしました。富士塚に登ると、実際の富士山に登ることと同じご利益があるとされていたのです。富士塚は関東一円に数多く造られ、今でもたくさん残っています。例えば、江古田、豊島長崎、下谷坂本、木曽呂の富士塚は重要有形民俗文化財に指定されています。浅草の富士浅間神社や駒込の富士神社にある富士塚なども有名です。現在でも山開きの時期には、例大祭が行われ、参道には植木市や縁日などが立ちます。近くに富士塚があったら、昔の人と同じように富士山に登ったつもりで登ってみるのもいいですね。

 
0

紅花

 6月から7月にかけて咲く紅花は、その名の通り貴重な紅色の素として、古くから活用されてきました。紅は魔除けの色、高貴な色とされ、その素となる紅花の赤い色素はとても貴重なものでした。紅花はアザミによく似たキク科の越年草です。暖かい地方では秋に種をまき、寒冷地では春に種をまきます。紅花の産地として有名な山形県では早春に種をまきます。夏に花を咲かせ、咲き始めは鮮やかな黄色の花ですが、次第に下のほうから紅くなります。染料や顔料として利用されるほか、種からは紅花油(サフラワーオイル)が採れ、葉や茎は食用にもされます。紅花の原産地は、地中海沿岸や中央アジア、エジプトナイル川流域など諸説あり、確定されていませんが、古くから栽培され利用されていました。紅い色は強い生命力や神聖な力が宿っている魔除けの色と考えられていましたが、自然界ではきれいな赤に染まる色素は少なく、紅花は貴重なものでした。やがてシルクロードを通って中国へ、そして朝鮮半島を経て5~6世紀ごろ仏教文化とともに日本に伝わったといわれています。「古事記」下巻に出てくる紅花の記録が最も古い記録で、万葉集にも「末摘花(すえつむはな)」という名で見られます。長い間、紅花の紅は貴族の間だけのものでしたが、江戸時代になると紅花の栽培が各地に広がっていきました。中でも、山形県の最上川流域は質の良い紅花が採れる一大産地として発展しました。「最上紅花」は最上川中流域の村山地方特産の紅花のことです。ここで作られた紅花は「紅もち」に加工され、京都や大阪へと送られ、染めものや紅に使われました。高品質で知られる最上紅花は高価で取り引きされ、各地に「紅花大尽」が現れるほどでした。現在では、加工用の最上紅花や、切花用のとげなし紅花・しろばな紅花などが栽培されており、山形の県花になっています。紅花の種から取れる紅花油(サフラワーオイル)は、食用油やインクやペンキの油として利用されてきました。日本では染色用の花として栽培されてきましたが、アメリカなどで栽培されている紅花は油料用のものです。世界的には油料用の栽培がほとんどです。サフラワーオイルにはリノール酸が多く含まれますが、過剰摂取は良くないという研究もあり、オレイン酸が多く含まれるものなどが開発されています。埼玉県では、かつて桶川市でさかんに栽培され、現在はふるさと創生事業の一環として「べに花の郷 桶川市」のキャッチフレーズを掲げ、紅花をシンボルとしたまちづくりをすすめています。

 
0

食中毒に注意しよう!

 梅雨のこの時期、心配なのは食中毒です。食中毒は細菌によっておこります。細菌は、好条件がそろえばどんな場所でも繁殖が可能です。どの細菌にも繁殖に適している温度(至適温度)と条件があります。一般的な例で言いますと、30°~40°くらいで繁殖率がもっとも高くなりますが、10°以下や60°以上で繁殖する事はめったにありません。殺菌には75°以上で、1分以上の加熱が効果的です。さらに細菌が繁殖するためには80%以上の水分と栄養が必要になります。ちなみに飲み残しのお茶などを冷蔵庫にいれて保存したとしても、完全には死滅せず、ゆっくりとしたスピードで繁殖が進行していきます。特に肉魚などの高タンパク質は繁殖条件が良いので、取扱いにはくれぐれも注意しましょう。手洗いや食べ物にも十分に気をつけることはもちろんですが、食器や調理器具などの洗浄や消毒もしっかりと行い、充分に乾燥できる環境を整えることも大切です。ちょっとした心がけで食中毒の危険性を減らし、気持ちよく過ごしましょう!
   

 

0

五月雨(さみだれ)

 今日は朝から雨。梅雨らしい日が続きます。ところで五月雨(さみだれ)という言葉を知っていますか? 「さみだれ」の「さ」は田植えの古語で、古来の田植えの時期(現代の農法よりやや遅く6月ごろ)を意味し、「早苗(さなえ)」「五月(さつき)」の「さ」と同語源です。「みだれ」は「水垂れ」で雨の意。 陰暦5月頃(現在の6月頃)に降りつづく梅雨の短い雨を指します。五月雨というと、「奥の細道」の「五月雨を集めて早し最上川」の松尾芭蕉の句がよく知られていますが、急流の最上川下りを体験し、当初読んだ句の「涼し」を「早し」に改め、最上川の豪壮さ、激しさを表記したと言われています。梅雨の雨は大変な面もありますが、稲の成長など植物の成長にはなくてはならないものです。

 

 

0

アジサイ(あじさい・紫陽花)

 梅雨の季節、一際美しいのが「アジサイ」です。アジサイはユキノシタ科の落葉低木で、わが国の海岸に自生するガクアジサイから日本で改良された園芸品種。主に、鑑賞用として庭木や鉢植えにされます。半日陰で湿り気のある肥沃土を好み、用土の酸度によって花の色が変化します。酸性土では青味がかかり、アルカリ土では赤味が強くなります。花の色が土壌のpH濃度によって様々に変化するので、「七変化」とも呼ばれます。日本原産の最も古いものは、青色とのこと。花はつぼみのころは緑色、それが白く移ろい、咲く頃には水色、または薄紅色。 咲き終わりに近づくにつれて、花色は濃くなっていきます。花言葉は「移り気なこころ、冷淡、強い愛情、一家団欒、家族の結びつき、元気な女性」(紫陽花)」、「謙虚」(萼紫陽花(がくあじさい))。アジサイの名は、真青の花が集って咲く姿から、集めるの「あづ」に真青を意味する「さあい(真藍)」の「アヅサアイ(集真藍)」が変化して「アジサイ」となったと言われているようです。本来の「紫陽花」とは、唐の詩人の白居易が命名した別の紫の花のことで、平安時代の学者、源順(みなもとのしたごう)が今のあじさいにこの漢字を当てたため、誤用が広まったようです。英名の「Hydrangea(ハイドランジア)」は、ギリシャ語の「hydro(水)+ angeion(容器)」が語源大量の水を吸収し蒸発させる性質から(諸説あり)来ているとのこと。実は、私たちが一般的にアジサイの花だと思っている部分は「装飾花」と呼ばれ、花を保護するための「がく」の一種だそうです。あじさいの本当の花は、その装飾花の中に小さく隠れているんだそうです。色がついているのは「萼(がく)」で花はその中の小さな点のような部分。しかしやはり萼(がく)が目立つ。「萼(がく)紫陽花」の”萼”は ”額”と表記することもあります。いわゆる最も一般的に植えられている球状のアジサイはセイヨウアジサイであり、日本原産のガクアジサイを改良した品種です。セイヨウアジサイではすべてが装飾花に変化しています。

 
0

傘のマナー

 午後3時近くに雨が降り出しました。今週末は雨の日となり、傘が欠かせなくなる予報が出ています。雨の日のお出かけはちょっと億劫なもの。そんな気持ちを明るくしてくれるレイングッズが流行っていますが、どんな素敵な傘やレインブーツを履いていても、マナーができていないと台無しになってしまいます。雨の日のお出かけが気持ちよくなる、さりげないしぐさを心得ておきましょう。雨の日は気が付かないうちに、濡れた傘がまわりの人の迷惑になっていることもあります。あなたの傘の差し方は大丈夫ですか? 上を向けて開くと、まわりの人や自分に水滴がかかることがあります。まわりを確認してから、傘先を斜め下にして開けば安心です。ワンタッチ傘の場合は特に気をつけましょう。また、傘を差しながら狭い道をすれ違う際、相手にぶつかったり、雨のしずくが垂れたりしないよう、相手と反対側に自分の傘を傾けます。横に向けて閉じると、傘先が人に向くので危険です。差した状態のまま少しすぼめてから、下に向けて完全に閉じます。水滴の取る時にクルクルっと回したり、バサバサっと開閉したりすると周りの人に水滴がかかって大迷惑。閉じた傘の露先(骨の先端)をまとめて握り、傘先を下に向けて軽く数回振ります。駅の階段などで、前の人の傘先が目の前に迫って、思わずヒヤッとしたことはありませんか? 知らず知らずのうちに、傘先が後ろの人に向いていたり、子どもに当たったりすることがあるので要注意。また、濡れた傘が周りの人まで濡らしてしまうこともあるので、混んでいる場所では特に気配りが必要です。また、急な雨でもコンビニですぐに、しかも安くビニール傘が購入できるので、折りたたみ傘などを持ち歩かない方が増えています。本当に便利ですが、その手軽さ故に晴れてじゃまになったらその辺に置いてきてしまったり、逆に自分の物ではないのに、傘立てにあるビニール傘を勝手に使ってしまったり。マナー以前の問題ですが、気をつけたいものです。
 
0

授業紹介(プレゼン発表)

 本日4時間目、3年3組情報処理科のビジネス情報の授業で、プレゼン発表をおこないました。内容は都道府県の紹介です。事前に生徒一人一人が自分が発表する都道府県を選び、パワーポイントを活用して紹介していきます。今日は熊本、栃木、宮崎、鹿児島、岩手、沖縄、奈良の7県の紹介をおこないました。それぞれの県の特徴がわかりやすく伝わるように、紹介内容や声の調子を選びながら、発表をしました。みんな緊張しながらも、それぞれの県の特徴を伝えることができました。
 プレゼンは社会に出てもさまざまな場面でおこなうことがあるので、いい練習の機会になったと思います。

 
    プレゼンを始めます       プレゼンの採点シート
 
   鹿児島県の説明です        このようなスライドで紹介
0

夏至(げし)

 明日は夏至です。「夏に至る」というとおり、夏至とはこの日を過ぎると本格的な夏が始まるという意味です。昼が一番長い日でもあり、東京では日の出が4時25分、日の入りが19時で、昼が14時間35分もあります。日照時間の短い北欧では、昼間の最も長い夏至はとても大切な日です。フィンランドをはじめさまざまな国で夏至祭が催されます。スウェーデンでは国中が週末お休みになるそうですよ。6月は祝日がないので、日本もスウェーデンのように休みだとありがたいですね。

 

 

0

ハナショウブ? あやめ?

 先日、上尾市の丸山公園に出かけました。梅雨晴れの公園にはハナショウブ? あやめ?が咲き頃を迎えていました。「いずれアヤメかカキツバタ」という慣用句がありますが、どれも素晴らしく優劣はつけがたいという意味ですが、見分けがつきがたいという意味にも用いられ、実際そのとおりだと思いました。

 
 
0

ツバメ

 ツバメは北半球の広い範囲で繁殖し、繁殖期になるとオスは「チュビチュビチュビチュルルルル。」と比較的大きなさえずり声で鳴きます。飛翔する昆虫などを空中で捕食し、また水面上を飛行しながら水を飲みます。寒さを避けるため、冬に南の台湾やフィリピン、マレーシアなどに向かいますが、一部日本国内で越冬する個体があり、しばしば「越冬ツバメ」と呼ばれます。ツバメは泥と枯草を唾液で固めて巣を造ります。民家の軒先など人が住む環境と同じ場所で繁殖する傾向が顕著です。これは、天敵であるカラスなどが近寄りにくいからだと考えられています。巣は通常は新しく作りますが、古い巣を修復して使用することもあります。産卵期は4~7月ごろで、1回に3~7個の卵を産み、主にメスが抱卵します。抱卵日数は13~17日で、その後の巣内での育雛日数は20~24日です。日本では、水稲栽培において穀物を食べず害虫を食べてくれる益鳥として古くから大切にされ、ツバメを殺したり巣や雛に悪戯をする事を慣習的に禁じ、農村部を中心に大切に扱われてきました。江戸時代にはツバメの糞は雑草の駆除に役立つと考えられていました。「人が住む環境に営巣する」という習性から、地方によっては人の出入りの多い家、商家の参考となり、商売繁盛の印ともなっています。また、ツバメの巣のある家は安全であるという言い伝えもあり、巣立っていった後の巣を大切に残しておくこともありました。諸事情により、最近はあまり見ることはできませんが、夏の到来を告げる風物詩と言えます。

0

五月晴れ

 今日は梅雨の合間の晴れ(雨の降らない日も多いですが・・・)。先日から晴れが続き、まさしく五月晴れ! 五月晴れ(さつきばれ、ごがつばれ)とは、6月(陰暦の5月)の梅雨時に見られる晴れ間のこと。「さつきばれ」と読む場合はこの意味となります。「ごがつばれ」と読む場合は、新暦5月の晴れの日を指します。5月半ばごろに大陸から流れてきた高気圧によって晴天が続き、こちらも「さつきばれ」と読まれることがあります。五月晴れは夏の季語にもなっています。梅雨といっても雨が毎日降るわけではなく、カラッと晴れる日は洗濯物を乾かしたり、外で活動したりと貴重な1日となります。気分的に晴れ晴れとしますね。

 
0

ジューン・ブライド(6月の花嫁)

 6月も半ばを過ぎました。が、雨が降ったり、晴れたりと梅雨を強く意識させられます。蒸し暑く、不快なこの時期ですが、植物の成長には欠かせない時期でもあります。ところで、ジューン・ブライドということばを皆さんも聞いたことがあると思います。直訳すれば「6月の花嫁」。6月に結婚した花嫁は幸せになれるという、もともとはヨーロッパからの伝承です。その由来は諸説があり、
(1)6月すなわちJune という月名が、ローマ神話の結婚をつかさどる女神であるジューノ"Juno"(ギリシア神話では女神ヘラ)からきているため、婚姻と女性の権利を守護するこの女神の月に結婚すれば、 きっと花嫁は幸せになるだろう、とあやかってとする説。
(2)その昔、ヨーロッパでは、3~5月の3ヵ月間は結婚することが禁止されていて、6月は結婚が解禁になる月であるため、6月になって一斉にカップルたちが結婚し、周りの人達からの祝福も最も多い月だったとする説。
(3)ヨーロッパの6月は、1年中で最も雨が少なく、いい天気が続くため、はつらつとした季節の始まり、若者の季節と呼ばれ季節的環境がベストな月であり、 加えて復活祭も行われる時期であることから、ヨーロッパ全体が祝福ムードで溢れ、6月の花嫁は幸せになれるとする説などがあります。
 英語名であるJuneはローマ神話のユピテル(ジュピター)の妻ユノから取られました。ユノが結婚生活の守護神であることから、6月に結婚式を挙げる花嫁を「ジューン・ブライド」(June bride、6月の花嫁)と呼び、この月に結婚をすると幸せになれるといわれています。いつであれ、結婚するカップルには幸せになってもらえればと思います。

 
0

陸上競技北関東大会速報

 本日より陸上競技の北関東大会が始まり、本校から砲丸投げで1年生の阿南渉真君が参加しました。結果は17位。高校入学して3カ月でよく頑張ったと思います。今後のさらなる精進に期待します!
0

和菓子の日

 明後日6月16日は和菓子の日です。嘉祥元年(848年)6月16日、仁明天皇が16個のお菓子などをお供えして、病気がなくなり、健康で幸せに暮らせるように祈ったという由来があります。「嘉祥」とは文字通り「めでたいしるし」であり、鎌倉時代には、のちの後嵯峨天皇が東宮となられる前に、6月16日に通貨16枚で御供えの菓子などを求めて献じそれを吉例とし、皇位継承の後もこのことが続けられました。また、慶長の頃、豊臣秀吉が「嘉祥の祝」を恒例として行っていたことが『武徳編年集成・四十四』に記載されています。江戸幕府においては、この日、大名、旗本など御目見得以上の諸士に大広間で菓子を賜り、これを「嘉祥頂戴」といい、菓子は白木の片木の上に青杉の葉を敷いてその上に積んであり、一人一個ずつ取らせたといわれます。民間においても、「嘉祥喰」(かしょうぐい)といって十六文で菓子や餅十六個を求め食べるしきたりがあり、本来は嘉定通宝で買うことが当然とされましたが、この銭はさほど世間に多くなかったことから、米一升六合をもって菓子や餅を買い求めることも行われていました。また、この夜に十六歳の袖止め(振り袖をやめて詰め袖にする)をする「嘉祥縫」という風習があったほか、6月16日に採った梅の実でつくった梅干しを旅立ちの日に食べると災難をのがれるという言い伝えがあり、「嘉祥の梅」といいました。このように、「嘉祥の祝」は、疫を逃れ、健康招福を願う、めでたい行事として歴史の中で受け継がれ、明治時代までさかんに行われていました。この『嘉祥の日』を現代に復活させたのが「和菓子の日」です。和菓子と言っても多種多様ですが、皆さんは何が好きですか?

 
0

父の日

 6月の第3日曜日は父の日です。1910年にアメリカ・ワシントン州のJ.Bドット夫人が、彼女を男手一つで自分を育ててくれた父のために、教会の牧師にお願いして父の誕生月である6月に礼拝をしてもらったことがきっかけと言われています。当時すでに母の日が始まっていたため、彼女は母の日のように父の日もあるべきだと考え、牧師協会に嘆願して始まりました。日本では1950年代ごろから知られるようになりましたが、母の日に比べると認知の度合いは低い傾向があります。母の日の花がカーネーション、父の日はバラです。


 

0

梅干し

 梅は「花よし、香りよし、果実よし」と三拍子揃った花木。早春にいち早く花開き、馥郁(ふくいく)とした香りを放ち、昔から人々に愛でられてきました。そして、梅の実も様々に加工され、盛んに利用されてきました。「梅干し」はその代表的な利用といえます。梅は中国が原産といわれています。中国の古書「斉民要術」には「鳥梅(うばい=中国語ではウメイ)」、「白梅(=梅干し)」、「蜜梅(=蜜漬けの梅)」などの梅の実の加工法が記されており、日本には奈良時代の遣唐使により、漢方薬として「烏梅」が伝来しました。「鳥梅」は、未熟な梅の実を燻製にしたもので、色は真っ黒。鎮痛、解毒、健胃、整腸などの薬として重宝されました。梅の語源は、この「鳥梅」から「ウメ」と呼ばれるようになったという説の他、「熟む実」から「ウメ」となったなど諸説あるようです。日本に現存する最古の医学書である平安中期の「医心方(いしんぼう)」で、「梅干し」の効用が取り上げられています。鎌倉時代以降、実の多くは梅干しとして食用にされ、戦国時代は薬効のある携帯食としても重宝したようです。江戸時代には、庶民の食卓にも登場するようになり、大晦日や正月、節分には、梅干しにお茶を注いだ「福茶」として、正月には当時のおせち料理である「喰積(くいつみ)」にも祝儀ものとして用いられました。昔から「梅は三毒を断ち、その日の難を逃れる」といい、朝夕に梅干しを1個食べれば健康を保てるといわれてきました。「梅干し」と聞いただけで口の中に唾液が溜まってきますね。梅干しは唾液の分泌を促し、食欲を増進させてくれます。梅の酸っぱさの素は豊富に含まれるクエン酸。このクエン酸には疲労回復やカルシウムの吸収を助ける働きもあります。また、おにぎりやお弁当に、抗菌作用のある梅干しを入れると傷みにくくなります。さらに、梅干しを加熱すると、「ムメフラール」という成分が発生し、これが血液をサラサラにして、からだを活性化するといわれています。この他、新たな研究結果として、ピロリ菌を抑制する成分や、血糖値の上昇を抑える成分が含まれていることもわかってきたそうです。

 
0

梅雨の雨の名前

 昨日は1日雨でしたが、今日は曇り一時雨の予想が出ています。梅雨らしい日が続きますね。ところで一口に雨と言っても、さまざまな降り方があります。そして雨の名前も、降り方や降る時期、時間帯、また季節や感情によってもさまざまな呼び名で呼ばれています。梅雨の時期だけでも、たくさんの雨の呼び名があります。
・「走り梅雨」、「迎え梅雨」、「梅雨の走り」は、梅雨入り前のぐずついた天気を表します。
・「卯の花腐し」(うのはなくたし)、「黴雨」(ばいう)、「五月雨」(さみだれ)は梅雨の異称。「五月雨」の「さ」は田の神様で「みだれ」には水垂れという意味もあり、旧暦5月の長雨のことを指します。「五月晴れ」は梅雨の晴れ間のことを意味します。
・「空梅雨」、「早梅雨」(ひでりつゆ)、「枯れ梅雨」は、雨が少ない梅雨。
・「戻り梅雨」、「返り梅雨」、「残り梅雨」は、梅雨明け後に再び雨が降り続くことです。
・「男梅雨」は、晴天が多いが降ると激しい、ザーッと降ってカラッと晴れる梅雨のこと。
・「女梅雨」は、弱い雨がしとしとと降り続く梅雨のこと。現代では「男梅雨」「女梅雨」には異論のある方も多いかもしれませんね?

 
0

時の記念日

 「時は金なり」とよくいわれますが、時間は誰にでも平等に与えられた唯一のもの。有効に使うか、無駄に使うかはその人次第ですが、二度と取り戻せない大切なものです。6月10日は「時の記念日」。今一度時間の大切さについて、考えてみませんか? 「時の記念日」は「時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう」と呼びかけたのが趣旨で、1920(大正9)年に制定されました。世界中の人から「日本人ほど時間に正確な国民はいない」といわれ、多くの人々が時間を守ることを最低限のマナーとして認識しています。この時代の日本人が時間にルーズだったとは思えませんが、時間を効率的に使って産業の発展と欧米並みの近代化を図ろうという目的があったのかもしれません。「日本書記」に「天智天皇が漏刻(ろうこく)を置いて初めて時を打った」という記述があります。漏刻とは水の流れ方が一定であることを利用した水時計です。これが日本で時計が鐘を鳴らして時を知らせた初めての記録とされています。671年6月10日のことで、これにちなみ6月10日が時の記念日となりました。天智天皇を祭る近江神宮では毎年この日に「漏刻祭」が行われます。境内には日本最初の時計博物館があり、この日は無料公開されます。古来、日本では1日を12等分して子・丑・寅・卯~の十二支を当てはめていました。昼夜をそれぞれ6等分し、1日12等分で時間を把握していたので、季節によって昼夜の長さが変わり、時間の長さは一定ではありませんでした。しかし、昔の人は日の出とともに起きて1日が始まり、日の入りとともに1日の仕事を終えたので、その方が便利だったのでしょう。この時代の名残として残っていることばもあります。
・正午(しょうご):「午(うま)」の刻は太陽が南中にくる頃だったので、昼の12時を表します。
・お八つ(おやつ):午後のティータイムは午後3時。「未(ひつじ)」の刻がちょうど八つ時で、午後3時頃。
・丑三つ時(うしみつどき):怪談で「草木も眠る丑三つ時!」とおどろおどろしく語られる丑三つ時とは深夜2時から2時半頃。
 各国でバラバラに使われていた「時間」でしたが、19世紀になり近代化が進み、国際交流が進むと、世界中で時刻を統一する必要性が生じました。そこで決められたのが世界時間の基準となる経線(本初子午線)で、1884年、イギリスのグリニッジ天文台が経度0の基準地となりました。経度が15°ずれるごとに時差は1時間とされ、これを基に各国は自国の標準時を決めました。1886年、日本では15の倍数の経線は統計135°と150°の二つありますが、150°では南鳥島の近くになりあまりに東寄りなので、135°にある市町村の中から兵庫県明石市に決定されました。
さて、今も日本の標準時は東経135°を基準に決められていると思っている方も多いと思いますが、実は違います。1967年に、国際度量衡総会で1秒の定義を「原子時」に決め、現在は世界中の約400台の原子時計の平均を基に国際度量衡局(フランス・パリ)で世界標準時を決定します。日本はここから9時間進めた日本の標準時間を情報通信研究機構(NICT、東京都)の原子時計で決めています。しかし法律上は今も東経135°の時刻が日本の標準時とされたままです。2015年7月1日にうるう秒が挿入されて話題を呼びましたが、今後は廃止が検討されています。IT端末のトラブルの懸念や対応作業が膨大になってしまうことなどがその理由です。たった1秒の違いでも、大変な労力や費用が投入される現代。太陽や月の動きから「時」を感じていた時代からは想像もつかないほど緻密な時間管理がされている現代ですが、願わくば、身の回りの自然に目を向け、季節の移ろいを感じる時間も大切にしたいものですね。

 
0

入梅(にゅうばい)

 今日は朝から雨模様。梅雨の到来を感じさせます。梅雨に入ることを「入梅」といいますが、農作業をする上で雨期を知ることはとても重要なことなので、江戸時代に暦の上での「入梅」が設けられ、雑節のひとつとなりました。昔は芒種以降の最初の壬(みずのえ)の日、立春から135日目などとされていましたが、現在は太陽の黄経が80°に達した日とされています。暦の上ではこの日から梅雨ですが、実際は気象庁の発表する「梅雨入り宣言」が目安。南北に細長い日本は、北と南では気候も大きく違い、梅雨入りも梅雨明けも、ほぼ南の方から順にやっています。梅雨の期間は約1ヶ月半から2ヶ月くらいで、年によって変動します。「入梅」に対し、梅雨明けすることを「出梅」といいます。ちなみに、暦の上の入梅は毎年6月11日頃。関東地方の梅雨入りの平年値は6月8日頃で、梅雨明けの平年値は7月21日頃です。北海道では梅雨がありません。

 
0

芒種(ぼうしゅ)

 芒種とは稲や麦など「穂が出る穀物の種を蒔く」という意味で、今年は今日6月6日になります。この頃は種まきをはじめ農家の忙しくなる時期です。ちょうど梅雨に入る頃で、少し蒸し暑くじめじめする時期になります。
 
 
0

田植えをしました

 本日1・2時間目の2年5組の総合実習の授業で、田植えをおこないました。1年生の時は自らの手で共同作業でおこないましたが、今日は田植え機を利用しての実習。先生の指導の下、順番に機械を操作して田植えをおこないました。最初は機械の操作に不安なようすでしたが、先生が脇に乗り、操作方法をていねいに指導すると、次第に慣れ、うまく植えることが出来ました。秋の収穫が楽しみです。

 
0

バラの咲く頃

 先日、伊奈町の町制施行記念公園に行ってきました。今が見頃で、多くの人々が訪れ、バラを楽しんでいました。他にも、近くでは川島町の平成の森公園や群馬県前橋市の敷島公園のバラが有名で、先ごろを迎えています。梅雨の合間に出かけてみてはいかがでしょうか?

 
 
 
0

和食の基本・一汁三菜

 コンビニでのお手軽な軽食が便利でよく利用する人が多いと思いますが、日本人ならば和食の習慣を大切にしたいものです。和食が栄養バランスのある健康食として世界で評価され、注目されていることは知っていますよね? 和食の基本はご飯に汁もの、おかず3種(主菜1品、副菜2品)で構成されています。ここ数10年、スローフード(その土地の伝統的な食文化や食材を見直す運動、またはその食品自体)やロハス(健康で持続可能な、またこれを重視する生活様式)が注目されるようになり、改めて見直されています。
和食の基本の一汁三菜は、
主食:ご飯、汁物:味噌汁など
主菜:魚などの焼き物、煮物、副菜:野菜の煮物や和え物、
副々菜:煮豆、漬物などで、合計で4品になりますが、「四」は「死」と同じ音で忌み嫌われているため「1+3」の一汁三菜という呼び名になっているようです。 
 また、和食の基本の5つの調味料は「さしすせそ」で表されます。さ:砂糖、し:塩、す:酢、せ:醤油(昔は「せうゆ」と書いて「しょうゆ」と読みました)、そ:味噌で、この順番に味付けをするといいと言われています。砂糖は他の調味料に比べて分子が大きく、味が浸透しにくいため最初に加えます。塩は砂糖より早くしみ込み、材料を引き締める働きがあるので塩を先に入れると逆に材料に味がしみ込みにくくなります。酢、醤油、味噌は揮発性香気成分を含むため、長く煮ると香りがとんでしまうので、 最後に入れるのがコツです。皆さんも家で和食を楽しんでください。

 
0

衣替え

 制服を採用している日本の学校や官公庁、企業の多くは、季節に応じて衣服を気候に適したものに変える「衣更え」を実施しており、毎年6月1日と10月1日で夏服と冬服を切り替えています。衣更えは中国から伝来した行事「更衣}が源で、平安時代から宮中で旧暦4月1日と10月1日の年2回おこなわれるようになった習慣です。衣替えが現在のようになったのは明治時代以降です。江戸時代には年4回衣替えをおこなう習慣は庶民にも浸透していましたが、明治時代になると、欧米文化が日本に大量に流入したため、日本人は和服だけではなく洋服も着るようになりました。そして、欧米文化を楽しむよう日本社会が変化を遂げるなか、政府が洋服を役人や軍人の制服に定め、新暦の6月1日と10月1日の年2回、夏用と冬用の制服に切り替えることを習慣化しました。役所や軍隊に義務付けられた洋服と年2回の衣替えは、その後小学校、中学校、高校など学校にも波及し、今でも習慣として根付いています。本校でも今日から衣更えです。
  
0

6月の風景

 6月は旧暦では「水無月」と呼ばれます。雨がたくさん降る時期なのに”水の無い月”って変なのって思われますよね。「水無月」の”無”は”の”にあたる連体助詞ですので、「水無月」は”水の月”ということになります。田植えが済み、田に水を張る必要があることから”水の月”→「水無月」と呼ばれるようになったようです。田植が終わって、田んぼに水を張る必要のある月「水張月(みづはりづき)」「水月(みなづき)」であるとする説もあります。田植という大仕事を仕終えた月「皆仕尽(みなしつき)」であるとする説もあります。ところで、昨年8月の山の日の制定により、6月は日本では祝日がない唯一の月となっています。また、過去にもこの月に祝日が存在したことがないようです。これは天皇家由来の節目の日もなく、庶民の生活も農繁期でハレの行事がなかった点が影響しているようです。雨が続き蒸し暑いのは困りますが、この時期の雨が夏場の米や野菜の成長を助けることになります。見方を変えればマイナスもプラスになります。季節の移り変わりの中で感性や考え方を育ててもらえればと思います。

 

 

0