2018年10月の記事一覧
文化祭後片付け・閉会式
朝から晴れて快晴となりました。今日は文化祭の後片付けで、各ホームルームや展示場所では生徒たちがゴミの分別にていねいに当たっています。11時20分から体育館で閉会式・表彰式をおこないました。生徒会長の挨拶の後、今年のテーマ「平成最後の羽実祭」を発表した1年3組、ポスターを作成してくれた3年4組の尾澤さん、クラスと部活動の企画で羽実賞をとなった3年1組とブラスバンド部の表彰をおこないました。その後校長より好評を、文化祭実行委員長が閉会宣言をし、文化祭全日程を終了しました。
明後日から11月です。2学期も半分終わり、寒くなってきたので、風邪や体調不良に注意してがんばりましょう!
生徒会長挨拶 表彰
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文化祭2日目(一般公開)
文化祭2日目です。朝から小雨で少し肌寒く感じますが、校内は一般公開に向けて皆がんばっています。この日のために1・2年生は駄菓子屋やお化け屋敷、休憩所を、3年生はや飲食店を中心に、部活動・同好会は日ごろの成果を発揮するべく力を入れてきました。10時より一般公開をおこなうと、まず野菜や果物、草花を扱う農産物販売に多くの人々にお越しいただきました。市販価格より安めの設定でレタスやブロッコリーなどがすぐ完売になりました。羽生市の河田市長様にも午前中に見学に来場していただき、生徒の活躍を確認していただきました。校内に目を向けると、保護者の方々や中学生が催しを覗いたり、参加をしたり楽しんでいました。生徒の中学校時代の同級生も多数来校し、旧交を暖め合っていました。午後には天気も回復して、平成最後のよい羽実祭とすることができました。
朝は小雨模様・・・。晴れるといいな。
準備完了! お客様をむかえます!
まずは野菜の販売とPTAのバザーに
体育館は部活や有志のステージ 紅葉も始まりました
お化け屋敷は順番待ち 休憩所は・・・
来校された方にはていねいな対応を
農業科の展示。彩りを考えました。
写真部の猫の鼻のあな(一押し?) 家庭科部の作品
華道部の作品 書道部の展示
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文化祭1日目
今日は文化祭1日目です。午前中に開会式をおこない、校内祭となります。開会式では校長、文化祭実行委員長、生徒副会長の挨拶の後、有志団体によるブラスバンド部や生徒によるパフォーマンス等があり、最後の準備の時につくった動画を全員で見ました。午後は昨日に続き、明日の一般公開に向けての最後の準備に各団体があたります。校内をきれいにし、おもてなしの心を持って、来場者の皆様を迎えられるよう、がんばります!
体育館でオープニング 生徒会副会長のあいさつ
ブラスバンド部の演奏 生徒パフォーマンス
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文化祭準備
穏やかな太陽の光が注ぐ1日となりました。昨日に続き、今日は文化祭準備です。昨日はどこから手を付けていけばいいの? というような団体もありましたが、準備は順調にすすんでいるようです。3年生の教室をのぞくと、皆で仲良く、手際よく催しものの準備を進めていました。多くのクラスがハロウィンの趣を取り入れた装飾を活用しています。明日は文化祭1日目で校内発表。天気もよさそうです。ただ、一般公開の土曜日の天気が「曇り時々雨」の予報となっていて心配です。雨が降らなければいいですね。


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もうすぐハロウィン
町にハロウィンの色彩が目立つ時期になってきました。10月31日はハロウィンです。最近では日本でも知られるようになりましたが、ハロウィンはキリスト教の聖人の祝日「万聖節」(11月1日。すべての聖人と殉教者をまつる日。All Hallo)の前夜(All Hallo Eve)を略したものです。昔、イギリスに住んでいたケルト人の間では10月31日が大晦日にあたり、この夜は先祖の霊だけでなく悪霊までやってくると信じられていました。やがてキリスト教で悪霊を追い出す祭が始まりますが、その祭を子どもたちが怖がるので、ヨーロッパからアメリカに移住した人々が子どもたちも楽しめる行事にアレンジし、現在のようなイベントになりました。アメリカでは、ハロウィンの夜、家々にジャック・オー・ランタン(かぼちゃのおばけのランプ)の灯りが灯る頃、子どもたちはゴーストや魔法使いなどのキャラクターの仮装をして近所を訪ねてまわります。仮装するのは、悪霊そのものをあらわしているとも、悪霊がその格好を見ておどろいて逃げるようにとも言われています。そして、子どもたちが「Trick or Treat !(トリック オア トリート)」(お菓子をくれなきゃいたずらするぞ!)と声をかけて玄関をたたくと、その家の人が「Happy Halloween !(ハッピー ハロウィン)」 といってお菓子を渡し、霊を鎮めます。 日本では近所を練り歩くことはありませんが、おうちでみんなでハロウィン・パーティーを楽しむのがいいですね。仮装アイテムも売っていますが、身近な材料でお化けの格好をして、シーツに色紙で顔をつけてかぶったり、黒い布をマントにしたり。好きなマンガのキャラクターになりきっても楽しいかも・・・。また、「お菓子をくれなきゃいたずらするぞ!」と言って、この日ばかりは堂々とお菓子をもらっちゃいましょう! でも、食べ過ぎて腹痛を起こさないように。
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蕎麦(そば)
蕎麦(そば)は、産地によって夏から秋に収穫されます。いずれも収穫したては新蕎麦ですが、一般に「新蕎麦」といえば、秋に収穫された蕎麦をさすことが多いようです。緑がかった美しい色で、香りも良い秋の新蕎麦は、江戸の頃から人気の品でした。新蕎麦は秋の季語でもあり、様々な句に詠まれています。元禄時代に発刊された「本朝食鑑」には、「少しでも早く出回るそばを珍重し、手に入れたがる。時期はずれのものは実が十分入らず味も良くないのに、ただ早く出回るのを賞味・珍重するのである」というような記述があります。江戸っ子の初物好きは「新蕎麦」にも発揮されていたようです。蕎麦は種をまく時期によって「夏蕎麦」と「秋蕎麦」に大別されます。蕎麦は、種をまいてから収穫までの期間が稲、麦などに比べ短く、70~80日で収穫できます。気候への適応性もあり、火山灰地や開墾地などのやせ地でもよく生育するので、短期間で収穫できる救荒作物でもありました。さらに土壌の乾燥に強く、吸肥性が強いなどの特徴もあります。ただし、霜には弱いので霜の降りる前に収穫します。一般に、蕎麦は秋に収穫され、秋の新蕎麦を略して「秋新(あきしん)」と呼びます。10月末ごろから出回る新蕎麦は、香り、色、味が優れ、粉に挽いても、貯蔵状態が良ければ変質しにくいという特徴があります。8月の終わり頃から「新蕎麦」のビラを店頭で見ることがありますが、この頃の蕎麦は「夏蕎麦」です。蕎麦は、白米や小麦粉に比べて良質なたんぱく質を多く含みます。ビタミンB群やミネラルも豊富。食物繊維も豊富に含まれています。大きな特徴としては多量の「ルチン」を含みます。ルチンはポリフェノールの一種で、 毛細血管を強化し、血管を拡張する事で血流を良くする作用があります。記憶細胞の保護、活性化にも有効といわれています。蕎麦を常食とする山村に長寿の方が多いといわれるのは、このような蕎麦の栄養が一役買っているのかもしれません。
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フラワーアレンジメントコンテストで銅賞!
10月20日(土)、山口県で第28回全国産業教育フェアが開催され、埼玉県代表としてフラワーアレンジメントコンテストに本校の飯島彩華さんが参加しました。昨年に続いての出場となった飯島さんは、ふだんから身に着けた知識・技能・創造性を発揮し、見事銅賞を獲得しました!

写真は埼玉県大会のようす
写真は埼玉県大会のようす
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芋煮会
涼しい、時には寒い、そんな日も増えてきました。そのような時に体が暖まる芋煮はいかがでしょう? 芋煮とは里芋やこんにゃく、ねぎ、きのこ、季節の野菜などを主な具材とした鍋料理です。近所の人達と、河原で材料を持ち寄って大鍋で芋煮を作る野外パーティーが芋煮会。芋煮会は東北各地で行われていますが、有名なのは山形の芋煮でしょう。芋煮の起源には諸説あります。古くは江戸時代、上方からの物資を運んできた最上川舟運の終点が今の山形県中山町付近で、荷物の引き渡しで長逗留することになった船頭たちが、この地の名産の里芋を鍋で煮て食べたことが芋煮の始まりという説が伝えられています。その後も芋煮の風習は受け継がれ、明治になって身近な河原で集まって楽しむようになったとされます。現在も豚肉を用いる庄内風、牛肉を用いる内陸風など、地域によりさまざまな形で芋煮が受け継がれています。家庭料理として年中食べられていますが、芋煮会は秋の実りに感謝しつつ、仲間と和気あいあいと楽しめる人気の行事です。
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AED講習会
本日、AED講習会を午後2時より格技場1階の柔道場でおこない、本校職員、運動部の生徒、PTAの方々約60名が参加しました。講師は羽生消防署の方々です。AEDとは自動体外式除細動器のことで、心室細動を起こした人に電気ショックを与えることで正常なリズムに戻すための医療機器です。心室細動を起こした心臓は、ポンプとしての機能を失い、脳や身体に血液を送ることができなくなります。そのため脳や体内に酸素が供給されなくなり、やがては心臓が完全に停止して死に至ります。心室細動を起こした場合、唯一の治療方法が電気ショックを与え、心臓のリズムを正常に戻すことです。処置が1分遅れるごとに10%ずつ救命率が低下すると言われているので、できるだけ早く電気ショックを行うことで救命率も、その後の社会復帰率も向上します。AEDの使用は、2004年7月から一般市民でも使用できるようになりました。同時に普及にも力が入れられ、現在では空港や駅、学校、公共施設、企業など人が多く集まるところを中心に約20万台が設置されています。機種によって操作に多少の違いはありますが、初めての人でも簡単に使用できるように音声が使い方を指示する仕組みになっていますが、緊急の場合に冷静に対応することは難しいので講習会を開きました。今日の講習会で初めてAEDを扱う方も多く、不安を持っていたようですが、消防所の方のていねいな説明と適切な指導で皆積極的に参加し、実りのある講習となりました。特に重要なのは、AEDを使うことよりも心肺蘇生法(胸骨圧迫)をしっかりとおこなうことで生存率も高まることを確認しました。AEDを使う場面は起こってほしくないですが、まさかのための対応は必要だと改めて思いました。
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十三夜、十日夜
このところ、雨が降る日が続きましたが、週末は久しぶりに晴れそうで、月もきれいに見えるのではと思います。明後日10月21日は十三夜です。十三夜とは、十五夜の後に巡ってくる十三夜をさし、旧暦9月13日のお月見のことを言います。十五夜(中秋の名月)から約1か月後に巡ってくる十三夜は、十五夜に次いで美しい月だと言われ、昔から大切にされていました。十五夜または十三夜のどちらか一方のお月見しかしないことを「片見月」と呼び、縁起が悪いと言われています。また、十三夜には栗や枝豆を供えることから「栗名月」「豆名月」ともいいます。十三夜も十五夜と同じで、旧暦を新暦に直して10月13日とするのではなく、その年によって日付が変化します。十日夜とは旧暦10月10日に行われる収穫祭で、東日本を中心に行われています。西日本では旧暦10月亥の子の日や11月に、類似する収穫の行事があります。その内容は地方によっても違いがあります。稲刈りが終わって田の神様が山に帰る日とされているため、稲の収穫を祝ってお餅をついて食べたり、稲の茎をたばねた「わらづと 」や「わら鉄砲」で地面を叩きながら唱えごとをして地面の神を励まし、作物にいたずらをするモグラを追い払ったりします。また、「かかしあげ」といって田んぼを見守ってくれたかかしにお供えものをして、かかしにお月見をさせてあげる地方もあります。十日夜はお月見がメインではないため、月齢に関係なく新暦の11月10日に祭りを実施する地方が多いようです。
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栗
栗は秋の味覚の代表格。洋菓子店や和菓子店にさまざまな栗のお菓子が並び、甘党にはわくわくする季節です。栗御飯や渋皮煮なども、ぜひ味わいたい秋の味覚です。栗と日本人のつながりは古く、縄文時代にまでさかのぼります。青森県青森市にある三内丸山遺跡の発掘で、原始的な狩猟生活をしていたと考えられていた縄文時代の人々は、実は集落をつくって暮らし、その周りに栗やクルミの木の林を作って、その実を主食にしていたことがわかりました。栗は大事な食料であり、縄文時代から栽培されていたのです。弥生時代以降、雑穀の栽培や稲作が始まっても、栗は飢饉などに備える救荒作物として植えられてきました。また、栗の実を干し、臼でついて殻と渋皮を取り除いたものを「搗ち栗(かちぐり)」といい、保存食として用いられてきました。臼でつくことを「搗つ」といい、それが「勝つ」に通じることから「勝ち栗」とされ、勝利を祈願する縁起物として戦国武将が戦の前に食べたといわれます。二ホングリは日本原生の野生種で、柴栗(シバグリ)と呼ばれ、今も山野に自生しています。栽培種は果実が大きく、味も良いのが特徴です。有名な「丹波栗」は京都の丹波地方で採れる大栗の総称で、江戸時代には将軍家や御所にも献上されたそうです。チュウゴクグリは「天津甘栗」としておなじみの栗です。小粒ですが、渋皮がむきやすく、焼き栗で食べるとおいしいです。ヨーロッパグリは樹勢が強く大木になりますが、果実の大きさは二ホングリより小さめです。渋皮がむきやすいのも特徴です。街角のあちこちで焼き栗として売られており、お菓子や料理にもよく使われます。栗にはカリウム、カルシウム、マグネシウム、リン、亜鉛、鉄など私たちの健康に欠かせないミネラルが豊富に含まれています。また、葉酸などのビタミンB群や食物繊維も多く含んでおり、栄養的にも優れた食べものです。また、栗の木は他の木材に比べて、耐水性や耐久性にすぐれているので、昔から家の屋根や床板、柱などに重用されていました。明治時代になって鉄道が開設されると、枕木として利用されたのが栗の木です。鉄道が日本中に伸びていったこの時期、全国の莫大な量の栗の木が伐採されていきました。コンクリート製の枕木が登場するまで、日本の鉄道発展の陰には栗の木の多大な貢献があったのです。

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わらの活用
稲は米以外にもたくさんの副産物を人々にもたらしてきました。特に茎の部分、「わら」はさまざまなな方法で利用されてきました。日本人が稲作を始めたのは縄文時代と言われています。その頃の収穫は、穂だけを刈り取る「穂苅り」で、田んぼに残ったわらはそのまま土に還っていました。7~8世紀頃になると、収穫に鉄製の鎌などが使われるようになり、稲を根元から刈り取る「根刈り」に変化しました。刈り取られた稲を脱穀して米を収穫し始めたことで、大量のわらが残ることになり、そのわらを使ってさまざまな生活用品が作られ、利用されてきました。特にわらの文化が発展したのは江戸時代です。江戸時代には多くの農書が残されていますが、当時使われていたわらで出来た、さまざまな生活用品が紹介されています。わらは、そのまま燃料や飼料、畜舎の敷きわらなどにも使われます。ハカマを取った「すぐりわら」は、屋根葺きや土壁に使われますし、しめ縄やしめ飾りにも使われます。このすぐりわらを叩いて加工しやすくしたものが「叩きわら」です。これを使って作られたさまざまな道具の例を挙げてみました。今は使われなくなったものもたくさんあります。着るものとしてはわらじ、わらぐつ、かさ、みのなど。生活用品としてはわら縄、かご、いずめ(おひつ入れ)、鍋敷き、べんけい(串をさすもの)、円座、むしろ、畳床、縄袋、縄のれん、わら細工の馬などの飾り物など。この他、煮豆をわらで包んで発酵させた納豆は、わらがなければ生まれなかった食べ物です。様々な形で使われたわらの加工品は、傷むと補修されながら使われ、最後には燃料として燃やされたり、田畑の肥料にされたりして土に還りました。そして、また新しい稲を育む基になったのです。日本人は稲を上手に利用し、使い尽くす無駄のない生活をしてきました。最近では、若者の間では米のわらよりも、ワンピースの「麦わらのルフィ」のほうが有名でしょうか?
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稲刈り
稲刈りが学校の周りの田んぼでおこなわれています。稲刈りは古来より日本の農村における秋の代表的な風物誌です。日本では第二次世界大戦後も長く、鎌を用いて手作業で稲刈りが行われました。稲刈りに使用する鎌は、刃先が鋸になった特殊なもので、イネの茎の切断が容易に出来るよう工夫されていました。しかし、稲刈りの作業は近年のコンバインの登場によって大きく様変りしました。コンバインは1940年代に初めて登場し、高度経済成長期以降徐々に普及しました。稲刈りから脱穀までの作業を一貫して行えるのがコンバインの特徴です。稲刈りから脱穀をまとめておこないますが、その間籾の乾燥工程がないので、脱穀された籾は直ちに専用の穀物乾燥機にかけられます。現在でも、山間地や棚田など大型の農業機械の導入が困難な田んぼや、米の栄養や旨味を増したいと言う目的で、バインダーで刈り取り、稲木にかけて乾燥、ハーベスターで脱穀するという組み合わせで収穫するか、もしくは鎌を用いた従来どおりの作業方法が採られています。コンバインの普及により作業時間は大幅に短縮されたが、車両後方に排出される藁のくずが皮膚に付着すると、比較的大きな痒みや肌荒れが起きる為、コンバイン搭乗者以外の作業従事者は、作業時の風向きに十分注意する必要があります。稲刈りをおこなっている農家が顔を覆うようにタオルや手ぬぐいを着用しているのは、その痒みを事前に防ぐ為であるようです。近年は高価ですがキャビン付きの車両も登場しており、搭乗者の負担は大幅に減少しています。刈り取られた稲は水分が多いので、稲架にかけて天日干しされ、十分乾燥した頃に脱穀をおこないます。人力のみに頼った頃は、多人数が必要であったため、当然のように子供も動員されました。そのため、農村域では学校でも休暇を設定しているのが普通でした。農繁休暇と呼ばれましたが、一般には稲刈り休みと呼んでいました。神社で神に捧げる少量の稲を神職や氏子などの手により作られている場合もあり、この場合、稲刈りは大体手作業でおこなわれます。皇居でも生物学御研究所脇に御田があり、毎年9月下旬に天皇が自ら手作業で稲刈りをおこないます。この行事は昭和天皇が始めたもので、今上天皇にも引き継がれています。収穫した稲は伊勢の神宮に納めたり、皇居内の神事に使うほか、天皇一家の食事にも使用されています。
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鮭(しゃけ、サケ)
「食欲の秋」の第2弾として鮭について調べました。秋の味覚といえば鮭。塩焼きやムニエル、スモークサーモン、寿司も美味しいですね。鮭は9~11月に川を上ります。主に東北・北海道沿岸によってきた鮭を「秋鮭」「秋味」と呼びます。鮭は川で誕生して海に下り、産卵までの数年間は北の海で成長し、産卵期の秋に再び生まれた川を上り、一生を終える代表的な回遊魚。なぜ、生まれた川に戻ってこれるのかは未だ謎ですが、川に遡上する直前の秋鮭は脂が乗って、最高に美味しい状態です。鮭は身が赤いので、赤身魚と思われがちですが、じつは白身魚です。あの赤は、白身魚特有の速筋で、エビやカニを餌にしているうちに赤くなっていきます。鮭には色々種類があります。「○○鮭」と呼ばれているものだけに限定すると、「銀鮭」「紅鮭」「白鮭」の3種類になりますが、一般的に日本で鮭というと「白鮭」になり、「銀鮭」「紅鮭」は日本の川には上りません。秋鮭も「白鮭」の一種です。産卵シーズンの9~11月に東北・北海道沿岸に寄ってきたものを秋鮭、秋味と呼び、5~7月頃にとれる鮭は、季節外れという意味で時鮭、時不知(トキシラズ)と呼ばれます。平安時代中期に律令について記された「延喜式」に、越後の国から朝廷に納める税として、鮭が献上されていたことが書かれています。産地で加工されてから運ばれてきたようで、部位によって呼び名は様々。鮭、鮭子(さけこ)、内子鮭(こごもりざけ)、氷頭(ひず)、背腸(せわた)、鮭児(けいじ)、楚割鮭(すはやりざけ)などがあります。平安時代の記録にも残っているように、昔から鮭は「捨てるところがない」と言われています。牛肉や豚肉と比べ、低カロリー低脂肪で、たんぱく質は消化吸収がよく、子供・病人・高齢者に最適なようです。脳の活性化に良いといわれているDHAもたっぷり。注目すべきは、鮭の赤色の色素でもあるアスタキサンチン。この成分は非常に強力な抗酸化作用を持っています。これから、ますます美味しくなる栄養たっぷりな「秋鮭」を、色々な味で楽しみたいですね。
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柿
さて、今日は「食欲の秋」の第1弾として柿について調べてみました。秋が深まり、柿の木に色づき始めた柿の実がなっているのをよく見かけます。「甘いのかな?渋いのかな?」と気になりませんか。なぜ、柿は甘かったり渋かったりするのでしょうか。柿には「甘柿」と「渋柿」がありますが、この違いは柿に含まれる渋み成分「タンニン」が口の中で溶けるかどうかによって決まります。未熟なうちは甘柿も渋柿も「可溶性」タンニンを含んでいますが、甘柿は成熟するとタンニンが「不溶性」(水に溶けない性質)になるため、渋く感じません。一方、渋柿は成熟してもタンニンが可溶性(水に溶ける状態)のままなので渋く感じるのです。おいしい柿を選ぶポイントは
①へたがきれいで、へたが実に張りついていて、実との間に隙間がないもの。
②色むらがなく、全体が濃い柿色。薄い色のものは甘みが少ない。
③皮に張り、つやがある。
①へたがきれいで、へたが実に張りついていて、実との間に隙間がないもの。
②色むらがなく、全体が濃い柿色。薄い色のものは甘みが少ない。
③皮に張り、つやがある。
一方、渋柿も渋抜きをすることで、甘くなって食べられるようになります。一般家庭でもよく用いられているのが、アルコールを使った方法で、渋柿のヘタの部分にアルコール濃度の高い焼酎やブランデーなどを塗って数日間置いておきます。干し柿にすると渋みは自然に抜けます。昔話などにもよく登場する「柿」。日本人にとってはなじみの深い果物といえます。古来から日本にあり日本原産のようなイメージですが、元々は古代に中国から伝わったとされています。その後改良が進み、日本の風土に合った現在の柿の形になりました。柿にはビタミンCやビタミンA、カロテン、タンニン、カリウムなどの栄養素が豊富に含まれています。また特徴的なものとしてアルコールデヒドゲナーゼという酵素が含まれており、このアルコールデヒドロゲナーゼこそが二日酔い解消に効果を発揮する重要な成分と言われています。旬のこの時期に思いっきり味わいたいですね。
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園児たちと稲刈りで交流
本日午後、農業経済科環境資源コースの3年生が近くのとねの会子ども園を訪問し、園児たちと一緒に稲刈りをおこないました。今日は羽生市からスペシャルゲストとしてイナゴージャスが応援に駆け付けてくれました。イナゴージャスはかなりのグルメで、羽生さんのお米しか食べないとあって今日はやってきたようです。稲は6月に生徒と園児たちが協力して植えたもの。4か月たってしっかりを稲穂を実らせました。生徒たちが先生となって、園児たちと稲刈りをすすめていきます。刈り取った稲を持って園児たちはとてもうれしそう! イナゴージャスも一緒にお手伝い? 1時間ほどで稲刈りができました。稲がしっかりと成長したように、生徒たちの指導も交流も成長できました。
どうやって稲刈りするのかな? こうするといいよ
みんなで記念写真 ありがとうございました
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日本の秋
10月も中旬に入りました。稲刈りや秋の収穫の声が聞こえてきます。並行して山々では紅葉も少しずつすすんでいます。10月に入って涼しい日もあり、那須高原や奥日光、志賀高原などで紅葉が始まったようです。他の国でも紅葉が見られますが、日本の紅葉は格別と言えます。京都や日光など紅葉の名勝には事欠きません。世界の国々の中でもとりわけ日本の紅葉が美しいと言われているのは、日本の気候風土のなせる技! そもそも、紅葉が見られるのは落葉樹と呼ばれる種類の木だけですが、世界の国々でも落葉樹林がまとまっているのは、東アジアの沿岸部と北アメリカ大陸の東部、ヨーロッパの一部にすぎません。日本は国土のおよそ7割が森林でさまざまな落葉樹があり、寒暖の差が結構ありますから、至るところで美しい紅葉を楽しむことができる訳です。ちなみに、明け方の最低気温が6℃~7℃位になると紅葉が始まり、およそ20日~25日後に見頃を迎えます。こうした条件と照らし合わせながら、紅葉をチェックしてみるのも楽しみですね。でも、秋の一番の楽しみは「食欲の秋」かな?
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ウエイトリフティング国体速報
福井県で開催されている国体ウエイトリフティング競技で、少年62kg級の平井翔悟君が4位、少年105kg級の柿本和希君が3位に入賞しました。日ごろの成果を十分に発揮でき、優秀な成績をあげました。
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運動会について
かつて、10月10日は体育の日で、日本各地で運動会が開催されることが多くありました。運動会は学校、会社、地域団体(地域社会、児童生徒)などの参加者および運営による協力により、規定プログラムに従って遂行される体育的な活動行事です。体育祭などと称することもあります。元々は、イギリスやドイツの職工体育的行事に起源が有りますが、日本における運動会の発足は「国威発揚」「富国強兵」「健康増進」を目的として、明治末期から社会的に広く普及]したものであることから、「近代日本独特の体育行事」であるとされています。運動会は、日本が近代国家を形成する過程において、運動会は大きな役割を果たしたと言われます。1つには、地方自治制度の整備や産業化の進展による、伝統的地域社会の再編成がすすむなかで、地域社会の統合に寄与したことが挙げられます。在学生だけではなく、その地域の大人たち、しかも子供を学校に通わせていない大人たちをも含めて、運動会に積極的に参加することで、学校を中心とする地域社会の連帯を再確認し、強固にすることが可能となりました。運動会は、従来のムラにおける「ハレ」の場に代わる役割を果たしつつ、地域社会の連帯感の強化に大きな意味を持ちました。しかし、時代が変わるなかで、競技による怪我や少子化に伴う保護者の未参加など、さまざまな課題も出てきて、運営には苦労が絶えません。ちなみに、本校の運動会(体育祭)は先10月5日(金)に実施しました。

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羽生市吹奏楽フェスティバル
本日、第21回羽生市産業文化会館ホールで羽生市吹奏楽フェスティバルが開催され、本校のブラスバンド部が参加しました。ブラスバンド部は現在は8名と少人数ですが、みんなで仲良く練習に励んでいます。午後の最初に登場し、ディズニー・フィルム・フェイヴァリッツ、He’s a Pirate、打上花火の三曲を演奏しました。生徒たちは緊張しながらも、しっかりと演奏ができました。

進行はこの2人 ディズニー・フィルム・フェイヴァリッツの演奏

ステージ右の奏者 ステージ左の奏者

進行はこの2人 ディズニー・フィルム・フェイヴァリッツの演奏
ステージ右の奏者 ステージ左の奏者
He’s a Pirateの演奏 打上花火の演奏
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PTA県外研修
昨日、PTA県外研修をおこないました。本校のPTAでは毎年10月に県外研修を実施しています。今回は東京視察で、午前中東京タワー、午後は新宿のルミネ吉本を訪問しました。スカイツリーが出来ても東京タワーは健在! この日は空はややガスっていましたが、遠くまで東京の街並みが見渡せました。吉本では若手、中堅、ベテラン?のお笑いを楽しみました。
秋の一日を楽しみました。
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体育祭
本日、体育祭を実施しました。天気予報では雨が心配でしたが、生徒が気合一杯にがんばり、競技がスムーズに進んだ結果、全競技を予定どおりおこなうことが出来ました。昨日の予行では綱引きで優勝した3年2組が得点でトップでしたが、今日も全競技に安定して得点して優勝、2位は1年5組、3位は2年4組でした。なお、最後の種目1000mリレーでは、教員チームが昨日の綱引きの生徒代表との敗戦に雪辱して、3年生とのリレーで1位になりました。気温もそれほど上がらずいい条件で実施でき、大きな怪我もなく、生徒のやる気が感じられた体育祭だったと思います。応援に来た多くの保護者の皆様も子どもたちのがんばりに満足していただけたと思います。
朝の準備 開会式
準備体操 女子200m走
男子200m走 女子80m走
男子80m走 二人三脚リレー
電卓計算リレー 大縄跳び
スウェーデンリレー 一輪車レース
ハリケーン 1000mリレー
友だちへの声援 役員の生徒の貢献
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体育祭予行
体育祭の予行をおこないました。体育館に集合して、まず準備体操。その後綱引きをおこないました。特に気合の入っていたのは2年生。多くのクラスが力を出し、ベスト4には3クラスが入りました。優勝したのは3年2組。昨年は2位で順当な結果とも言えますが、3年生のプライドと意地が出た成果かなと思います。2位は健闘した2年5組。来年が楽しみです。3位は2年4組、4位は2年3組が入りました。
午後は体育委員と運動部の生徒を中心に明日の準備。明日が体育祭本番です。天気が少し心配ですが、生徒のパワーで雨を吹き飛ばしてもらえればと思います。
1年生は初陣! 優勝は3年2組!
みんなで練習の振り返り 明日の準備をしておきましょう!
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月うさぎの話
何気なく見上げた夜空。輝く月......ただ、それを眺めているだけで心が和んできます。でも、そんな時ふっと思い浮かぶのが「月うさぎ」。月でお餅をついているという、あの月うさぎです。でも「月うさぎ」ってどれ? なぜ月にうさぎがいるのでしょう? 月の模様の黒い部分は「海」と呼ばれる低地。その黒い部分で「餅をついているうさぎ」の姿を見立てます。こうして見ると...確かに月うさぎはお餅をついています。意外と知らない月うさぎ伝説。月うさぎ伝説にも諸説ありますが、一般的に言われているのは次のようなお話です。『昔、あるところにうさぎときつねとさるがおりました。ある日、疲れ果てて食べ物を乞う老人に出会い、3匹は老人のために食べ物を集めます。さるは木の実を、きつねは魚をとってきましたが、うさぎは一生懸命頑張っても、何も持ってくることができませんでした。そこで悩んだうさぎは、「私を食べてください」といって火の中に飛び込み、自分の身を老人に捧げたのです。実は、その老人とは、3匹の行いを試そうとした帝釈天(タイシャクテン)という神様。帝釈天は、そんなうさぎを哀れみ、月の中に甦らせて、皆の手本にしたのです。』これは、仏教説話からきているお話です。また、このお話には続きがあり、『うさぎを憐れんだ老人が、その焼けた皮を剥いで月に映し、皮を剥がれたうさぎは生き返る』という説もあります。だから、月の白い部分ではなく、黒い部分がうさぎなのです。では、なぜ餅をついているのでしょうか?「うさぎが老人のために餅つきをしている」とか「うさぎが食べ物に困らないように」という説がありますが、中秋の名月が豊穣祝いであることを考えると、たくさんのお米がとれたことに感謝する意が込められているようです。
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月見の風習
月が夜空に映える季節を迎えました。その月見に不可欠なのが月見団子。月見だんごの形は地域によって異なります。江戸時代から関東では主に満月に見立てた丸型、関西では主に里芋を模した里芋型の月見だんごが供えられるようになりました。関西の月見だんごが里芋に似せてつくられるのは、旧暦の8月15日の十五夜はちょうど里芋の収穫期に当たり、芋名月と呼ばれ、里芋をお供えする風習もあったからとされています。月見だんごは、地域によってお供えする数が異なります。十五夜には十五にちなんで十五個または五個、十三夜には十三にちなんで十三個または三個をお供えする地域もあれば、その年の満月の数に合わせて十二個、閏月のある年は十三個をお供えする地域もあります。だんごは「三方(三宝)」という台に白い紙を敷き、三角形型に積み上げて、月が見える軒先や玄関などにお供えします。月見だんごや秋の収穫物とともにお供えするのが「ススキ」です。本来、月の神様を招き、月の神様が宿るのは稲穂ですが、十五夜や十三夜は稲の収穫時期には早いため、形状が稲穂に似ているススキを飾るようになりました。また、古来よりススキには魔除け、厄除けの力があると信じられており、お月見にお供えしたススキを軒先に吊るしておくと、1年間病気にならずに健康で過ごせるとされていました。

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10月の風景
10月は旧暦で神無月(かんなづき)と呼ばれます。「かみなづき」「かむなづき」とも言います。でも、あるところでは「神在月」(かみありつき)と逆の意味で呼ばれています。さて、それはなぜでしょうか? それは、かつて10月が全国の八百万の神様が一部の留守神様を残して出雲大社(島根県出雲市)へ会議に出かけてしまうと考えられてきたからです。その為、神様が出かけてしまう国では神様がいないので「神無月」、反対に出雲の国(島根県)では神様がたくさんいらっしゃるので「神在月」という訳です。秋の深まりとともに、野山が少しずつ赤や黄色で彩られる季節になりました。その彩りに誘われて出かけてみてはいかがでしょう? 空気も食事も景色も美味しくて、日本の秋に感謝したくなりますね。
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衣替え
昨夜の台風24号の風はすごかったですね。ゴーゴーと音も揺れもすごかったです。今日は台風一過で30°を超える暑い日となりそうです。
さて、今日から衣替えです。「衣替え」は、10月1日を目安に夏服から冬服へ、6月1日を目安に冬服から夏服へと替える風習です。でも考えてみると、どうして一斉に服を替えるようになったのでしょう? 衣替えは、平安時代に中国から伝わった習わしで、宮中行事として、年に2回衣を替えるようになりました。当初は「更衣(こうい)」といいましたが、女官の役職名に用いられるようになったため、「衣更え(衣替え)」と呼ばれるようになりました。江戸時代になると着物の種類が増えたため、気候に合わせて年に4回衣替えをするよう、武家社会で定められました。これが庶民にも広がっていきました。明治時代に洋服が取り入れられると、役人や軍人などが制服を着るようになり、暦も新暦に変わったため、夏服と冬服を年に2回替えるようになりました。すると、学校や家庭にも衣替えの意識が浸透し、現在に至っています。制服の場合は、ある一定の組織や集団に所属する者が着用するように定められている服装なので、一斉に衣替えをするのも道理です。とはいえ、地域によって気候風土が違うので、衣替えの日程を調整したり、春・秋用の合服を採用したりしながら、衣替えを実施しています。家庭の場合は、衣替えの日を目安に季節に合わせた衣服を着用するようになりました。その背景には、日本ならではの感性があります。日本人は、古来より、服装というのは自分のためだけのものではないと考え、着ている服が周りの人に与える影響も考慮しながら暮らしてきました。特に、大事にしてきたのが季節感で、季節を先取りするのは良いけれど、過ぎた季節をひきずるのは野暮なこととされてきました。たとえば、10月1日に全てを冬物にする方はほとんどいないと思いますが、10月に入ったら、秋らしい装いを心掛けるようになりませんか。Tシャツでも、いかにも涼しげな夏の絵柄ではなく、秋らしい色柄にしたほうが馴染むでしょう。「秋らしい」、「春っぽい」と言うのは褒め言葉ですが、その季節に合わないと、「暑苦しい」、「寒々しい」などと言うように、何気ない一言からも、私たちが日ごろから季節感を意識していることに気付きます。ですから、季節に応じた装いができるよう、家庭でも10月1日を目安に夏物と冬物を入れ替えるようになったのです。このように、衣替えには日本の感性が息づいており、衣替えを通じて衣服の季節感を養ったり、衣服の手入れ・管理・整理整頓のしかたを身につけたりしてきました。暮らしの行事は季節の巡りとともに繰り返されるので、子ども達にとっては、大変意義のある「行事育」でもあるのです。今は合理的な収納のおかげで、服の入れ替えをしない家庭もあります。また、エアコンが整っているので、1年中同じような格好の方もいます。しかし、衣替えには日本人が育んできた季節感や文化があるということを、忘れないでいて欲しいと思います。
さて、今日から衣替えです。「衣替え」は、10月1日を目安に夏服から冬服へ、6月1日を目安に冬服から夏服へと替える風習です。でも考えてみると、どうして一斉に服を替えるようになったのでしょう? 衣替えは、平安時代に中国から伝わった習わしで、宮中行事として、年に2回衣を替えるようになりました。当初は「更衣(こうい)」といいましたが、女官の役職名に用いられるようになったため、「衣更え(衣替え)」と呼ばれるようになりました。江戸時代になると着物の種類が増えたため、気候に合わせて年に4回衣替えをするよう、武家社会で定められました。これが庶民にも広がっていきました。明治時代に洋服が取り入れられると、役人や軍人などが制服を着るようになり、暦も新暦に変わったため、夏服と冬服を年に2回替えるようになりました。すると、学校や家庭にも衣替えの意識が浸透し、現在に至っています。制服の場合は、ある一定の組織や集団に所属する者が着用するように定められている服装なので、一斉に衣替えをするのも道理です。とはいえ、地域によって気候風土が違うので、衣替えの日程を調整したり、春・秋用の合服を採用したりしながら、衣替えを実施しています。家庭の場合は、衣替えの日を目安に季節に合わせた衣服を着用するようになりました。その背景には、日本ならではの感性があります。日本人は、古来より、服装というのは自分のためだけのものではないと考え、着ている服が周りの人に与える影響も考慮しながら暮らしてきました。特に、大事にしてきたのが季節感で、季節を先取りするのは良いけれど、過ぎた季節をひきずるのは野暮なこととされてきました。たとえば、10月1日に全てを冬物にする方はほとんどいないと思いますが、10月に入ったら、秋らしい装いを心掛けるようになりませんか。Tシャツでも、いかにも涼しげな夏の絵柄ではなく、秋らしい色柄にしたほうが馴染むでしょう。「秋らしい」、「春っぽい」と言うのは褒め言葉ですが、その季節に合わないと、「暑苦しい」、「寒々しい」などと言うように、何気ない一言からも、私たちが日ごろから季節感を意識していることに気付きます。ですから、季節に応じた装いができるよう、家庭でも10月1日を目安に夏物と冬物を入れ替えるようになったのです。このように、衣替えには日本の感性が息づいており、衣替えを通じて衣服の季節感を養ったり、衣服の手入れ・管理・整理整頓のしかたを身につけたりしてきました。暮らしの行事は季節の巡りとともに繰り返されるので、子ども達にとっては、大変意義のある「行事育」でもあるのです。今は合理的な収納のおかげで、服の入れ替えをしない家庭もあります。また、エアコンが整っているので、1年中同じような格好の方もいます。しかし、衣替えには日本人が育んできた季節感や文化があるということを、忘れないでいて欲しいと思います。
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