校長室日誌

わらの活用

 稲は米以外にもたくさんの副産物を人々にもたらしてきました。特に茎の部分、「わら」はさまざまなな方法で利用されてきました。日本人が稲作を始めたのは縄文時代と言われています。その頃の収穫は、穂だけを刈り取る「穂苅り」で、田んぼに残ったわらはそのまま土に還っていました。7~8世紀頃になると、収穫に鉄製の鎌などが使われるようになり、稲を根元から刈り取る「根刈り」に変化しました。刈り取られた稲を脱穀して米を収穫し始めたことで、大量のわらが残ることになり、そのわらを使ってさまざまな生活用品が作られ、利用されてきました。特にわらの文化が発展したのは江戸時代です。江戸時代には多くの農書が残されていますが、当時使われていたわらで出来た、さまざまな生活用品が紹介されています。わらは、そのまま燃料や飼料、畜舎の敷きわらなどにも使われます。ハカマを取った「すぐりわら」は、屋根葺きや土壁に使われますし、しめ縄やしめ飾りにも使われます。このすぐりわらを叩いて加工しやすくしたものが「叩きわら」です。これを使って作られたさまざまな道具の例を挙げてみました。今は使われなくなったものもたくさんあります。着るものとしてはわらじ、わらぐつ、かさ、みのなど。生活用品としてはわら縄、かご、いずめ(おひつ入れ)、鍋敷き、べんけい(串をさすもの)、円座、むしろ、畳床、縄袋、縄のれん、わら細工の馬などの飾り物など。この他、煮豆をわらで包んで発酵させた納豆は、わらがなければ生まれなかった食べ物です。様々な形で使われたわらの加工品は、傷むと補修されながら使われ、最後には燃料として燃やされたり、田畑の肥料にされたりして土に還りました。そして、また新しい稲を育む基になったのです。日本人は稲を上手に利用し、使い尽くす無駄のない生活をしてきました。最近では、若者の間では米のわらよりも、ワンピースの「麦わらのルフィ」のほうが有名でしょうか?