餅つきの由来
かつて、餅つきは年末の風物詩としてさかんにおこなわれていました。我が家にも以前は臼と杵があり、20数年前まで家族総出で12月30日に1日かけて餅つきをおこなっていました。つきたてでアツアツの餅は、大根おろしやあんこであえるとサイコーです! が、ノロウイルスが全国的に猛威を振るう中、集団食中毒の恐れがあるとして、餅つき大会を中止する動きもあります。日本には古くから稲作信仰あり、稲は「稲魂」や「穀霊」が宿った神聖なものだと考え、崇められてきました。稲から採れる米は人々の生命力を強める神聖な食べ物であり、米をついて固める餅や、米から醸造される酒はとりわけ力が高いとされています。そこで、祝い事や特別な日であるハレの日に餅つきをするようになりました。餅つきは一人ではできないため、皆の連帯感を高め、喜びを分かち合うという社会的意義もあります。そして、お正月には鏡餅、桃の節句には菱餅、端午の節句には柏餅というように、行事食としても定着していきました。とりわけ日本の行事文化の大黒柱であるお正月は、お餅が重要な役割を果たすので、年末に餅つきをするようになったのです。お正月のお餅には特別な意味があります。古来より、新年を司る「年神様」という神様が元日にやってきて、新年の魂(年魂)を授けてくれると考えられてきました。ここでいう魂とは、生きる気力のようなものです。魂を頂戴した回数を数えれば年齢がわかるので、誕生時が1歳、それ以降は元日に年をとる「数え年」が昔は一般的だったのです。この新年の魂の象徴が、丸い形をした「鏡餅」です。三種の神器に「八咫の鏡」があるように、鏡は神様の象徴でもあったため、丸い形をした昔の鏡を神聖なお餅で表すようになり、鏡餅と呼ぶようになりました。大掃除、門松、しめ飾り、おせち料理など、一連の正月行事は年神様を迎えるために成立したものですが、家にやってきた年神様は鏡餅に依り付くとされています。そして、年神様が依り付いたお餅には年神様の魂が宿るとされ、その餅を家長が家族に分け与えたのが「お年玉」のルーツです。年玉は年魂という意味で、鏡餅のほか、家族分の小さな丸餅を神棚に供え、それを下してお年玉としていたといわれています。このお餅をいただくための料理が「お雑煮」で、お餅を食べることで新年の力がつくとされてきました。お年玉はお金に変わってしまいましたが、鏡餅を雑煮にして食べるのはその名残です。こうしてみると、いかにお餅が大切かがわかります。大切だからと言って、食べ過ぎていいということではありませんが・・・。