平成29年度~校長室

平成29年度~校長室

AED講習会

 本日、AED講習会を午後2時より格技場1階の柔道場でおこない、本校職員、運動部の生徒、PTAの方々約60名が参加しました。講師は羽生消防署の方々です。AEDとは自動体外式除細動器のことで、心室細動を起こした人に電気ショックを与えることで正常なリズムに戻すための医療機器です。心室細動を起こした心臓は、ポンプとしての機能を失い、脳や身体に血液を送ることができなくなります。そのため脳や体内に酸素が供給されなくなり、やがては心臓が完全に停止して死に至ります。心室細動を起こした場合、唯一の治療方法が電気ショックを与え、心臓のリズムを正常に戻すことです。処置が1分遅れるごとに10%ずつ救命率が低下すると言われているので、できるだけ早く電気ショックを行うことで救命率も、その後の社会復帰率も向上します。AEDの使用は、2004年7月から一般市民でも使用できるようになりました。同時に普及にも力が入れられ、現在では空港や駅、学校、公共施設、企業など人が多く集まるところを中心に約20万台が設置されています。機種によって操作に多少の違いはありますが、初めての人でも簡単に使用できるように音声が使い方を指示する仕組みになっていますが、緊急の場合に冷静に対応することは難しいので講習会を開きました。今日の講習会で初めてAEDを扱う方も多く、不安を持っていたようですが、消防所の方のていねいな説明と適切な指導で皆積極的に参加し、実りのある講習となりました。特に重要なのは、AEDを使うことよりも心肺蘇生法(胸骨圧迫)をしっかりとおこなうことで生存率も高まることを確認しました。AEDを使う場面は起こってほしくないですが、まさかのための対応は必要だと改めて思いました。

 
 
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十三夜、十日夜

 このところ、雨が降る日が続きましたが、週末は久しぶりに晴れそうで、月もきれいに見えるのではと思います。明後日10月21日は十三夜です。十三夜とは、十五夜の後に巡ってくる十三夜をさし、旧暦9月13日のお月見のことを言います。十五夜(中秋の名月)から約1か月後に巡ってくる十三夜は、十五夜に次いで美しい月だと言われ、昔から大切にされていました。十五夜または十三夜のどちらか一方のお月見しかしないことを「片見月」と呼び、縁起が悪いと言われています。また、十三夜には栗や枝豆を供えることから「栗名月」「豆名月」ともいいます。十三夜も十五夜と同じで、旧暦を新暦に直して10月13日とするのではなく、その年によって日付が変化します。十日夜とは旧暦10月10日に行われる収穫祭で、東日本を中心に行われています。西日本では旧暦10月亥の子の日や11月に、類似する収穫の行事があります。その内容は地方によっても違いがあります。稲刈りが終わって田の神様が山に帰る日とされているため、稲の収穫を祝ってお餅をついて食べたり、稲の茎をたばねた「わらづと 」や「わら鉄砲」で地面を叩きながら唱えごとをして地面の神を励まし、作物にいたずらをするモグラを追い払ったりします。また、「かかしあげ」といって田んぼを見守ってくれたかかしにお供えものをして、かかしにお月見をさせてあげる地方もあります。十日夜はお月見がメインではないため、月齢に関係なく新暦の11月10日に祭りを実施する地方が多いようです。

 

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 栗は秋の味覚の代表格。洋菓子店や和菓子店にさまざまな栗のお菓子が並び、甘党にはわくわくする季節です。栗御飯や渋皮煮なども、ぜひ味わいたい秋の味覚です。栗と日本人のつながりは古く、縄文時代にまでさかのぼります。青森県青森市にある三内丸山遺跡の発掘で、原始的な狩猟生活をしていたと考えられていた縄文時代の人々は、実は集落をつくって暮らし、その周りに栗やクルミの木の林を作って、その実を主食にしていたことがわかりました。栗は大事な食料であり、縄文時代から栽培されていたのです。弥生時代以降、雑穀の栽培や稲作が始まっても、栗は飢饉などに備える救荒作物として植えられてきました。また、栗の実を干し、臼でついて殻と渋皮を取り除いたものを「搗ち栗(かちぐり)」といい、保存食として用いられてきました。臼でつくことを「搗つ」といい、それが「勝つ」に通じることから「勝ち栗」とされ、勝利を祈願する縁起物として戦国武将が戦の前に食べたといわれます。二ホングリは日本原生の野生種で、柴栗(シバグリ)と呼ばれ、今も山野に自生しています。栽培種は果実が大きく、味も良いのが特徴です。有名な「丹波栗」は京都の丹波地方で採れる大栗の総称で、江戸時代には将軍家や御所にも献上されたそうです。チュウゴクグリは「天津甘栗」としておなじみの栗です。小粒ですが、渋皮がむきやすく、焼き栗で食べるとおいしいです。ヨーロッパグリは樹勢が強く大木になりますが、果実の大きさは二ホングリより小さめです。渋皮がむきやすいのも特徴です。街角のあちこちで焼き栗として売られており、お菓子や料理にもよく使われます。栗にはカリウム、カルシウム、マグネシウム、リン、亜鉛、鉄など私たちの健康に欠かせないミネラルが豊富に含まれています。また、葉酸などのビタミンB群や食物繊維も多く含んでおり、栄養的にも優れた食べものです。また、栗の木は他の木材に比べて、耐水性や耐久性にすぐれているので、昔から家の屋根や床板、柱などに重用されていました。明治時代になって鉄道が開設されると、枕木として利用されたのが栗の木です。鉄道が日本中に伸びていったこの時期、全国の莫大な量の栗の木が伐採されていきました。コンクリート製の枕木が登場するまで、日本の鉄道発展の陰には栗の木の多大な貢献があったのです。

 

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わらの活用

 稲は米以外にもたくさんの副産物を人々にもたらしてきました。特に茎の部分、「わら」はさまざまなな方法で利用されてきました。日本人が稲作を始めたのは縄文時代と言われています。その頃の収穫は、穂だけを刈り取る「穂苅り」で、田んぼに残ったわらはそのまま土に還っていました。7~8世紀頃になると、収穫に鉄製の鎌などが使われるようになり、稲を根元から刈り取る「根刈り」に変化しました。刈り取られた稲を脱穀して米を収穫し始めたことで、大量のわらが残ることになり、そのわらを使ってさまざまな生活用品が作られ、利用されてきました。特にわらの文化が発展したのは江戸時代です。江戸時代には多くの農書が残されていますが、当時使われていたわらで出来た、さまざまな生活用品が紹介されています。わらは、そのまま燃料や飼料、畜舎の敷きわらなどにも使われます。ハカマを取った「すぐりわら」は、屋根葺きや土壁に使われますし、しめ縄やしめ飾りにも使われます。このすぐりわらを叩いて加工しやすくしたものが「叩きわら」です。これを使って作られたさまざまな道具の例を挙げてみました。今は使われなくなったものもたくさんあります。着るものとしてはわらじ、わらぐつ、かさ、みのなど。生活用品としてはわら縄、かご、いずめ(おひつ入れ)、鍋敷き、べんけい(串をさすもの)、円座、むしろ、畳床、縄袋、縄のれん、わら細工の馬などの飾り物など。この他、煮豆をわらで包んで発酵させた納豆は、わらがなければ生まれなかった食べ物です。様々な形で使われたわらの加工品は、傷むと補修されながら使われ、最後には燃料として燃やされたり、田畑の肥料にされたりして土に還りました。そして、また新しい稲を育む基になったのです。日本人は稲を上手に利用し、使い尽くす無駄のない生活をしてきました。最近では、若者の間では米のわらよりも、ワンピースの「麦わらのルフィ」のほうが有名でしょうか?

        
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稲刈り

 稲刈りが学校の周りの田んぼでおこなわれています。稲刈りは古来より日本の農村における秋の代表的な風物誌です。日本では第二次世界大戦後も長く、鎌を用いて手作業で稲刈りが行われました。稲刈りに使用する鎌は、刃先が鋸になった特殊なもので、イネの茎の切断が容易に出来るよう工夫されていました。しかし、稲刈りの作業は近年のコンバインの登場によって大きく様変りしました。コンバインは1940年代に初めて登場し、高度経済成長期以降徐々に普及しました。稲刈りから脱穀までの作業を一貫して行えるのがコンバインの特徴です。稲刈りから脱穀をまとめておこないますが、その間籾の乾燥工程がないので、脱穀された籾は直ちに専用の穀物乾燥機にかけられます。現在でも、山間地や棚田など大型の農業機械の導入が困難な田んぼや、米の栄養や旨味を増したいと言う目的で、バインダーで刈り取り、稲木にかけて乾燥、ハーベスターで脱穀するという組み合わせで収穫するか、もしくは鎌を用いた従来どおりの作業方法が採られています。コンバインの普及により作業時間は大幅に短縮されたが、車両後方に排出される藁のくずが皮膚に付着すると、比較的大きな痒みや肌荒れが起きる為、コンバイン搭乗者以外の作業従事者は、作業時の風向きに十分注意する必要があります。稲刈りをおこなっている農家が顔を覆うようにタオルや手ぬぐいを着用しているのは、その痒みを事前に防ぐ為であるようです。近年は高価ですがキャビン付きの車両も登場しており、搭乗者の負担は大幅に減少しています。刈り取られた稲は水分が多いので、稲架にかけて天日干しされ、十分乾燥した頃に脱穀をおこないます。人力のみに頼った頃は、多人数が必要であったため、当然のように子供も動員されました。そのため、農村域では学校でも休暇を設定しているのが普通でした。農繁休暇と呼ばれましたが、一般には稲刈り休みと呼んでいました。神社で神に捧げる少量の稲を神職や氏子などの手により作られている場合もあり、この場合、稲刈りは大体手作業でおこなわれます。皇居でも生物学御研究所脇に御田があり、毎年9月下旬に天皇が自ら手作業で稲刈りをおこないます。この行事は昭和天皇が始めたもので、今上天皇にも引き継がれています。収穫した稲は伊勢の神宮に納めたり、皇居内の神事に使うほか、天皇一家の食事にも使用されています。

 
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鮭(しゃけ、サケ)

 「食欲の秋」の第2弾として鮭について調べました。秋の味覚といえば鮭。塩焼きやムニエル、スモークサーモン、寿司も美味しいですね。鮭は9~11月に川を上ります。主に東北・北海道沿岸によってきた鮭を「秋鮭」「秋味」と呼びます。鮭は川で誕生して海に下り、産卵までの数年間は北の海で成長し、産卵期の秋に再び生まれた川を上り、一生を終える代表的な回遊魚。なぜ、生まれた川に戻ってこれるのかは未だ謎ですが、川に遡上する直前の秋鮭は脂が乗って、最高に美味しい状態です。鮭は身が赤いので、赤身魚と思われがちですが、じつは白身魚です。あの赤は、白身魚特有の速筋で、エビやカニを餌にしているうちに赤くなっていきます。鮭には色々種類があります。「○○鮭」と呼ばれているものだけに限定すると、「銀鮭」「紅鮭」「白鮭」の3種類になりますが、一般的に日本で鮭というと「白鮭」になり、「銀鮭」「紅鮭」は日本の川には上りません。秋鮭も「白鮭」の一種です。産卵シーズンの9~11月に東北・北海道沿岸に寄ってきたものを秋鮭、秋味と呼び、5~7月頃にとれる鮭は、季節外れという意味で時鮭、時不知(トキシラズ)と呼ばれます。平安時代中期に律令について記された「延喜式」に、越後の国から朝廷に納める税として、鮭が献上されていたことが書かれています。産地で加工されてから運ばれてきたようで、部位によって呼び名は様々。鮭、鮭子(さけこ)、内子鮭(こごもりざけ)、氷頭(ひず)、背腸(せわた)、鮭児(けいじ)、楚割鮭(すはやりざけ)などがあります。平安時代の記録にも残っているように、昔から鮭は「捨てるところがない」と言われています。牛肉や豚肉と比べ、低カロリー低脂肪で、たんぱく質は消化吸収がよく、子供・病人・高齢者に最適なようです。脳の活性化に良いといわれているDHAもたっぷり。注目すべきは、鮭の赤色の色素でもあるアスタキサンチン。この成分は非常に強力な抗酸化作用を持っています。これから、ますます美味しくなる栄養たっぷりな「秋鮭」を、色々な味で楽しみたいですね。

 
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 さて、今日は「食欲の秋」の第1弾として柿について調べてみました。秋が深まり、柿の木に色づき始めた柿の実がなっているのをよく見かけます。「甘いのかな?渋いのかな?」と気になりませんか。なぜ、柿は甘かったり渋かったりするのでしょうか。柿には「甘柿」と「渋柿」がありますが、この違いは柿に含まれる渋み成分「タンニン」が口の中で溶けるかどうかによって決まります。未熟なうちは甘柿も渋柿も「可溶性」タンニンを含んでいますが、甘柿は成熟するとタンニンが「不溶性」(水に溶けない性質)になるため、渋く感じません。一方、渋柿は成熟してもタンニンが可溶性(水に溶ける状態)のままなので渋く感じるのです。おいしい柿を選ぶポイントは
①へたがきれいで、へたが実に張りついていて、実との間に隙間がないもの。
②色むらがなく、全体が濃い柿色。薄い色のものは甘みが少ない。
③皮に張り、つやがある。
 一方、渋柿も渋抜きをすることで、甘くなって食べられるようになります。一般家庭でもよく用いられているのが、アルコールを使った方法で、渋柿のヘタの部分にアルコール濃度の高い焼酎やブランデーなどを塗って数日間置いておきます。干し柿にすると渋みは自然に抜けます。昔話などにもよく登場する「柿」。日本人にとってはなじみの深い果物といえます。古来から日本にあり日本原産のようなイメージですが、元々は古代に中国から伝わったとされています。その後改良が進み、日本の風土に合った現在の柿の形になりました。柿にはビタミンCやビタミンA、カロテン、タンニン、カリウムなどの栄養素が豊富に含まれています。また特徴的なものとしてアルコールデヒドゲナーゼという酵素が含まれており、このアルコールデヒドロゲナーゼこそが二日酔い解消に効果を発揮する重要な成分と言われています。旬のこの時期に思いっきり味わいたいですね。

 
 
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園児たちと稲刈りで交流

 本日午後、農業経済科環境資源コースの3年生が近くのとねの会子ども園を訪問し、園児たちと一緒に稲刈りをおこないました。今日は羽生市からスペシャルゲストとしてイナゴージャスが応援に駆け付けてくれました。イナゴージャスはかなりのグルメで、羽生さんのお米しか食べないとあって今日はやってきたようです。稲は6月に生徒と園児たちが協力して植えたもの。4か月たってしっかりを稲穂を実らせました。生徒たちが先生となって、園児たちと稲刈りをすすめていきます。刈り取った稲を持って園児たちはとてもうれしそう! イナゴージャスも一緒にお手伝い? 1時間ほどで稲刈りができました。稲がしっかりと成長したように、生徒たちの指導も交流も成長できました。

 
 どうやって稲刈りするのかな?    こうするといいよ 
 
   みんなで記念写真      ありがとうございました
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日本の秋

 10月も中旬に入りました。稲刈りや秋の収穫の声が聞こえてきます。並行して山々では紅葉も少しずつすすんでいます。10月に入って涼しい日もあり、那須高原や奥日光、志賀高原などで紅葉が始まったようです。他の国でも紅葉が見られますが、日本の紅葉は格別と言えます。京都や日光など紅葉の名勝には事欠きません。世界の国々の中でもとりわけ日本の紅葉が美しいと言われているのは、日本の気候風土のなせる技! そもそも、紅葉が見られるのは落葉樹と呼ばれる種類の木だけですが、世界の国々でも落葉樹林がまとまっているのは、東アジアの沿岸部と北アメリカ大陸の東部、ヨーロッパの一部にすぎません。日本は国土のおよそ7割が森林でさまざまな落葉樹があり、寒暖の差が結構ありますから、至るところで美しい紅葉を楽しむことができる訳です。ちなみに、明け方の最低気温が6℃~7℃位になると紅葉が始まり、およそ20日~25日後に見頃を迎えます。こうした条件と照らし合わせながら、紅葉をチェックしてみるのも楽しみですね。でも、秋の一番の楽しみは「食欲の秋」かな?

 
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ウエイトリフティング国体速報

 福井県で開催されている国体ウエイトリフティング競技で、少年62kg級の平井翔悟君が4位、少年105kg級の柿本和希君が3位に入賞しました。日ごろの成果を十分に発揮でき、優秀な成績をあげました。

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運動会について

 かつて、10月10日は体育の日で、日本各地で運動会が開催されることが多くありました。運動会は学校、会社、地域団体(地域社会、児童生徒)などの参加者および運営による協力により、規定プログラムに従って遂行される体育的な活動行事です。体育祭などと称することもあります。元々は、イギリスやドイツの職工体育的行事に起源が有りますが、日本における運動会の発足は「国威発揚」「富国強兵」「健康増進」を目的として、明治末期から社会的に広く普及]したものであることから、「近代日本独特の体育行事」であるとされています。運動会は、日本が近代国家を形成する過程において、運動会は大きな役割を果たしたと言われます。1つには、地方自治制度の整備や産業化の進展による、伝統的地域社会の再編成がすすむなかで、地域社会の統合に寄与したことが挙げられます。在学生だけではなく、その地域の大人たち、しかも子供を学校に通わせていない大人たちをも含めて、運動会に積極的に参加することで、学校を中心とする地域社会の連帯を再確認し、強固にすることが可能となりました。運動会は、従来のムラにおける「ハレ」の場に代わる役割を果たしつつ、地域社会の連帯感の強化に大きな意味を持ちました。しかし、時代が変わるなかで、競技による怪我や少子化に伴う保護者の未参加など、さまざまな課題も出てきて、運営には苦労が絶えません。ちなみに、本校の運動会(体育祭)は先10月5日(金)に実施しました。

 

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羽生市吹奏楽フェスティバル

 本日、第21回羽生市産業文化会館ホールで羽生市吹奏楽フェスティバルが開催され、本校のブラスバンド部が参加しました。ブラスバンド部は現在は8名と少人数ですが、みんなで仲良く練習に励んでいます。午後の最初に登場し、ディズニー・フィルム・フェイヴァリッツ、He’s a Pirate、打上花火の三曲を演奏しました。生徒たちは緊張しながらも、しっかりと演奏ができました。

 
   進行はこの2人    ディズニー・フィルム・フェイヴァリッツの演奏
 
   ステージ右の奏者         ステージ左の奏者
 
 He’s a Pirateの演奏        打上花火の演奏
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PTA県外研修

 昨日、PTA県外研修をおこないました。本校のPTAでは毎年10月に県外研修を実施しています。今回は東京視察で、午前中東京タワー、午後は新宿のルミネ吉本を訪問しました。スカイツリーが出来ても東京タワーは健在! この日は空はややガスっていましたが、遠くまで東京の街並みが見渡せました。吉本では若手、中堅、ベテラン?のお笑いを楽しみました。
 秋の一日を楽しみました。

 
 
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体育祭

 本日、体育祭を実施しました。天気予報では雨が心配でしたが、生徒が気合一杯にがんばり、競技がスムーズに進んだ結果、全競技を予定どおりおこなうことが出来ました。昨日の予行では綱引きで優勝した3年2組が得点でトップでしたが、今日も全競技に安定して得点して優勝、2位は1年5組、3位は2年4組でした。なお、最後の種目1000mリレーでは、教員チームが昨日の綱引きの生徒代表との敗戦に雪辱して、3年生とのリレーで1位になりました。気温もそれほど上がらずいい条件で実施でき、大きな怪我もなく、生徒のやる気が感じられた体育祭だったと思います。応援に来た多くの保護者の皆様も子どもたちのがんばりに満足していただけたと思います。

 
     朝の準備             開会式    
 
     準備体操            女子200m走
 
     男子200m走          女子80m走
 
    男子80m走           二人三脚リレー
 
    電卓計算リレー           大縄跳び
 
    スウェーデンリレー          一輪車レース
 
      ハリケーン                            1000mリレー
 
   友だちへの声援         役員の生徒の貢献
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体育祭予行

 体育祭の予行をおこないました。体育館に集合して、まず準備体操。その後綱引きをおこないました。特に気合の入っていたのは2年生。多くのクラスが力を出し、ベスト4には3クラスが入りました。優勝したのは3年2組。昨年は2位で順当な結果とも言えますが、3年生のプライドと意地が出た成果かなと思います。2位は健闘した2年5組。来年が楽しみです。3位は2年4組、4位は2年3組が入りました。
 午後は体育委員と運動部の生徒を中心に明日の準備。明日が体育祭本番です。天気が少し心配ですが、生徒のパワーで雨を吹き飛ばしてもらえればと思います。

 
     1年生は初陣!            優勝は3年2組!
 
  みんなで練習の振り返り   明日の準備をしておきましょう!
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月うさぎの話

 何気なく見上げた夜空。輝く月......ただ、それを眺めているだけで心が和んできます。でも、そんな時ふっと思い浮かぶのが「月うさぎ」。月でお餅をついているという、あの月うさぎです。でも「月うさぎ」ってどれ? なぜ月にうさぎがいるのでしょう? 月の模様の黒い部分は「海」と呼ばれる低地。その黒い部分で「餅をついているうさぎ」の姿を見立てます。こうして見ると...確かに月うさぎはお餅をついています。意外と知らない月うさぎ伝説。月うさぎ伝説にも諸説ありますが、一般的に言われているのは次のようなお話です。『昔、あるところにうさぎときつねとさるがおりました。ある日、疲れ果てて食べ物を乞う老人に出会い、3匹は老人のために食べ物を集めます。さるは木の実を、きつねは魚をとってきましたが、うさぎは一生懸命頑張っても、何も持ってくることができませんでした。そこで悩んだうさぎは、「私を食べてください」といって火の中に飛び込み、自分の身を老人に捧げたのです。実は、その老人とは、3匹の行いを試そうとした帝釈天(タイシャクテン)という神様。帝釈天は、そんなうさぎを哀れみ、月の中に甦らせて、皆の手本にしたのです。』これは、仏教説話からきているお話です。また、このお話には続きがあり、『うさぎを憐れんだ老人が、その焼けた皮を剥いで月に映し、皮を剥がれたうさぎは生き返る』という説もあります。だから、月の白い部分ではなく、黒い部分がうさぎなのです。では、なぜ餅をついているのでしょうか?「うさぎが老人のために餅つきをしている」とか「うさぎが食べ物に困らないように」という説がありますが、中秋の名月が豊穣祝いであることを考えると、たくさんのお米がとれたことに感謝する意が込められているようです。

      
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月見の風習

 月が夜空に映える季節を迎えました。その月見に不可欠なのが月見団子。月見だんごの形は地域によって異なります。江戸時代から関東では主に満月に見立てた丸型、関西では主に里芋を模した里芋型の月見だんごが供えられるようになりました。関西の月見だんごが里芋に似せてつくられるのは、旧暦の8月15日の十五夜はちょうど里芋の収穫期に当たり、芋名月と呼ばれ、里芋をお供えする風習もあったからとされています。月見だんごは、地域によってお供えする数が異なります。十五夜には十五にちなんで十五個または五個、十三夜には十三にちなんで十三個または三個をお供えする地域もあれば、その年の満月の数に合わせて十二個、閏月のある年は十三個をお供えする地域もあります。だんごは「三方(三宝)」という台に白い紙を敷き、三角形型に積み上げて、月が見える軒先や玄関などにお供えします。月見だんごや秋の収穫物とともにお供えするのが「ススキ」です。本来、月の神様を招き、月の神様が宿るのは稲穂ですが、十五夜や十三夜は稲の収穫時期には早いため、形状が稲穂に似ているススキを飾るようになりました。また、古来よりススキには魔除け、厄除けの力があると信じられており、お月見にお供えしたススキを軒先に吊るしておくと、1年間病気にならずに健康で過ごせるとされていました。

 

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10月の風景

 10月は旧暦で神無月(かんなづき)と呼ばれます。「かみなづき」「かむなづき」とも言います。でも、あるところでは「神在月」(かみありつき)と逆の意味で呼ばれています。さて、それはなぜでしょうか? それは、かつて10月が全国の八百万の神様が一部の留守神様を残して出雲大社(島根県出雲市)へ会議に出かけてしまうと考えられてきたからです。その為、神様が出かけてしまう国では神様がいないので「神無月」、反対に出雲の国(島根県)では神様がたくさんいらっしゃるので「神在月」という訳です。秋の深まりとともに、野山が少しずつ赤や黄色で彩られる季節になりました。その彩りに誘われて出かけてみてはいかがでしょう? 空気も食事も景色も美味しくて、日本の秋に感謝したくなりますね。

 
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衣替え

 昨夜の台風24号の風はすごかったですね。ゴーゴーと音も揺れもすごかったです。今日は台風一過で30°を超える暑い日となりそうです。
 さて、今日から衣替えです。「衣替え」は、10月1日を目安に夏服から冬服へ、6月1日を目安に冬服から夏服へと替える風習です。でも考えてみると、どうして一斉に服を替えるようになったのでしょう? 
衣替えは、平安時代に中国から伝わった習わしで、宮中行事として、年に2回衣を替えるようになりました。当初は「更衣(こうい)」といいましたが、女官の役職名に用いられるようになったため、「衣更え(衣替え)」と呼ばれるようになりました。江戸時代になると着物の種類が増えたため、気候に合わせて年に4回衣替えをするよう、武家社会で定められました。これが庶民にも広がっていきました。明治時代に洋服が取り入れられると、役人や軍人などが制服を着るようになり、暦も新暦に変わったため、夏服と冬服を年に2回替えるようになりました。すると、学校や家庭にも衣替えの意識が浸透し、現在に至っています。制服の場合は、ある一定の組織や集団に所属する者が着用するように定められている服装なので、一斉に衣替えをするのも道理です。とはいえ、地域によって気候風土が違うので、衣替えの日程を調整したり、春・秋用の合服を採用したりしながら、衣替えを実施しています。家庭の場合は、衣替えの日を目安に季節に合わせた衣服を着用するようになりました。その背景には、日本ならではの感性があります。日本人は、古来より、服装というのは自分のためだけのものではないと考え、着ている服が周りの人に与える影響も考慮しながら暮らしてきました。特に、大事にしてきたのが季節感で、季節を先取りするのは良いけれど、過ぎた季節をひきずるのは野暮なこととされてきました。たとえば、10月1日に全てを冬物にする方はほとんどいないと思いますが、10月に入ったら、秋らしい装いを心掛けるようになりませんか。Tシャツでも、いかにも涼しげな夏の絵柄ではなく、秋らしい色柄にしたほうが馴染むでしょう。「秋らしい」、「春っぽい」と言うのは褒め言葉ですが、その季節に合わないと、「暑苦しい」、「寒々しい」などと言うように、何気ない一言からも、私たちが日ごろから季節感を意識していることに気付きます。ですから、季節に応じた装いができるよう、家庭でも10月1日を目安に夏物と冬物を入れ替えるようになったのです。このように、衣替えには日本の感性が息づいており、衣替えを通じて衣服の季節感を養ったり、衣服の手入れ・管理・整理整頓のしかたを身につけたりしてきました。暮らしの行事は季節の巡りとともに繰り返されるので、子ども達にとっては、大変意義のある「行事育」でもあるのです。今は合理的な収納のおかげで、服の入れ替えをしない家庭もあります。また、エアコンが整っているので、1年中同じような格好の方もいます。しかし、衣替えには日本人が育んできた季節感や文化があるということを、忘れないでいて欲しいと思います。

 

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学校説明会

 本日、学校説明会を実施しました。朝から雨模様でしたが、200名ほどの中学生・保護者の方々に参加をしていただきました。説明会では学校全体や入試に関すること、商業科・農業科の説明をおこない、その後、希望者ごとに体験講座(商業系で簿記・総合実践、農業系でナシの品質調査・食品製造)、施設見学、個別相談に参加していただきました。中学生や保護者の方々に本校を知ってもらうよい機会とすることができました。

 
    受付をお願いします            商業科の説明
 
    農業科の説明           施設見学
 
  商業系講座(総合実践)       商業系講座(簿記)
 
  農業系講座(食品製造)   農業系講座(ナシの品質調査)
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秋の深まり

 朝の最低気温が20℃を下回り、お彼岸が過ぎ、夜の時間が昼よりも長くなりました。1か月前は6時頃だった夕暮れも5時半頃になり、夕方になると虫の鳴き声が響きます。朝夕ずいぶんと涼しくなり、日中は気温の高い日もありますが、空の色は8月までとは違うように感じます。早いもので9月も終わりに近づき、10月を迎えようとしています。10月は生徒の楽しみ?にしている体育祭や文化祭があり、活躍の場が広がります。スポーツの秋、食欲の秋、読書の秋、収穫の秋など、さまざまな秋が喜びを与えてくれます。
皆さんはどのような秋を楽しみますか?

 
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金木犀(きんもくせい)

 最近近くを通ると、ふいに香ってくる甘い香りで「あ、金木犀(きんもくせい)が咲いているな」と気がつくことがあります。金木犀は、その姿より先に香りで気づかれるほどの豊かな芳香が特徴です。金木犀はモクセイ科モクセイ属の常緑小高木樹で、9月下旬から10月上旬に小さなオレンジ色の花をたくさん咲かせます。高さは3~6mに育ち、刈り込んで垣根にもできるので、庭先や公園などでもよく見かけます。特徴は何といってもその香りで、梔子(くちなし)、沈丁花(じんちょうげ)とともに「三香木(さんこうぼく)」と呼ばれています。金木犀と沈丁花の香りはよく似ていますが、春先に香るのは沈丁花、秋の訪れとともに香るのは金木犀です。金木犀の花ことばは、「謙虚、謙遜」「真実、真実の愛」「初恋」「陶酔」。その香りのすばらしさに比べて、花が控えめなところから「謙虚、謙遜」。また、金木犀の香りは甘くて官能的なところから「陶酔」という花ことばもぴったりです。一度嗅ぐと忘れられないような芳香は、「真実の愛」「初恋」にも通じるものかもしれませんね。金木犀の香りはリラックス効果が高く、不安感やイライラを鎮めてくれるそうです。金木犀の香りは、合成されてトイレ用消臭剤にも使われたので、そのイメージが強いのが少し残念ですが、本物の花の香りはやさしく心が落ち着きます。金木犀は中国原産で、中国ではモクセイの花を「桂花(けいか)」と呼びます。原産地として地名の由来にまでなっている「桂林」の桂花樹は有名です。奇岩がそそり立ち水墨画のような風景で知られる漓江(りこう)のまわりにもたくさん植えられています。金木犀は、花は咲くものの実がなりません。金木犀には雄株と雌株があり、日本に伝えられたのが金木犀の雄株ばかりだったためといわれています。名前の由来は、樹皮が動物のサイ(犀)の皮に似ていて、金色の花を咲かせるからと言われています。いつ頃から木犀と呼ばれたのかはわかりませんが、その当時サイをどこでみたのかなぁと不思議な気持ちになります。

 

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おはぎ・ぼたもち

 お彼岸のお供えものの定番といえば「おはぎ」や「ぼたもち」。いずれも、もち米とうるち米を混ぜて炊き、適度につぶして丸めたものを小豆あんで包んだ和菓子ですが、季節によって呼び名や作り方が変わります。その違いを比べてみると・・・春に咲く牡丹の花にちなみ、春は「ぼたもち」といい、「牡丹餅」と書きます。牡丹は大きくて丸い花。そこで「ぼたもち」は大きめで丸い形に作ります。材料となる小豆は秋に収穫されるので、冬を越した春は、固くなった小豆の皮を取ってこしあんにして使っていました。だから「ぼたもち」はこしあん。一方、秋は萩の花にちなんで「おはぎ」といい、「御萩」と書きます。萩は小さくてやや細長い花。そこで「おはぎ」は小ぶりで俵の形に作ります。材料となる小豆は秋に収穫されます。とれたての小豆が使える秋は、皮ごと使った粒あんを使っていました。だから「おはぎ」は粒あん。現在は、こうした違いにこだわらないものが多くなりましたが、本来は春と秋で区別していたのです。粒あんを使った「おはぎ」は意外と簡単に手作りできますので、ご先祖様に思いを馳せながら「手作りおはぎ」に挑戦してみませんか?
           

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今日は開校記念日

 今日は開校記念日で、生徒たちはお休み。午前中停電もあり、部活動もバスケットバール部、バレーボール部、ソフトテニス部の女子、ソフトボール部が活動している程度で、校内は静かです。10時過ぎに雨が降り始め、体育館の部を除いて早めの終了。雨は一時激しく降っていましたが、小降りになったり、また激しいくなったりと今日は降り続きそうです。30°を超す日もなくなり、涼しい日が続くようになり、秋の気配が漂ってきます。来月は体育祭、文化祭があり、生徒の活躍の場面が多くなります。今週はその前の静かさといった感じがあります。

 
 ソフト部は階段でサーキット     テニス部は女子のみ活動
 
    バスケ部とバレー部       この後雨が降り出しました

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お月見について

 空が澄み、お月見にぴったりの時季となりました。お月見といえば「十五夜」の「満月」を思い浮かべますね。十五夜とは本来は満月のことですから、年に12回または13回めぐってきます。中でも旧暦の8月は1年の中で最も空が澄みわたり月が明るく美しいとされていたため、平安時代から観月の宴が開催され、江戸時代から収穫祭として広く親しまれるようになり、十五夜といえば旧暦の8月15日を指すようになりました。しかし、十五夜には思わずびっくりの秘密があるのです。旧暦の十五夜を新暦に置き換えて、9月15日と思っている方も多いでしょう。しかし、月の満ち欠けを基準にしていた旧暦と、太陽の動きを基準にしている現在の暦にはズレが生じます。そのため、実際には毎年9月中旬~10月上旬の間に旧暦の8月15日がやってきます。これだけ幅があると何かと大変なため、十五夜関連の行事を毎年9月15日に固定化している場合もありますが、正確には違うのです。今年は昨日9月24日が十五夜に当たります。ところで、十五夜は満月だと思い込んでいませんか? 実は1~2日ずれることが多いのです。これは月と地球の公転軌道の関係で新月から満月までの日数が14日間~16日間と日数に差があり、満月になるまでの日数が違うため。十五夜が満月にあたるとは限りませんが、十五夜にお月見をするのが習わしです。また、十五夜を「ちゅうしゅうのめいげつ」と言いますが、「中秋の名月」と書いても「仲秋の名月」と書いても正解。漢字によって意味が違うのです。旧暦の秋は7月・8月・9月。7月を初秋、8月を仲秋、9月を晩秋といいました。つまり仲秋とは8月の別称で、仲秋の名月=8月の名月という意味になります。一方、中秋の名月とは、秋のちょうど真ん中の日を中秋といい、8月15日が中秋にあたります。そのため、中秋の名月=8月15日の名月という意味になり、十五夜のときは中秋の名月と書く場合が多いのです。「中秋の名月・十五夜」はひときわ美しいと言われますが、他にも十三夜、十日夜(とおかんや)のお月見行事があるのをご存知ですか? 十三夜は聞いた事があるけど、十日夜は知らないという方も多いと思いますが、昔からこの3日間が晴れると良いことがあるとされています。十三夜は後日説明します。

 
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彼岸花(ひがんばな)

 最近、道端に彼岸花(ひがんばな)を見る機会が増えました。彼岸花は秋のお彼岸頃に咲くのでこの名前になっています。曼珠沙華(まんじゅしゃげ)と呼ばれることもあります。田舎道の脇に群生していたりしますが,町中でも空き地や家庭の庭等に見かけます。根のところにはリコリンという毒がありますが、この毒は水で何回もさらせばとれるので、昔の人はこの根の部分からデンプンをとって飢饉の際の食料としました。彼岸花はまっすぐな茎の上に花だけをつけます。葉は花が散った後にゆっくり生まれ出ます。韓国名はロマンチックで、サンシチヨと呼び「想思華」と書きます。1本の茎を共有しながら花と葉は決して出会うことはありません。花は葉を想い、葉は花を思い焦がれているから「想思華」という訳です。彼岸花が野や里に朱を散らすと、爽やかな風とともに秋がやってきます。

 

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お彼岸

 今日は彼岸(ひがん)の入りです。彼岸とは雑節の一つで、春分・秋分を中日とし、前後各3日を合わせた7日間のことです。また、この期間に行われる仏事(彼岸会)のことでもあります。最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「はしりくち」と言います。元々は、煩悩を脱した悟りの境地のことで、煩悩や迷いに満ちたこの世をこちら側の岸「此岸」(しがん)と言うのに対して、向う側の岸「彼岸」と言います。彼岸の仏事は浄土思想に由来します。浄土思想で信じられている極楽浄土(阿弥陀如来が治める浄土の一種)は西方の遙か彼方にあると考えられていました(西方浄土ともいう)。春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりです。元々は中国から伝わったもので、心に極楽浄土を思い描き浄土に生まれ変われることを願ったもの(念仏)ですが、日本に伝来後いつの間にか法要を営み祖先を祀る行事へと変化しました。806年(大同1年)、日本で初めて彼岸会が行われました。この時、崇道天皇のために諸国の国分寺の僧に命じて「七日金剛般若経を読まわしむ」と日本後紀に記述されています。不思議なことに、彼岸は現在のインド、中国にはみられず、日本固有の行事なのです。そこには日本古来の農耕儀礼や、祖霊崇拝と仏教を結びつけて、親しみやすくし、なんとか人々に仏教を歩ませようとした先人の願いが感じられてきます。


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減塩推進の授業をおこないました

 本日3、4限の2年5組の調理の授業に、羽生市と羽生市食生活改善推進員協議会の方々を講師にお招きし、生活習慣病予防ための減塩推進スキルアップの授業をおこないました。初めに講師の先生からは朝食をきちんと食べること、1日に野菜を350gしっかり採ること等の指導をいただき、塩分の採り過ぎがさまざまな生活習慣病を招くことを学びました。その後、減塩のメニューとして、トマト親子丼と具だくさんピリ辛味噌汁を作りました。講義を受けた生徒たちは、塩分や他の調味料もきちんと量を計り、ヘルシーな野菜たっぷり、塩分控えめのメニューができました。トマトが親子丼とうまくマッチし、ピリ辛の味噌汁が食欲をそそります。美味しくいただきました。
 減塩などまだまだと考えていた生徒もいるかと思いますが、今回の講義・実習を機に、健康な食生活をしっかりと考えて、実行してもらえればと思いました。

 
  今日のメニューはこれ!    しっかり調理しましょう!
 
      できました         美味しくできてよかった!
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放生会(ほうじょうえ)

 放生会(ほうじょうえ)は、旧暦の8月15日におこなわれる儀式で、人間が捕えた生き物を放し、自然界に返してあげることにより、殺生つまり生き物を殺すことを戒め、生き物の命の重さを説く仏教の儀式です。仏教の戒律である「殺生戒」を元とし、日本では神仏習合によって神道にも取り入れられていました。収穫祭・感謝祭の意味も含めて、春または秋に全国の寺院や宇佐神宮(大分県宇佐市)をはじめとする全国の八幡宮(八幡神社)で催されています。江戸時代には庶民の間に広まり、放生会の日になると人々は飼っている動物や魚、カメなどを空や川、海、森などに放して自由にしてあげました。但し、動物を飼っていない人も大勢いたので、寺社の境内や門前、川沿いの露店や行商人が逃がしてやるための「放し鳥」や「放しうさぎ」などを売り、わざわざお金を払って、買った鳥やうさぎを川や野原に逃がしたこともありました。人間に捕獲された生き物を自然に戻してあげることで、人々は功徳を積み、家内安全や商売繁盛を期待しました。

 
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きのこ

 秋がすすんでいるなという空気が漂っています。秋は食欲の秋でもあります。きのこの美味しい季節ですね。一般に流通しているきのこ類は、栽培品が主流ではありますが、それでも秋が旬です。きのこは低カロリーで、ビタミンB群・ビタミンDなどのビタミン類や、カリウムなどのミネラル、食物繊維も豊富。種類もたくさんあり、煮たり、焼いたり、炒めたり、鍋物にもピッタリの秋の食材です。秋のきのこの香り、食感、味わいを楽しみましょう。しめじは、「香り松茸、味しめじ」といわれるように、味の良いことで知られていますが、このしめじは「本しめじ」(シメジ科シメジ属)のこと。アカマツなどに生える希少品で珍重されています。最近になってようやく人工栽培が可能になり、店頭にも並ぶようになりました。一般的に流通している「しめじ」は「ぶなしめじ」(シメジ科シロタモギタケ属)の栽培物です。天然物はブナやトチノキなどの倒木に生えますが、流通量は多くありません。また、よく似たきのこに「ひらたけ」があります。しめじとして販売されていたこともありましたがヒラタケ科のきのこです。最近は「ひらたけ」として販売されています。ぶなしめじはカサが開きすぎず、ふっくらとして密集しているものを選びましょう。全体的に弾力があり、軸が白く、太めでしっかりしているかどうかも要チェックです。一方、しいたけ(ホウライタケ科シイタケ属)は、日本では鎌倉時代には食べられていたようですが、栽培が行われるようになったのは江戸時代で、生産量が増えるにつれて広まっていきました。明治時代の中頃にはクヌギやコナラなどの丸太に種菌を植える「原木栽培」、昭和中期頃からは、おがくずに米ぬかや小麦ふすまなどを混ぜて作った培地に植えて育てる「菌床栽培」が始まり、現在もこの2種類の栽培法が用いられています。

 

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敬老の日

 敬老の日は、聖徳太子が現在の大阪市に悲田院(ひでんいん)という身よりのない老人や病人を収容する救護施設を設立したと伝えられる日にちなむものです。現在の敬老の日は1954年(昭和29年)に「としよりの日」として設けられたのが始まりです。この呼び方に各界から異議が起こり「老人の日」に。そして1966年(昭和41年)に現在の「敬老の日」と改められ国民の祝日となったのです。ちなみに、英語では敬老の日を「Respect for the Aged Day」、「敬老」は「respect for the elderly [aged]」と言います。ところで、長寿のお祝いは数え年で61歳(満60歳)になる還暦からお祝いするのが習わしとなっています。60歳は人生で5回目の年男、年女になる年。生まれた干支に還って赤ちゃんに戻るという意味で、赤いチャンチャンコとずきんを送るというのがしきたりでした。超高齢化社会に向かっていますが、やはり場面によっては年配者(年寄り)の知恵が欠かせないことも多々あります。若いと思っているみなさんもいずれは年寄りに・・・。敬うことを忘れなければそうなった時に敬われるはずです。

 
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コスモス(秋桜)

 今日9月14日は「コスモスの日」です。2月14日のホワイトデーから半年たった恋人同士が、コスモスを添えたプレゼントを交換して愛を確かめ合う日と言われています。コスモスの和名は「秋桜(あきざくら)」という、いかにも日本らしい名前ですが、実は明治のはじめごろに渡来した外来種です。容易に栽培でき、丈夫で手間がかからないので、明治の末には全国的に広まったようです。原産地はメキシコなので、栄養分が少ない乾燥した土地を好みます。水やりや施肥をする必要がないので、園芸初心者にもおすすめです。在来種は白、ピンク、赤の3種類ですが、今では品種改良により、黄色や黒(チョコレート色)など、さまざまな種類のコスモスも増えています。夏の早咲きから秋の遅咲きまで、咲く時期もいろいろですが、「秋桜」の名の通り、秋の季語です。花言葉は「調和」「謙虚」「美麗」。群生が似合う花に似つかわしい花言葉です。 「コスモス」の語源は、ギリシャ語の「kosmos」に由来します。これは、「秩序」「美しい」「調和」などを意味します。宇宙を、統一された調和のとれたシステムととらえる時に、「コスモス」という使い方をします。「カオス(混沌)」の対義語であるといえば、わかりやすいかもしれません。宇宙は「コスモス」以外にも、「スペース」や「ユニバース」とも呼ばれます。「スペース」は、空間としての宇宙、「ユニバース」は、観測できるすべてを含めた宇宙を表します。「コスモス」という呼び方は、どちらかといえば思想的・哲学的なニュアンスが含まれます。一方、群生で咲いていることが多い花のコスモス。同じ時期に、同じくらいの高さで、整然と咲く様子は、まるで秩序だった宇宙のシステムのように見えるのでしょうか。宇宙と花。意外なところでつながっていました。 コスモスは外来種なので、和名が「秋桜」であっても、それを「コスモス」とは読みません。「秋桜」と書いて「あきざくら」と読みます。逆に、日本に古くからある「女郎花(おみなえし)」や「百日紅(さるすべり)」などは、当て字の漢字があり、古くは万葉集や古今集などでも詠まれています。では、なぜ「秋桜」と書いて「コスモス」と読むようになったのでしょうか。それは、昭和52年に山口百恵さんが歌った「秋桜」という歌謡曲が大ヒットしたからなのです。嫁ぐ娘が母を思う気持ちを歌った歌で、当時の山口百恵は18歳でした。作詞・作曲はさだまさしさん。曲のタイトル「秋桜」を「コスモス」と読ませ、歌詞の中でも「秋桜」と表記して「コスモス」と読ませました。「秋桜」と書いて「コスモス」と読ませる…。当時の歌謡曲は、キーワードとなる漢字を違う読み方で読ませるのが流行っていて、有名なところでは「本気」と書いて「マジ」、「恋敵」と書いて「ライバル」、「運命」と書いて「さだめ」などなど。これら3つは幾分「無理矢理感」が感じられますが、「秋桜」と書いて「コスモス」は図鑑や難読漢字にも取り入れられるほどで、歌の世界から抜け出し、ほぼ一般化しています。今では「秋桜」を何の疑問もなく「コスモス」と読む人が多いのではないでしょうか。 

 
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就職試験等直前指導

 6時間目、3年生は就職希望者に対して来週から始まる直前指導、進学希望者には大学や専門学校の進学に係る指導をおこないました。就職希望者への指導では、校長と3学年主任が激励と心構えを、進路指導主事が就職試験前後の対応と細かなチェックすべき点等について指導をしました。早い生徒は16日(日)から試験が始まります。体調を整え、就職に対する熱い思いを企業に伝え、内定を勝ち取ってもらえればと思います。

 
   3学年主任の激励         進路指導主事の指導   
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 秋を代表する花といえば、やはり菊でしょうか。あちらこちらで、菊花展や菊人形の催しが開かれます。菊は皇室の紋章でもある日本を代表する花の一つで、葬祭にもひんぱんに用いられる(主に弔意の場合が多いようですが)とてもなじみの深い花ですが、元から日本にあった訳ではありません。奈良時代に、薬用として中国から入ってきたもので、万葉集には見られず、古今集の頃から文字として現れます。菊は漢名で、キクはその音読み。和名では加波良与毛木(かわらよもぎ)、寿客(じゅかく)などとも呼ばれます。また、翁草、齢草(よわいぐさ)、千代見草の別名を持っており、古代中国では、菊は仙境に咲いている花とされ、邪気を払い長生きする効能があると信じられていました。菊と長寿との結びつきには、昔、中国の山奥で、慈童という少年が、経文を書いた菊の葉にこぼれた露を飲み、700歳以上も生き続けたという、能や歌舞伎舞踊、長唄などで有名な「菊慈童(枕慈童)」の説話が元になっています。麗懸山(中国河南省)の麓から薬の水が湧き出たというので、勅令を受けた魏の文帝の臣下達が山中深くやって参りますと、その山奥の菊の咲き乱れた仙境に、慈童という童顔の仙人が現れました。山奥深くに、人間の姿を見て怪しんだ臣下が問いただしますと、慈童は太古の周の穆王(ぼくおう)に仕えていた者だが、王の枕をまたいだ罪でこの山に流されたのだといいます。枕は、眠る時に魂が体を離れて枕の中に宿る神聖なものとされ、日本でも、万葉の頃に、妻は旅先の夫を想い、留守中の夫の枕と枕をくっつけて眠りについたという歌も残されていて、一説に枕の語源は魂倉(たまくら)だもいわれています。その神聖な王の枕をまたいでこの地に流されたのですが、王は、慈童を哀れんで、法華経の「二句の偈」(法華経観世音菩薩普門品の偈文「具一切巧徳 滋眼視衆生。福聚海無量 是故應頂禮」)を枕に書いて賜ったといいます。そして、その妙文を菊の葉の上に写して書くと、その葉の露が霊薬となり、それを飲んでいたため、少年は七百年後の今でも若いままで生きながらえていたというのです。嵐山の虚空蔵(こくうぞう)法輪寺の「重陽の節会」では「菊慈童」の像を祀って法要が営まれ、能「菊慈童」が奉納されます。

 
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松茸(マツタケ)

 残暑も弱くなったこの頃、松茸のニュースが流れてくるようになりました。松茸は、キシメジ科キシメジ属キシメジ亜属マツタケ節のきのこで、海外でも”Matutake(マツタケ)”と呼ばれています。言わずと知れた、日本でのキノコの最高峰です。マツタケは比較的日当たりのいい主にアカマツの林に生えますが、それ以外でも針葉樹が多い林でも生える事があります。香りの成分はマツタケオールと呼ばれ、マツタケの独特の特徴となっています。マツタケの仲間は数種類ありますが、どれも食用になり、毒を持つものはありませんので、マツタケの香りがするキノコは基本的に食べて大丈夫と言う事になります。ところが、このマツタケ、好んで食べるのは日本人くらいのようで、海外ではこの香りが逆に臭いと感じられるようです。ヨーロッパのトリュフのようですね。シメジやシイタケのように人工栽培する事が難しく、今なお、自然発生している物を採取し出荷されているため、非常に高価なキノコとなっています。かつては、全国各地の山間地で人の手が加えられた里山が広がっていて、アカマツなども燃料などとして活用されていたので、マツタケが生育する環境が整っていたことから、今よりもみっともっと身近な秋の味覚だったようです。しかし、現在ではアカマツなどの利用もなくなり、過疎化が進むにつれ、里山が自然の状態に戻り、落ち葉などが堆積したままになるなどマツタケにとっては生育しにくい状態になっています。そして、マツタケは人工栽培が今なおできないので、自然に発生したものを収穫するしかないからです。松茸の生産地は長野県が最も生産量が多く、岩手や山形、それに近畿では京都、兵庫、和歌山、岡山、広島などが産地として有名です。松茸ごはんや土瓶蒸しなどさまざまな調理方法で味覚を味わえます。ただ、値段は高価なのでいい香りを今年は楽しめるか・・・?

 

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インターンシップ直前指導

 7時間目、明日から2年生で実施するインターンシップの直前指導を体育館でおこないました。インターンシップは生徒に企業や学校、役所などで働いて、実際の仕事を経験してもらうとともに、働くことやその意義等について望ましい価値観を育むための機会です。学年主任の新井先生、担当の吉澤先生から全体的な注意をしていただいた後、インターンシップでお世話になる事業所ごとに分かれて、持ち物の確認や服装、集合時間などを確認して終了となりました。3年生の就職試験ももうすぐ始まります。来年までに2年生それぞれが自分に合った仕事や職業を見つけ、進路実現に繋げていってもらえればと思います。

 
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秋の七草

 皆さんは、秋の七草を全部知っていますか?  春の七草は、「セリ、ナズナ、オ(ゴ)ギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ、これぞ七草」という歌とともに七草粥を食べるという行事が今でも、行われるところから、ご存知の方も多いと思いますが、意外とご存じないのが秋の七草です。最近の若い人の中には、秋にも七草粥があってそれに入れるものだと思っている人もいるようです。秋の七草は、秋の野に咲く花をさしています。お粥に入れて食べられませんよ。秋の七草の由来は、万葉集の山上憶良が詠んだ歌に、「秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七草の花。萩の花、尾花(ススキ)、葛花(クズ)、撫子の花(ナデシコ)、女郎花(オミナエシ)また藤袴、朝貌(キキョウ)の花」というのがありますが、これが秋の七草です。秋の七草とは言いますが、実は夏の花が多いのです。暦の上では、立秋といえば8月初旬ですから、8月に咲く花が秋の花といっても差し障りはないのですが、桔梗は6月下旬から咲き始めますから、秋の花というのは不自然な気がしますが、ひょっとしたら、今とその頃では気候も違うでしょうし、種類的にも若干違う種類なのかも知れないので、その頃は秋に咲いていたのかもしれません。この秋の七草が今ピンチなのです! さて、残念なことですが、秋の野に出てもこれらの花を見かける事が少なくなっているようです。藤袴、桔梗は、絶滅危惧のレッドリストに絶滅危惧類として登録されています。秋の七草がなくなるなんてさびしいですね。何で絶滅の危機かはわかりませんが、何とか家で栽培するなどして絶滅を防ぎたいですね。

 
 
  




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サンマ

 サンマは、秋の味覚を代表する魚です。秋のサンマは脂肪分が多く美味であり、特に塩焼きは日本の「秋の味覚」の代表とも呼ばれています。日本では、塩焼きにしてカボスや、スダチ、ユズ、レモン、ライムなどの搾り汁やポン酢、醤油などをかけ、大根おろしを添えて食べることが多く、内臓に独特のクセはあるがえぐみは少なく、塩焼きのはらわたを好んで食べる人も多くいます。蒲焼きの缶詰は水産物缶詰のなかでも人気が高く、近年では刺身としても流通しており、脂の乗り切らない初秋が食べ頃とされ、他の青魚と同様に酢じめして食べる事もあります。また、押し寿司としても利用されています。サンマには、血液の流れを良くするといわれるエイコサペンタエン酸が含まれており、脳梗塞・心筋梗塞などの病気を予防する効果があるとされています。また、ドコサヘキサエン酸も豊富に含まれており、体内の悪玉コレステロール(LDL)を減らす作用、脳細胞を活発化させ、頭の回転を良くする効果もあるとされています。生のサンマの鮮度の見極めは、尾を持ちサンマの頭を上に向けたとき、体が曲がらずにできるだけまっすぐに立つもの。目が濁っていないもの。口先がほんのり黄色いことなどと言われています。おいしいサンマは口先だけでなく尾も黄色く、極まれに全身が黄色のサンマも獲れます。これらは高級魚として高値で取り引きされています。サンマにはアニサキスが寄生している場合もあり、生食やそれに近い調理方法には注意が必要とされます。焼き魚として調理する場合、取り除くべき大きな鱗を持たず、内臓やえらを取り出すことも少ないので包丁を必要とせずに扱いやすく、料理書で入門用鮮魚とされることがあります。沿岸漁業で、サンマが獲れる地域が日本近海に限定されるため、サンマを食べる習慣があるのは日本とロシアのサハリンとカムチャツカ半島周辺に限られていましたが、近年では中国などでも和食ブームでサンマを出す日本食レストランが増え、人気が高まっています。初競りの際には1匹で万単位の価格が付くこともあり、この時だけ超高級魚の扱いを受けると言います。
 今年は漁獲高が期待されており、秋の味覚を大いに楽しめるかもしれません。

 
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PTA親善スポーツ大会

 本日、PTA親善スポーツ大会を本校体育館でおこないました。本校の親善スポーツ大会の種目はソフトバレーボールで、PTAの支部別の対抗戦の形で実施しています。教員も2チーム登録して、4つのブロックの分かれての予選リーグ、各組1位の決勝トーナメントをおこないました。接戦が続きましたが、第7支部が優勝! おめでとうございます! 昨年より参加者も多く、熱戦、接戦が多くあり、昨年よりも30分以上大会時間が長くなりました。
 会員の皆様が初秋の1日にいい汗を流し、交流がすすんで充実した1日となりました。

 
    本日の日程等の説明        まずは準備運動
 
      熱戦!             接戦!
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重陽の節句

 暑い日があったかと思うと涼しい日となったりと、不安定な天気が続きます。でも、気持ちは前向きにいきたいです。さて、明後日9月9日は重陽の節句です。五節句とは江戸時代に定められた5つの式日(今でいう祝日)を言い、1月7日の人日の節句(七草粥)、3月3日の上巳の節句(桃の節句/雛祭り)、5月5日の端午の節句、7月7日の七夕の節句、9月9日の重陽の節句を指します。古来より、奇数は縁起の良い陽数、偶数は縁起の悪い陰数と考え、その奇数が連なる日をお祝いしたのが五節句の始まりで、めでたい反面、悪いことにも転じやすいと考え、お祝いとともに厄祓いもしていました。中でも一番大きな陽数(9)が重なる9月9日を、陽が重なると書いて「重陽の節句」と定め、不老長寿や繁栄を願う行事をしてきました。こうした節句は、行事と関係する植物の名前を冠して呼ばれることも多く、1月7日は七草の節句、3月3日は桃の節句、5月5日は菖蒲の節句、7月7日は笹の節供、そして9月9日は菊の節句と呼ばれています。菊は古来より薬草としても用いられ、延寿の力があるとされてきました。菊のおかげで少年のまま700年も生きたという「菊慈童(きくじどう)」伝説もあります。また、他の花に比べて花期も長く、日本の国花としても親しまれています。
菊といえば晩秋の花という印象ですが、旧暦の9月9日は新暦の10月中ごろにあたり、まさに菊の美しい季節でした。このころは農繁期であることや、新暦に替わって季節感が合わなくなったことなどから次第に廃れてきましたが、寿命を延ばすと信じられていた菊を使い、さまざまな風習が伝えられています。また、庶民の間では「お九日(くんち)」と呼ばれて親しまれ、秋の収穫祭と合わせて祝うようにもなりました。
 「9は苦につながる」という人もありますが、上記のようなこともあるのですね。物事は前向き、肯定的にとらえていくほうがいいと思います。

 

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防災について考える

 今朝3時過ぎ、北海道で震度6強の地震が起こり、土砂崩れや建物の損壊、交通機関の乱れなど大きな被害が出ています。先日の台風21号による近畿地方への被害、3月の西日本豪雨と災害が日常的になり、自分の生活している地域でもいつ大規模災害が起こるか不安です。
 昨日、防災についてふれました。防災は災害を未然に防ぐために行われる取り組みです。災害を未然に防ぐ被害抑止のみを指す場合もあれば、被害の拡大を防ぐ被害軽減や、被災からの復旧まで含める場合もあります。災害の概念は広いので、自然災害のみならず、人為的災害への対応も含めることがあります。災害時の対応は主体の違いにより、自ら対応する「自助」、ご近所などの共同体で助け合う「共助」、消防や自治体に助けてもらう「公助」の3つに区分することができます。市民と行政の役割分担が強化された現代では、日常生活で行政に依存する部分があり、災害時にもこの延長として市民は「公助」が機能することを期待します。しかし、ある調査で災害時には自助 : 共助 : 公助の割合が7 :2 :1になると報告されているように、災害時には「公助」は限定的にしか機能しないうえ、災害が深刻であるほど「公助」の機能は低下します。特に、瞬時に大量の被災者が生じる地震の場合は顕著です。例えば、阪神・淡路大震災では、家屋などの下敷きとなった16万4千人のうち、12万9千人(8割)が自力で脱出、2万7千人(16%)は近隣住民が救出、7900人は警察・消防・自衛隊が救出しましたが、近隣住民により救出された人は約8割が生存していたのに対し、警察等により救出された人の生存率は約50%です。そのため、「自助」「共助」の重要性は高いと言えます。ちなみに被災後、数週間ほどたってから、水や食料が比較的充分に供給されていた避難所で、支援物資として実際に持ち込んで、喜ばれた(役に立った)品々を列挙すると以下のようになります。
・携帯充電機能付簡易ラジオ
・マスク(不足気味だった)
・ウェットティッシュ(大判のもの)
・作業用長靴(自宅整理用)
・菓子類
・洗面道具
・化粧品、生理用品、オムツ
・下着類(特に女性用)
 被災後数日、数週間、数カ月後、被災地では必要なものというのはどんどん変化していくもの。最初は水とオニギリさえあればよかったけれど、そのうちに色々なものが必要になってきます。缶詰やレトルト食品も一週間もすれば辛くなってくる。風呂にも入りたい。清潔な物も着たい。希望はどんどん変わってくるものだからです。その日のためにどれだけ準備していたかで自分や家族の避難所生活は大きく変わってしまうということを今一度思いおこしておくことが必要です。また、支援をする場合には本当に必要なものを、きちんと調べてから新品を送ることが災害時には常識です。

      

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防災週間

 昨日の台風21号による風、すごかったですね。ゴーゴーと夜に風がうねっていました。関西では関西国際空港や近隣地域に大きな被害があった模様で、現在も台風は日本海を北上しています。さて、防災の日は「政府、地方公共団体等関係諸機関をはじめ、広く国民が台風、高潮、津波、地震等の災害についての認識を深め、これに対処する心構えを準備する」こととし制定された啓発日で、9月1日が該当します。毎年、このこの日を中心として「防災思想の普及、功労者の表彰、防災訓練等これにふさわしい行事」が実施され、「防災の日」を含む1週間を防災週間として、さまざまな国民運動がおこなわれます。「防災の日」は、1960年(昭和35年)に、内閣の閣議了解により制定されました。9月1日の日付は、1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災にちなんだものです。また、この頃は例年台風の襲来が多く、「災害への備えを怠らないように」との戒めも込められています。制定前年の1959年(昭和34年)9月下旬には、伊勢湾台風が史上まれにみる被害をもたらしました。 一方、台風シーズンに制定されたことにより、台風や前線による大雨によって防災訓練が中止になる事例も発生しています。「防災の日」が制定されるまでは、9月1日に行われる行事は関東大震災犠牲者の慰霊祭が中心でした。しかし、「防災の日」が制定されてからは、全国各地で防災訓練が行われる日となっています。 
        

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虫の声

 夏の暑さがやわらぎ、秋の足音が聞こえ始めると、緑に彩られた草むらや公園、森などからさまざまな虫の鳴き声が聞こえてくるようになります。リーンリーンと鳴く鈴虫、チンチロリンの音色を奏でる松虫など、美しい虫の声が増すほどに、秋の訪れや深まりを感じる人は多いと思います。日本人には心地よい虫の鳴き声ですが、アメリカやヨーロッパの人々には雑音と聞こえるようです。一説によると、初秋の月を眺めながら虫の音に耳を傾ける文化は、世界でも日本や中国などアジアの一部の地域に限られているようです。日本では、平安時代に一部の貴族の間で虫をペットとして飼育することが始まりましたが、江戸時代後期になると、庶民もさまざまな種類の鳴く虫を竹製のかごに入れて、縁側や軒先に吊るして飼ったり、虫の鳴き声の名所にわざわざ足を運び、秋の夜長に虫の音色を楽しみました。なかでも、東京都荒川区西日暮里にある道灌山(どうかんやま)は、鈴虫や松虫をはじめとして多くの種類の虫が美しい音色を響かせ、虫の名所として知られていました。
 皆さんの家の周りでも虫の音色は楽しめると思います。静かに耳を傾けてみてはいかがですか?
     

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始業式

 2学期が始まりました。始業式に多くの生徒が登校し、元気に日焼けした笑顔で友だちと再開を喜び合っていました。始業式では校長講話の後、生徒指導部よりの話があり、続いてインターハイで活躍したウエイトリフティング部の105kg級5位の柿本君、62kg級2位の平井君、農業クラブのフラワーアレンジメント競技会で最優秀賞、優秀賞を獲得した飯島さん、尾澤さんの表彰及び壮行会をおこないました。柿本君と平井君は国体の関東予選でもそれぞれの階級で優勝し、10月に福井県で行われる国体に、飯島さんは10月に山口県で開催される全国大会へ出場します。2学期は体育祭や文化祭、修学旅行など行事が盛りだくさんで、部活動の新人戦や各種コンクール・発表会もあり、生徒の活躍する機会が増えます。今まで培った力を存分に発揮してくれればと思います。

 
     校長講話         ウエイトリフティング部表彰
 
 フラワーアレンジメント表彰  壮行会・生徒会副会長のことば 

始業式での「校長講話骨子」:

 皆さん、おはようございます。長い夏休みが終わって、また元気な顔を見ることができ、とてもうれしく思います。充実した夏休みが過ごせましたか。十分に過ごせた人も、不十分な人もいると思いますが、何事も経験と思い、今後に生かしてもらえればと思います。

  さて、今年の夏は暑かった。熊谷市では7月23日に41.1°を記録し、観測史上最も暑い日を記録しました。熊谷に住んでいる私はその日帰宅した時は、車から降りてサウナのなかにでもいるような熱風に迎えられ、早々とエアコンの効いた部屋に入ったことを記憶しています。昨年は涼しい日が多い年でしたが、今年は全く違う暑い年となりました。暑さのため、身体へのダメージは多く、農産物が暑さで十分成長できず、野菜などの価格高騰が見られます。

  一方、100回を迎えた夏の甲子園大会では、秋田の金足農業高校が快進撃をし、決勝では大阪桐蔭高校に敗れましたが、農業科のある学校として準優勝しました。そのひたむきな野球への姿勢が多くの人々に感動を与え、農業系学科のある本校としても、仲間が頑張ったとしてその栄光を称えたいと思います。

 今日は皆さんに「価値観の転換」という話をしたいと思います。8月下旬に九州佐賀県でPTAの全国大会が開催され、記念講演でラジオDJのレモンさんの話を伺いました。このレモンさんはNHK Eテレの「バリバラ」の司会者、大阪大学の非常勤講師を務め、ふだんレモンの着ぐるみを被り、自分の子の小学校のPTA会長を5年も務めた異色の人。最初はギャーギャーしゃべるだけの芸人かと思いましたが、人生に関してしっかりとした信念を持っている方でした。

 レモンさんの主張は、「昭和の子育ては卒業! 気づきを与える存在になろう」とのこと。価値観が多様化する現在、子どもが納得できる進路を選ぶには、親は昭和のチップ(すぐに感情的になる、人の話を聞かない、絶対自分が正しい、極端、上から目線、すぐダメ出しをする、すぐ悪者をつくる、すぐ戦闘モード、相対評価、男尊女卑など)を捨てて、子どもに「この人は世界一自分のことを解ってくれる理解者」、「応援してくれる理解者」、「信じてくれてる信者」、「認めてくれてる承認者」、「気づかせてくれる理解者」として見守ってほしい。見守りは難しいが、失敗は学びの機会、成長の糧として、自信をつけさせる機会として子どもを応援してほしいという話でした。確かに、昭和のチップは私のなかにありますが、これを捨てきれないまでも、うまく意識していければいいかなあとも感じました。

 最後に、2学期は体育祭や文化祭、修学旅行など行事が盛りだくさんで、部活動の新人戦や各種コンクール・発表会もあり、皆さんの活躍する機会が増えます。今まで培った力を存分に発揮してもらえればと思います。また、3年生の進路決定の時期にもなります。物事への関心を高め、集中力を身に着け、切り替えをうまくおこない、自分の意見を持つようにして、2学期に臨んでください。


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9月の風景

 9月に入り、3日がたちました。今年は暑い日が続き、また台風も日本を直撃したり、予想が難しいコースを通ったり大変でした。また、台風21号が日本に接近しており今後の進路が心配です。今後、晴れの日、過ごしやすい日が続いてほしいと思います。9月はグレゴリオ暦で年の第9の月にあたり、30日あります。日本では、旧暦9月を長月(ながつき)と呼び、現在では9月の別名としても用いています。長月の由来は、「夜長月(よながつき)」の略であるとする説が最も有力です。他に、「稲刈月(いねかりづき)」が「ねかづき」となり「ながつき」となったという説、「稲熟月(いねあがりづき)」が略されたものという説があります。英語での月名、Septemberはラテン語表記に同じで、これはラテン語で「第7の」という意味の「septem」の語に由来していますが、不一致が生じているのは、紀元前153年にそれまで3月を年の始めとしていたのを1月を年の始めとすると改めたにもかかわらず名称を変えなかった為です。日本の学校年度は4月から始まりますが、世界に目を向けると9月を採用している国が多いです(アメリカ、カナダ、ヨーロッパ、中国など)。先日も記しましたが、生徒の活躍する機会が増えます。今まで培った力を存分に発揮してくれればと思います。

 

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晩夏

 今日で夏休みも終わり・・・。皆さんには残念に思っている人もいるかと思います。晩夏だなぁと感じます。ところで晩夏(ばんか)とは何でしょうか? なんとなく想像つくかもしれませんが、 夏の最後のほうのことです。だいたい8月後半から9月の前半ぐらいのことを晩夏と呼びます。近年は9月でもまだまだ暑い日が続きます。晩夏は季語としても使われています。日差しにも気持ち眩しさが薄れ、夕刻も7月に比べかなり早くなり、虫の声も鮮明になってきたような気がします。
 次に生徒の皆さんが登校するのは9月3日(月)、2学期が始まります。

 
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赤とんぼ

 「赤とんぼ」とはからだの赤いトンボの総称ですが、一般的にはトンボ科アカネ属のアキアカネを指しています。アキアカネは秋の季語として有名ですが、実はほとんどの赤とんぼが6月末から7月初めに成虫になるので、夏にもたくさん飛んでいます。赤とんぼは見る場所や時期によって種類が違います。夏でも、町でよく見られるのが一生を低地で過ごすナツアカネです。アキアカネは夏の始めに山に移動してしまうので低地ではみられませんが、高原などに行くと元気に飛び回っています。夏の赤とんぼは赤というより、すこし薄い色をしていますね。ナツアカネの色は真っ赤というより橙色。アキアカネも最初は橙色なのでそのように見えるのです。夏の終わりの暑さがやわらぐ頃、成熟して真っ赤になったアキアカネが山から群れをなして下りてきます。そのため、真っ赤になった赤とんぼ、つまりアキアカネを見て「秋だな」と感じ、赤とんぼが秋の季語になったのです。成熟すると赤とんぼの雌よりも雄のほうが鮮やかな赤に変化します。山から下りてきた赤とんぼの仕事は子孫を残すこと。雌雄結合したまま輪になって行動するので、いたるところでつながった赤とんぼを見かけます。ところで、「とんぼ」がついた言葉が使われていることがよくあります。どんな由来があるのでしょうか。
・極楽とんぼ
楽天的でのんきに暮らしている者のことをいいます。上空(=極楽)を優雅に飛ぶトンボの姿に由来しています。ゆったりと飛ぶアキアカネがモデルという説もあります。
・とんぼ返り
とんぼの雄はテリトリーを持っていて、他の雄が入らないように、この縄張りを守るため巡回パトロールをする習慣があります。飛びながら急に後ろへ身を翻して来た道を帰って行くので、目的地に着いてすぐ戻ることを「とんぼ返り」というようになりました。また、空中で身を回転させる動きから宙返りを表す言葉としても使われています。
・勝ち虫
とんぼは勝ち虫ともいわれています。真っ直ぐ前にしか進まないので「不退転」(ふたいてん=決して退却しないこと)の象徴として武士に好まれ、武具の装飾に用いられました。また、現代でも浴衣の柄などに縁起の良いものとして描かれています。

 

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なす(茄子)

 夏は、なす(茄子)、きゅうり、トマトなど実のなる野菜の季節。これらは一年中出回っていますが、本来は夏から秋が旬です。水分も多く、からだを冷やす作用があって暑い時期にピッタリ。夏野菜の主役のひとつともいえるなすと日本人との係わりは深く、種類も豊富で、様々な料理で食べられてきました。なすは、インドが原産とされる茄子科の一年草で、日本には奈良時代に入ってきたと言われています。その後、日本の気候風土になじみながら、各地にさまざまな種類が生まれました。一般によく出回っているのは、卵型の「千両茄子」や少し細長い「長茄子」。揚げ田楽がおいしい大きな「米茄子」や、小さくて漬物などにぴったりの「小茄子」もあります。伝統野菜や特産となっているなすも多く、丸なすの代表格「賀茂茄子」や、生でも食べられる水分たっぷりの「泉州水茄子」などがよく知られています。なすは英語で"Eggplant"(エッグ・プラント:たまご植物)といいますが、もともと原産地周辺の東南アジアなどでは白や緑色のものが一般的で、白い卵に似ていたためでしょう。日本で茄子の色は一般に「茄子紺」と呼ばれる紫色をしていますが、青茄子、白茄子も各地で栽培されていますし、イタリアなどヨーロッパからの輸入品種もあります。なすは、栄養的には特筆すべきものはありませんが、茄子紺の色はナスニンと呼ばれるポリフェノールの一種で、強い抗酸化力があります。水分が多く、体を冷やす作用があるので暑い時期にはぴったりです。「秋なすは嫁に食わすな」ということばがありますが、解釈には諸説あります。おいしい秋茄子を憎い嫁に食べさせるのはもったいないという意地悪な説の他に、からだが冷えるので特に妊娠中の嫁には食べさせないほうが良いからという説もあります。また、嫁は夜目=ねずみのことで、ねずみに食べられるなという意味だとする説もあります。なすは煮る、焼く、炒める、揚げる、蒸す、漬けるなど、どんな調理法でも美味しくできます。味がつけやすく、特に油との相性が良いのが特徴です。なすそのもののおいしさを味わうなら「焼き茄子」がピッタリ。まるごと蒸し焼きにすることでなすの甘みやうまみ、とろみが引き出されます。煮ものにすれば、だしや調味料をよく吸っておいしくなり、揚げものにすると油との相性が抜群でコクが生まれます。煮ものにする前にさっと素揚げにするのもおいしくするテクニック。漬物にしてもおいしい保存食になります。

 

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きゅうり(胡瓜)

 スーパーなどで1年中野菜売り場で販売されるきゅうり。きゅうりの呼称は、漢字で「木瓜」または「黄瓜」(きうり、現代中国語でも「黄瓜」)と書いていたことに由来します。きゅうりは古くから食用の野菜として栽培されてきています。果実成分の95%程度が水分とされ栄養価は低いですが、歯ごたえのある食感とすっきりとした味わいがあります。水分を多く含むことから、暑い地方では水分補給用として重用されてきました。紀元前4000年前にメソポタミアで盛んに栽培されており、インド、ギリシア、エジプトなどでも栽培されました。その後、6世紀に中国、9世紀にフランス、14世紀にイングランド、16世紀にドイツと伝播していきました。アメリカには15世紀末コロンブスがハイチに持ちこんだのを端緒に普及していきました。キュウリを好物とした歴史上の有名人としてローマ皇帝ティベリウスがいます。中国ではかつて、ビルマ経由で伝来した水分の少ない南伝種が普及し、シルクロード経由の瑞々しい北伝種の伝来まで、この南伝種を完熟させてから食べるのが一般的でした。後に南伝種は漬物や酢の物に、北伝種は生食に使い分けられることになります。南伝種の伝来後、日本でも江戸時代までは主に完熟させてから食べていたため、黄瓜と呼ばれるようになりました。日本では1500年ほどの栽培の歴史を持ちますが、完熟した後のきゅうりは苦味が強くなり、徳川光圀は「毒多くして能無し。植えるべからず。食べるべからず」、貝原益軒は「これ瓜類の下品なり。味良からず、かつ小毒あり」と、はっきり不味いと書いているように、江戸時代末期まで人気がある野菜ではありませんでした。これには、戦国期の医学者曲直瀬道三の『宣禁本草』などに書かれたキュウリの有毒性に関する記述の影響があると見られています。イエズス会宣教師のルイス・フロイスは著書『日欧文化比較』で「日本人はすべての果物は未熟のまま食べ、胡瓜だけはすっかり黄色になった、熟したものを食べる」と分析しています。幕末、キュウリの産地だった砂村(現在の江東区)で、キュウリの品種改良が行われ、成長が早く、歯ごたえがよく、味も良いきゅうりが出来て一気に人気となりました。きゅうりは全体の90%以上が水分で、ビタミンC、カロチン、カリウムなどの栄養素が含まれていますが、含有量は非常に低い水準です。かつて、きゅうりはデザイナーフーズ計画のピラミッドで3群に属しており、3群の中でも、ハッカ、オレガノ、タイム、アサツキとともに3群の中位に属しますが、癌予防効果のある食材であると位置づけられていました。生のまま、味噌やもろみをつけて齧ったり、サラダ、寿司(かっぱ巻き)、酢の物、和え物、塩揉みなどで供されるほか、かっぱ漬け、奈良漬け、醤油漬け、わさび漬け、ピクルス、オイキムチなどの漬物の材料として使われます。日本の料理で加熱調理されることは少ないですが、中華では煮物や炒め物としても利用されます。トルコ料理のシャジュク、スペイン料理のガスパチョなど、スープにして食することも多いです。また、実が小さいうちに収穫したものを「もろきゅう」といい、主に生で食べます。さらに未熟で花の付いた物は「花丸きゅうり」と呼びます。ただし、地域によって呼び方や規格が異なることがあります。

 
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金魚

 水の中をひらひらと涼しげに泳ぐ金魚。金魚を見ていると暑さがスーッと引くようにも感じられます。金魚は誰でも気軽に飼育することができるので、日本人にとって最も身近な観賞魚でしょう。子どもの頃、金魚すくいに夢中になったなんて思い出のある方も多いことと思います。金魚は夏の風物詩のひとつ。かわいい金魚を眺めながら、ひととき暑さを忘れて和んでみませんか。金魚は、突然変異で赤くなったフナがその始まり。1500年以上前の中国では野生の赤いフナを捕まえて飼育していたそうです。やがて人の手で繁殖させて改良品種が作られるようになりました。日本には、室町時代に中国から伝わりました。大名や一部の富裕層の贅沢な趣味でしたが、江戸時代後期になると庶民の間にも金魚ブームが起こり、養殖や品種改良が盛んに行われるようになりました。天秤棒に金魚を入れた盥を下げて「きんぎょ~え~、きんぎょ~」と売り歩く「振売り」は江戸の夏の風物詩。金魚売りから買った金魚は「金魚玉」と呼ばれるガラスの金魚鉢に入れて、軒に吊るしたりして楽しみました。一口に金魚といっても種類はさまざま。江戸時代は和金やランチュウなどが主でしたが、その後中国からたくさんの品種が入ってきました。現在、日本固有の品種とされる金魚も当時輸入された金魚を基に日本で改良されたものです。金魚は大きく4つに分けることができます。フナに近い細長い形をした「和金型」、丸みのある形でゆったりと泳ぐ「琉金型」「ランチュウ型」「オランダ獅子頭型」です。また、金魚の特徴のひとつが尾びれの美しさ。フナと同じ形の「フナ尾」、フナ尾が長く伸びた「フキナガシ尾」。尾が開いているものにはその形状によって「三つ尾」「サクラ尾」「四つ尾」「クジャク尾」「反転尾」などがあります。そして、金魚たちの美しさ、かわいらしさを堪能するため、「横見」「上見」など眺め方にもこだわりがありました。「横見」は金魚を横から眺め、「上見」は上から眺めて楽しみます。でも、かわいらしく泳いでいる姿が一番楽しみです。

          
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世界キャラクターサミットin羽生 カウントダウンイベント

 8月25日(土)、羽生市のイオンモールで世界キャラクターサミットin羽生ダウンイベントがおこなわれました。このイベントに北は北海道、南は九州まで約50のキャラクターが参加しました。
 本校では、会を盛り上げるべく、ボランティアとして多くの生徒・職員が参加し、キャラクターの手を引いたり、お客様と交流したりと1日がんばりました。本番のサミットは11月下旬におこなわれます。

 
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ヒマワリ

 そろそろ花の盛りが過ぎた感のあるヒマワリ(向日葵、学名:Helianthus annuus)はキク科の一年草です。日回りと表記されることもあり、また、ニチリンソウ(日輪草)、ヒグルマ(日車)、ヒグルマソウ(日車草)、ヒマワリソウ(日回り草)、ヒュウガアオイ(向日葵)、サンフラワー(英:Sunflower)、ソレイユ(仏:Soleil)とも呼ばれます。種実を食用や油糧とするため、あるいは花を花卉として観賞するために広く栽培されます。また、ヒマワリは夏の季語でもあります。花言葉は「私はあなただけを見つめる」。原産地は北アメリカで、高さ3mくらいまで生長し、夏から秋にかなり大きな黄色の花を咲かせます。和名の由来は、太陽の動きにつれてその方向を追うように花が回ると言われたことから。但し、この動きは生長に伴うものであるため、実際に太陽を追って動くのは生長が盛んな若い時期だけです。若いヒマワリの茎の上部の葉は太陽に正対になるように動き、朝には東を向いていたのが夕方には西を向きます。日没後はまもなく起きあがり、夜明け前にはふたたび東に向きます。この運動はつぼみを付ける頃まで続くが、つぼみが大きくなり花が開く頃には生長が止まるため動かなくなります。その過程で日中の西への動きがだんだん小さくなるにもかかわらず、夜間に東へ戻る動きは変わらないため、完全に開いた花は基本的に東を向いたままほとんど動きません。なお、これは茎頂に一つだけ花をつける品種が遮るもののない日光を受けた場合のことであり、多数の花をつけるものや日光を遮るものがある場所では必ずしもこうはなりません。紀元前からインディアンの食用作物として重要な位置を占めていました。1510年、スペイン人がヒマワリの種を持ち帰り、マドリード植物園で栽培を開始しました。マドリード植物園はダリアやコスモスが最初に栽培されたことでも有名です。ヒマワリがスペイン国外に持ち出されるまで100年近くを要し、17世紀になってフランス、次にロシアに伝わりました。ロシアに到達してはじめて、その種子に大きな価値が認められました。日本には17世紀に伝来しています。種は絞って搾油され、ヒマワリ油として利用されます。ヒマワリ油には不飽和脂肪酸が多く含まれ、煎って食用とすることができます。乾燥した種子を用いる生薬名は「向日葵子」(こうじつきし)。また、ペット(ハムスター、小鳥など)の餌に利用されます。ディーゼルエンジン用燃料(バイオディーゼル)として利用する研究も進められています。

 
 
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処暑(しょしょ)

 台風が西日本に接近し、大雨が予想され、災害の危険性が高まっています。土砂崩れや洪水が発生しないとよいのですが、7月の西日本豪雨にならないことを期待します。暑さも相変わらずでなかなか涼しくなりませんね。ところで、処暑は暑さが峠を越える頃の節気で、「処」とは止まることを意味し、今年は8月23日が該当します。8月中旬の旧盆を過ぎると、暑さも和らいで朝晩は涼しくなり、秋の気配が感じられるようになるはずなのですが・・・。 

 
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PTA全国大会に参加しました

 8月20日(月)、21日(火)に、第68回全国高等学校PTA連合会大会佐賀大会が佐賀県佐賀市を中心に開催されました。今年の大会は5つの会場に分かれての進行で、モニターでメイン会場の進行を共有しながら、各会場では佐賀県各地の高校や著名人が講演をおこなうという形での運営となりました。本校は鳥栖市でおこなわれた「生徒指導とPTA」分科会に参加しました。今大会のテーマは「広めよう 高めよう 慈しむ心」~君たちがつくる希望の明日を~で、20日の基調講演では、ラジオDJレモンさんが教育についてざっくばらんに熱く語り、その独特の言い回しに強烈な印象を受けました。その後、生徒指導に係る4つの高校の発表がありました。21日は、バルセロナ五輪で金メダリストで環太平洋大学教授の古賀稔彦さんが「夢の実現~挑戦することの大切さ~」のテーマで失意のどん底に落ちても夢の実現に向かって挑戦していくことの大切さを熱く語っていただきました。暑さや台風の接近が心配がされましたが、貴重な経験をすることができました。

 
    吉野ヶ里遺跡         唐津市の虹の松原
 
  大きなスクリーンで共有    牛津高校シャンベ部の演奏
 
 レモンさんのビタミントーク      はなわさんのソング
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西瓜(すいか)

 夏の果物の代表格といえば、やはり西瓜(すいか)でしょう。大きな西瓜を井戸水で冷やし、冷えたところで庖丁を入れると、パリンと弾けるように割れました。縁側に腰かけ、種を庭先にプップッと吹き出しながらかぶりついていたのも、子どもの頃のなつかしい思い出です。海辺での西瓜割りも夏の風物詩。甘くて水分たっぷり!乾いたのどにおいしい西瓜は、熱中症予防にも一役買ってくれるそうです。西瓜は、アフリカ中部の砂漠地帯が原産といわれるウリ科のつる性一年草です。旬は種類や生産地にもよりますが、一般的には7月~8月。真夏においしい果物です。でも、一番の旬が立秋を過ぎるため、西瓜は秋の季語とされています。また、意外なことに、農林水産省の基準では西瓜はメロンやイチゴなどとともに「野菜」に分類されています。実は、一年生及び多年生の草本になる実は「野菜」、永年生の樹木になる実は「果物」と決められているのです。これを基準とすると確かに西瓜もメロンもイチゴも野菜の仲間ということになります。しかし、実際には果物売場に並び、栄養学的にも果物として扱われています。西瓜は約90%が水分で、暑い季節にからだを冷やし、水分補給をしてくれる食べ物です。疲労回復や利尿作用があるといわれ、カリウムなどのミネラルも豊富。食べるときに少量の塩を振って食べることがありますが、塩分も摂取ができて熱中症予防にもおすすめです。また、アミノ酸の一種であるシトルリンは血流を改善するといわれています。果肉にはカロテノイドのβカロテンとリコピンが豊富に含まれています。昔からよく「天ぷらと西瓜」は食べ合わせが良くないといわれますが、医学的な根拠はありません。でも、胃腸が弱っている夏に、油分と水分や酸味を同時に摂ると胃がもたれやすいもの。だから注意しなさいという昔の人の教えといえます。おいしい西瓜の選び方は、「手のひらでたたいてみる」ですが、ではどんな音がしたら良い西瓜なのでしょうか。食べごろの西瓜は「ポンポン」と澄んだ音がします。「カンカン」というような高い音の場合は水っぽく、「ボタボタ」という低い音の時は熟れすぎてスが入っていたりします。また、見た目で判断する基準もあります。果皮に張りがあり、縞模様がはっきりと濃いものは、生育に欠かせない太陽の光をたくさん浴びている証拠。またツルは細く、ツルと反対側のお尻の薄茶の部分が小さい西瓜が良いとされています。最近はカットされて売られていることが多いですが、その場合は、種の色が黒く、果肉の赤と果皮の白の部分の境目がはっきりしているものを選ぶと良いでしょう。

          
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素麺

 食欲が下がる夏の暑い時期、するするっと喉を通ってくれるのが素麺です。素麺(索麺、そうめん)は、小麦粉を原料とした日本および東アジアの麺のひとつです。主に乾麺として流通するため、市場で通年入手できますが、冷やして食することが多く、清涼感を求めて夏の麺料理として食するのが一般的です。奈良県桜井市三輪地区で生産される三輪素麺は、最も素麺作りの歴史が長く、全国に分布する素麺産地の源流はほとんどが三輪からであり、古く素麺の相場は三輪で決められていました。天保年間に書かれた「鹿児島風流(ぶり)」という旅行記には「夏は素麺流しとして、水上より素麺を流し、下にてすくい食う。石の上の酒宴、甚だ興あり。最も紅葉の名所なり。」と書かれており、竹製の樋(とい)を使って素麺を流し、箸で捕まえてめんつゆ等に付けて食べる流し素麺は夏の風物詩とされています。宮崎県の高千穂峡が商業化として発祥であるとされています。素麺は祝い事や忌み事の席で食べられる例が多く、祝食としては、長崎県の壱岐を中心とした九州地方で食べられる鯛素麺や広島県の婚礼に供される「鯛麺」、滋賀県の長浜市を中心とした湖北地方で食べられる焼鯖素麺が有名です。他に禅宗寺院では「祝麺」と呼んで祝い事の昼食に素麺を食べる習慣があります。忌み事としては、通夜ふるまいや法事の斎席で「にゅうめん」が出される地方が見られます。盂蘭盆会の精霊膳やえびす講の供膳にそうめんを供する習慣は全国に見られ、祖霊や神仏に供えられると共に親類縁者が集まって食べる例が多いです。仙台市などでは七夕に魔除けや子供の健康を願って素麺を食べる習慣がありますが、これは、幼くして死んだ子供が幽鬼となって疫病を流行らせたので、生前好物だった索餅を供えて供養したところ災厄が治まったという中国の故事に由来しています。
 しっかりと食べて、夏バテをなくしましょう!

 

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夕涼み

 今日はお盆の最終日ですが、太陽はあまり出ていないのに蒸し暑いですね。こんな日には夕涼みを楽しんでみませんか? 夕涼みとは夕暮れから夜にかけて、水辺や川辺で涼をとることです。特に、江戸時代には隅田川の両国橋近辺に涼を求めて多くの人々が集まり、茶屋も軒を並べ、賑わいをみせました。京都では、今でも夏になると鴨川沿いに川床が設けられ、夕涼みをしながら食事を楽しむことができます。自宅でも、縁側やウッドデッキなどで気軽に夕涼みを楽しみましょう!

 
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怪談

今日も暑くてたまらない日になりそうです。涼しい日はなかなか来そうもありません。今はエアコンがありますが、エアコンも扇風機もない時代、人々は夏の暑さをしのぐため、さまざまな知恵を絞り、工夫を施しました。「怪談」といえば、恐怖心によって夏に涼を得るアイデアの1つに思われますが、実際にどうでしょうか? 実は、怪談はお盆と深い関係があります。旧暦7月15日のお盆には、先祖の霊があの世から現世に帰ってくるとされています。但し、すべての霊が生前に満たされた人生を送ってあの世に行った訳ではありません。無念の思いを抱いた霊、成仏できない霊も少なくなかったと思います。江戸時代、お盆の時期に行われた芝居では、そうした霊の恨みや苦しみ、復讐への想いを、鎮魂の意味を込めて語るようになりました。そうして誕生したのが怪談であり、なかでも「東海道四谷怪談」、「番町皿屋敷」、「牡丹灯籠」は日本三大怪談と称されるほどに知名度を高めました。お盆がきっかけとなって生まれたため、怪談が夏の風物詩となったのです。平和な江戸時代の夏に、あえて階段を聞いたり語ったりすることで恐怖を味わい、涼をとろうとした側面があったことは間違いではありませんが、それだけが夏に会談がとりあげられる理由ではなかったのです。

        

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香/線香(こう/せんこう)

 盆の精霊棚に供える線香や蚊取り線香の香りは、日本の夏の情景を思い起こさせるものです。香には練り合わせて棒状にした線香、丸薬状の練香などさまざまな種類があり、白檀(びゃくだん)や伽羅(きゃら)などの香木を加えて、より香がよくなるようにしたものもあります。江戸時代には線香の燃焼時間で時を測り、禅寺では線香1本が燃え尽きるまでの時間約40分を座禅の時間の単位としたということです。よい香りをかぐと、脳内にアルファ波やβエンドルフィンなどが出てリラックス効果があり、蒸し暑い夏には涼感を呼びます。香は何となく、夜が似合う感じがあります。

 
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盆踊り

 盆踊りはお盆にかえってきた祖霊を慰める霊鎮め(たましずめ)の行事です。念仏踊り(自分で念仏を唱えながら踊る)から 踊り念仏(念仏を唱える人と踊る人がいます)に発展した民族芸能が盂蘭盆(いわゆるお盆のこと)と結びつき、精霊を慰めたり送り出すための行事になりました。15日の晩に盆踊りをし、16日に精霊送りをするのもそのためです。月が満ちるとき、その引力で海は大潮となり、人は高揚します。さらに、盆踊りには娯楽的な要素もあります。地域の結びつきを深め、帰省した人々の再会の場や、男女の出会いの場でもありました。盆踊りの歌詞に色恋ものやきわどい内容が多いのはそのためで、人々は年に一度の盆踊りに様々な思いを託しました。本来、盆踊りの晩(旧暦7月15日)は満月ですから、照明のない時代でも明るく過ごせ、月の引力の影響で人も高揚するため、盆踊りに最適だったのです。盆踊りは、祖霊になった人々との別れを惜しむ踊りであり、人の出会いや別れとともに過ぎ行く夏を惜しむ踊り。子供達は無邪気にはしゃぎ、大人達は様々な思いを胸に踊ります。そのためでしょうか、楽しいだけではなくなぜか切なさを感じます。

          

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団扇(うちわ)

 団扇は涼しい風を起こす道具で、日本の夏の必須アイテムです。最近はイベントなどさまざまな場面でオリジナルの団扇が配られています。団扇には、扇子面と柄が別に作られる京団扇(都団扇)、太竹を割って作られ、柄と骨が一本の竹でできた平団扇(丸亀団扇)、一本の細竹から作られる丸竹団扇(房州団扇)などがあり、いずれも職人の手によるもので、季節感のある絵柄も涼しさを演出してくれる。暑さをしのぐだけでなく、火をおこしたり、蝿などの虫を払うときにも便利です。最近はビニール製のものやキャラクターを描いたものなどさまざま団扇多く出回っています。手っ取り早く涼しさを得られるので、扇子とともに多くの人々に求められています。
        
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お盆

 学校の周りでも今日からお盆になるところが多いようです。お盆は先祖や故人の霊を家に迎えて供養する日本独自の風習です。仏教が伝来する以前から日本でおこわれていた先祖の霊を迎える「御霊祭り」と、仏教で逆さ吊りにされるような苦しみに会っている死者を救うための法要「盂蘭盆会」が融合して誕生したといわれています。江戸時代以前、お盆は貴族や武士など上層階級だけの行事でした。一般庶民の間にお盆が普及したのは、仏壇や盆提灯に灯すろうそくが安価で手に入るようになった江戸時代以降のことです。お盆の迎え火は、先祖や故人の霊が迷うことなく家に戻れるように灯す火のことで、家の玄関先や縁側などに吊るした盆提灯に火を灯すのが一般的です。一方、送り火はお盆の最後の夜に先祖や故人の霊があの世に無事に帰れるように帰り道を照らす火のことです。また、最終日の夕刻に、灯籠やお盆のお供え物、盆棚の飾り物などを小舟に乗せて、海や川に流すことで先祖や故人の霊を再びあの世に送り出す行事が「精霊流し」です。

             
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立秋

 今日は今年の立秋に当たります。立秋とは夏が極まり秋の気配が立ち始める日。七月節(旧暦7月)。『暦便覧』では「初めて秋の気立つがゆゑなれば也」と説明しています。夏至と秋分の中間で、昼夜の長短を基準に季節を区分する場合、この日から立冬の前日までが秋となります。二十四節気が成立した中国内陸部は、大陸性気候のためこの時期は気温が下がり始めているが、海に囲まれた日本列島ではピークがずれ込み猛暑の時期となることが多いです(今日は関東地方は台風の接近で涼しめですが)。翌日からの暑さを「残暑」といい、手紙や文書等の時候の挨拶などで用いられます。また、翌日から暑中見舞いではなく残暑見舞いを出すことになります。この頃は、月遅れのお盆を前に各地で夏祭りが開催されます。まだ夏のレジャーを楽しむ頃ですが、よく観察してみると秋の気配を感じることができます。夏の風と秋の涼やかな風が混在し始めます。空を見上げると、巻雲など秋の雲も見えることもあります。

 
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インターハイ速報

 三重県で開催されていたインターハイに出場していたウエイトリフティング部から朗報が届きました。3日におこなわれた56kg級の平井翔悟君が2位、6日におこなわれた94kg級の山本広大君が26位105kg級の柿本和希君が5位2人の選手が上位入賞をしました。
3人とも今まで頑張って蓄えた力を存分に発揮してもらえたと思います。3人の選手の皆さんと顧問の黒川先生、お疲れ様でした。

 

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海水浴

 暑い夏の時期、各地の海辺では海水浴に多くの人が訪れます。海水浴は夏のレジャーの1つで、海岸へ赴いて水着を着用して、スイカ割や日焼け、水泳等をおこなうのが一般的です。海水浴の歴史は17世紀のヨーロッパに遡りますが、18世紀後半から一般的になりました。当初は温泉浴と同様に、健康の維持と回復のためのものとして処方されて出かけるようなものでした。日本における初期の海水浴では、京都の時代祭りに登場する牛の引く御所車のような乗り物に乗り、牛に後ろ向きに海の中に入って後ろのドアを両開きに開き、自分たちが他から見えないようにして海に浸かったと言われています。また、当初はパジャマに似たような服装で海水浴をおこなっていました。また、江戸時代には、平磯(茨城県那珂郡)などで海水浴が行われ、潮湯治と呼ばれていました。 日本における近代海水浴は、明治時代、ジェームス・カーティス・ヘボンにより健康増進目的に奨励され、京浜地区の海岸では扇島、新子安、本牧をはじめとして海水浴場が次第に増え、戦後昭和の工業化による埋め立てが行われるまで海水浴客で栄えました。その後、時代の変遷とともに20世紀中頃からは水着用の特殊な生地が開発されたり、ビキニ、セパレーツ、Tバックなどの水着の流行を経て、今日に至っています。海水浴に適した砂浜の海岸は、海水浴場として整備されることが多く、日本では明治に陸軍軍医の松本良順が奨励をおこないました。海水浴の際の履物としてビーチサンダルがあります。海でも傷まず、足を洗うときが楽であるため、必需品とされています。裸足で過ごしてもかまいませんが、気軽に履いたり脱いだりできることや、足を危険物から守るため、重要です。また、夏の海岸線は紫外線が強く、日焼け止めの用意は大切です。ビーチで飲酒する場合は水分補給を忘れずに行い、飲酒後の海水浴は厳禁です。入れ墨、タトゥーなど、他の海水浴客に威圧感を与えるものは露出禁止となっている海水浴場もあります。

 

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山の日

 暑い日が続き、レジャーシーズンに入った感があります。ところで、8月11日の「山の日」は、昨年より施行される「山に親しむ機会を得て山の恩恵に感謝する」という趣旨の国民の祝日です。ほかの祝日と異なり、山に関する特別な出来事などの明確な由来があるわけではなく、「山の日」を国民の祝日にしようという様々な動きによってできました。日本は国土のおよそ7割が山地で、周りを海に囲まれているため、人々は山や海に畏敬の念を抱きながら生活し、それらの恵みに感謝しながら自然とともに生きてきました。1995年に「海の日」が国民の祝日になると、山梨県をはじめ複数の府県で「山の日」ができ、2002年の国際山岳年に「山の日」制定の構想が本格化しました。その後、2010年に日本山岳協会などの団体が「山の日」制定協議会を設立し、「山の日」を国民の祝日にする運動が全国に広がりました。こうした動きを受けて2014年に「山の日」が制定され、昨年より施行となりました。
 大人にとっては祝日が増えるのはありがたいですが(今年は土曜なので影響はなし?)、高校生は夏休みなので影響はなさそうですね。

 
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体験入学

 本日、体験入学を実施しました。140名を超える中学生が商業5つ、農業5つの授業に参加し、ふだんとはちがう高校の授業を体験をしてもらいました。商業系の授業はパソコンや電卓を活用することが多く、戸惑いもありましたが、すぐに慣れて課題にチャレンジ! 農業系は活動の時間が多く、興味津々で臨んでいました。その後部活動体験を実施し、20名ほどの中学生がブラスバンド、卓球、バスケット、バドミントン、ソフトテニス、弓道、サッカー、野球部の練習に参加しました。熱中症に十分注意しながら、在校生も先輩として中学生をうまく導けたようです。中学生や保護者の方々に学校を知ってもらうよい機会とすることができました。

 
     受付開始         これから体験入学を始めます
 
 情報処理(ビ会・商業科)        総合実践
 
    ビジネス基礎        情報処理(情報処理科)
 
      簿記             フラワー
 
     食品製造          グリーンライフ
 
      野菜収穫          ブルーベリー収穫
 
 部活動体験(バドミントン)     部活動体験(野球)
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麦わら帽子

 夏の定番、麦わら帽子(むぎわらぼうし、麦藁帽子)は、藁あるいは藁様の素材で編んだ帽子です。日本では夏に日よけとして用いられ、「ストローハット」とも、「麦稈帽(ばっかんぼう)」(麦稈=麦わら)とも呼ばれ、丸い山形をしており、日除けのつばが広く、あご紐が付けられる場合が多く見られます。男女ともにリボンが巻かれたり飾りが付けられたりすることが多くあります。麦わら帽子は、夏の野良仕事や海水浴などによく用いられるため、夏の風物詩ともなっています。そのため「麦わら」や「麦わら帽子」は夏の季語になっています。麦や藁で編んでいるため空気をよく通し、帽子内にこもりがちな熱をよく放出できるので、湿度の高い日本の夏の日除けに最適です。農作業用の帽子と思われがちだが、用途もガーデニング、アウトドア、ファッション用と幅が広がり、見た目の涼しさを楽しむ若者などは浴衣やアロハシャツ等と一緒に合わせてコーディネートしています。日本の麦わら帽子は、町役人の河田谷五郎が外国人の帽子を手本に作った(1872年)のが始まりとされています。工業的生産については、昭和3年に「麦わら帽子製造用環縫ミシン」をブラザー工業が販売したことが有名です。最近では、日本も欧米のように様々なデザインが存在します。麦わらをごく固く編んだものがカンカン帽(英:ボーターハット、仏:キャノチエ)であり、男女で人気があります。また、様々なリボンやコサージュによって装飾を施したり、極細の麦わらで作った高級麦わら帽子も注目されており、また、ファッションだけでなくアウトドアなどでも楽しめるつばを反り上げたテンガロンハット風なども存在しています。温暖化と自然素材の注目により天然草の帽子が見直され、またシミ、ソバカス、薄毛、白内障の原因となる紫外線を防ぐ実用品アイテムとしても注目されています。

             

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花火

 夏の風物詩といえば「花火」。隅田川の花火大会は日曜日におこなわれましたが、今後全国各地で花火大会が催され、大勢の人で賑わいます。ドーンと言う大きな音に心が踊り、夜空に花咲く色とりどりの輝きにワクワクしてしまいますよね。また、家族や仲間で思い思いの花火を選び、庭先でするのも楽しいものです。さて、花火はいつ頃からあったのか、また、どんな種類があるのか、そんな豆知識を知っておくと、一味違った楽しみ方ができるかもしれません。花火のもとである黒色火薬は中国で発明され、相手を威嚇したり火事をおこしたりする武器として使われていました。やがて通信手段のノロシが夜にも用いられるようになり、火薬を煌かせる技術が花火へと発展していきました。鑑賞用の花火は、14世紀にイタリアで作られたといわれ、その後、大航海時代と共に世界中に伝わっていったのです。日本へは1543年、種子島に火縄銃とともに火薬が伝来しました。そして戦乱がおさまった江戸時代になってから、観賞用の花火が登場してきました。天正17年(1589年)に伊達政宗が鑑賞したとか、慶長18年に(1613年)イギリス国王の使者が駿府城の徳川家康を尋ね、持参の花火を見せたという記録があります。この時、家康が見たのは竹筒に火薬を詰めて火を噴くだけのものでしたが、三河地方に残る「手筒花火」はこの名残だといわれています。その後花火は急速に発展し、江戸で開花していったのです。花火は将軍家をはじめ諸大名の間で流行し、江戸の大川端(隅田川の下流右岸一帯の称。大川=現在の隅田川)の下屋敷での年中行事となりました。やがて町民の間にも流行し、花火師や花火売りが登場しましたが、花火が原因の火災が多発したため「花火禁止令」が出され、花火を行う場所は大川端のみ許可されることになりました。その後、享保17年(1732年)に全国的な飢饉とコレラが流行し多数の死者が出たため、翌年の川開きで慰霊と悪疫退散を祈願する水神祭が催され、盛大に花火が披露されました。これが「両国川開き花火」(隅田川花火大会の原型)の始まり、つまり花火大会のルーツと言えます。この両国川開き花火で活躍した花火師が、「玉屋」と「鍵屋」。当初は鍵屋六代目弥兵衛が打上げを担当していましたが、やがて鍵屋の番頭が暖簾分けをされて玉屋市兵衛を名乗ると、川の上流を「玉屋」、下流を「鍵屋」が担当し、二大花火師の競演となりました。これを応援するための掛け声が「たまや~」「かぎや~」だったのです。花火は光(色)、音、煙、形の4つの要素が織りなす真夏のスペクタクルとも言えます。この夏は花火大会に出かけて、お気に入りの花火を探してみてはいかがですか?

 
 


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農業クラブ フラワーデザイン県大会

 8月1日(水)、鳩ヶ谷高校で埼玉県学校農業クラブ連盟フラワーアレンジメント競技会県大会が開催されました。この大会で本校の生徒は昨年度まで上位に入り、全国大会に出場しています。今年度は3年生の飯島さん、小川さん、1年生の尾澤の3名が参加しました。午前中はスパイラルとリボン、午後はラウンドアレンジの競技がおこなわれ、最終的に最優秀賞が飯島さん、優秀賞に尾澤さんが入りました。3人ともよくがんばりました。1学期から夏休みにかけて努力した成果が十分に発揮でき、よかったです。飯島さんが10月に開催される全国大会に出場します。全国大会でもがんばってもらえればと思います。

 
 
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8月の風景

 暑い日が続きます。8月は1年で一番暑い月ですが、はっきりとしない天気もあります。8月は旧暦8月で葉月(はづき)と呼ばれています。葉月の由来には諸説あります。木の葉が紅葉して落ちる月「葉落ち月」、「葉月」であるという説が有名です。旧暦で8月は秋に当たります。他には稲の穂が張る「穂張り月(ほはりづき)」という説や、雁が初めて来る「初来月(はつきづき)」という説、南方からの台風が多く来る「南風月(はえづき)」という説などがあります。英語名Augustは、初代ローマ皇帝Augustus(アウグストゥス)に由来しています。7月Julyはユリウス暦を創った共和政ローマ末期の政治家、ユリウス・カエサル(Julius Caesar)からなので、2か月続きでローマの英雄から英語では月名を採ったのですね。もっともイギリスは2000年前はローマの属州だったので、その影響があって当然かもしれません。
 8月は空も大地もゆったりと時が流れる感じがします。

 
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枝豆

 夏においしい枝豆。ビールのお供に欠かせないという方も多いはず。美味しさや希少価値からブランド化している枝豆もあります。その昔は、枝についたままゆでていたので「枝豆」と呼ばれたといわれています。おつまみの定番「枝豆」は、大豆をまだ青いうちに収穫したもの。通常は枝豆として未成熟時に収穫するのに適した品種を用いますが、完熟すると大豆になります。大豆は豆ですが、枝豆は野菜に分類されます。大豆にはないカロテンやビタミンCが豊富に含まれ、しかも大豆の栄養成分である良質のタンパク質や抗酸化成分も含んでいます。枝豆のタンパク質に含まれるアミノ酸の一種「メチオニン」は、ビタミンB1、ビタミンCとともにアルコールの分解を促し、肝機能の働きを助けてくれるので、「ビールに枝豆」は栄養的にも良い組み合わせなのですね。枝豆の種類は400品種以上といわれていますが、大きく3つに分けられます。
・白毛豆(青豆)の枝豆
 流通量が多く、一般的に出回っている種類で、鮮やかな緑色にうぶ毛が生えています。早生か晩生か、また粒の大きさの違いなどによってさまざまな品種があります。青森県津軽地方の在来種「毛豆」は、晩生ですが粒が大きく、コクと甘みがあり、津軽の秋の味覚となっています。
・茶豆の枝豆
 豆の薄皮が茶色いのが特徴。豆は一つのさやに2粒と小さいながら、甘みが強く独特の風味もあります。山形県庄内地方の「だだちゃ豆」や新潟県黒崎村(現在は新潟市)の「黒崎茶豆」などが有名です。
・黒豆の枝豆
 黒豆が成熟する前の未熟なもので、さやの中で黒くなる前に収穫するので、豆の薄皮がうっすらと黒みを帯びています。大粒で甘みとコクがありますが、生産量が少なく出回る時期も9月下旬から10月上旬と短いのであまり市場には出回りません。関西地方が主な産地で、「丹波黒豆」で有名な丹波篠山の黒大豆の枝豆は高級品とされています。
 枝豆は冷凍などもあり通年楽しめますが、収穫したての枝豆のおいしさは格別。旬の時期にはぜひ、新鮮な枝豆を手に入れてその日のうちにゆでて味わいたいものです。

 
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涼を楽しむ ~ 風鈴と風鈴市

 風に揺れて「ちりん、ちりん」と涼やかな音色を奏でる「風鈴」は、夏の風物詩。風鈴の音色を聞くと、ふと涼を感じるものです。風鈴市も各地で開催されます。暑い時期ですが、お気に入りの風鈴を軒先や室内の風の通り道につるして、爽やかに過ごすのも良いものです。風鈴のルーツは、仏教伝来とともにもたらされた「風鐸(ふうたく)」です。風鐸は、今の風鈴とは全く違う重い音色で、邪気を遠ざける魔除けの鐘としてつるされるものです。今でもお寺の軒先などに見ることができます。風鈴がいつから日本の夏の風物詩になったのかははっきりしませんが、江戸時代の浮世絵には、浴衣を着て涼んでいる美人とともに今と同じ形の風鈴が描かれています。青銅製が中心だった風鈴ですが、江戸時代に入ると、ガラス作りの技術がもたらされ、ガラス製の江戸風鈴が作られるようになりました。江戸の町にはたくさんの物売りがいて、売り声も高くにぎやかに売り歩いていましたが、「風鈴売り」だけは、風鈴の音色がよく聞こえるように声を上げずに売り歩いていたといわれます。

 


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夏を乗り切る薬味の知恵

 料理の味を引き立て、薬効成分をプラスするのが薬味。夏バテ防止にも一役買っています。夏場に出回るみょうが、しそ、わさびなどは食あたりを防ぐ薬草でもあり、加熱しないほうが効果的。料理にトッピングしたり、タレに混ぜたり、おいしく食べて元気な夏を過ごしましょう!
【みょうが】
 「花みょうが」とも呼ばれ、赤紫色のふっくらとしたみょうがは開花前の蕾にあたります。若い茎の部分は「みょうがたけ」として春先に出回ります。みょうがは、しゃきしゃきした歯ざわりが特徴。熱い味噌汁やそばなど、めん類とともに食べると爽やかです。夏野菜の浅漬などにいっしょに漬け込むと風味の良い漬けものができます。香りがきつすぎるときは、刻んでから水にさらします。東京都文京区の「茗荷谷」は、かつてこの地がみょうがの名産地だったことに由来します。
【大葉(しそ)】
 大葉にはビタミン、カロチン、鉄分が豊富。昔から民間薬として使われ、下痢や貧血、疲労回復に良いとされてきました。刺身のツマや天ぷら、めん類の薬味などに。すがすがしい香りが食欲をそそります。この、香り成分である「ペリルアルデヒド」は、食欲増進や健胃作用のほか、強い殺菌作用や防腐作用があり、食中毒の予防にも役立ちます。
 
【わさび】
 山間の清流に育ち、ツンとした辛味と香りが食欲をそそります。強い防腐・殺菌作用があり、食中毒の防止のため、刺身や握り寿司などの生ものにはわさびがつきものです。
チューブ入りも手軽ですが、香り、辛味の爽やかさではやはり生わさびのおろし立てのほうがおいしく感じます。生わさびは金気を嫌うので、すりおろすときはサメ肌のおろしを使います。生わさびはぬらした新聞紙に包んでからラップをして、冷蔵保存すると1ヵ月くらいもちます。
【しょうが】
 すりおろしたり、針しょうがに。殺菌力が強く、肉などタンパク質の消化吸収を高めます。血行を良くし、からだを温める効果もあるので、冷房や冷たい飲み物で冷えたからだには、しょうががおすすめです。
【にんにく】
 スタミナをつける食品といえばにんにく。疲労回復に効きます。匂いを気にしないなら、生の状態ですりおろしたり、細かく刻んだりして薬味に使うのが効果的。また油で揚げるとにんにくの有効成分が摂取しやすくなるそうです。醤油や酒に漬け込めば1年保存できます。にんにくの成分は食べ過ぎると胃の粘膜を傷つけたり、貧血になることもあるので1日1片くらいが適当でしょう。
 
【唐辛子】
 唐辛子の主な辛味成分であるカプサイシンは、胃腸を刺激し食欲を増進させます。また、発汗作用や強心作用があるので、暑いときに唐辛子入りの辛いものを食べると、たくさん汗も出てかえってさっぱりした気持ちになったりします。
ビタミンCやビタミンE、カロチンも多く含まれているので、疲労回復や夏風邪の予防、肌荒れ防止にも良いようです。ただし、これも刺激が強いので食べ過ぎないようにしましょう。赤いものより青い唐辛子が辛めです。
また、「獅子唐辛子」は辛味の少ない「甘味種」でピーマンなどと同種になります。辛味は少ないですが、カプサイシンも含まれ、ビタミンCが 豊富です。初夏から夏にかけて旬となる京野菜のひとつ「伏見甘長唐辛子」や「万願寺唐辛子」もこの甘味種の仲間です。
【ねぎ】
 ねぎには「白ねぎ」(根深ねぎ・長ねぎ)と「青ねぎ」(葉ねぎ)があり、通年出回っていますが、夏が旬なのは「青ねぎ」。香りが良く、薬味に重宝します。白ねぎが淡色野菜なのに対して、青ねぎにはベータカロテンが多く、緑黄色野菜。そうめんや冷奴などにたっぷり刻んで入れましょう。
 
【すだち】
 徳島県の特産品のすだち。香りがとても爽やかです。半分に切って、果汁を絞りかけたり、果皮をすりおろしたりして使います。レモンよりもビタミンCが多く、果皮にはビタミンA も含まれています。

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夏の涼味 心太(ところてん)と寒天

 冷たい口当たりとのど越しの良い食感が、暑い季節にぴったりの心太(ところてん)と寒天。これらの歴史は古く、古来より日本人に愛されてきた日本の伝統食品。味わいも使い勝手もいろいろあります。心太(ところてん)が大陸から日本に伝わったのは古く、仏教伝来の頃、精進料理のこんにゃくなどとともに製法が伝えられたと考えられています。奈良時代・平安時代にはところてんを売る店もできましたが、当時は上流階級のぜいたくな食べものでした。この頃はところてんにからし酢をかけて食べていたということです。ところてんは、天草(てんぐさ)という海藻を煮溶かし、冷まして煮凝らせたもの。そこで、天草は煮凝る藻ということで「凝海藻(こるもは)」「凝海藻葉(こごるもは)」と呼ばれ、煮凝ったものは「こころふと」と呼ばれて「心太」という漢字が当てられました。その後、上の漢字を訓読み、下の漢字を音読みする湯桶読みから「こころてい」と呼ぶようになり、「ところてん」に変化したと言われています。ところで、ところてんはさっぱりとした酢醤油で食べることが多いと思いますが、関西では黒蜜をかけて食べることがあります。奈良~平安時代、貴族の間では中国から輸入された砂糖が流行していたので、ところてんにも砂糖から作られた黒蜜を使って甘くして食べたのではないかと言われています。また、当時は砂糖も薬の一つとして扱われており、関西には薬種問屋が集まっていたので、一般にも浸透していったと考えられています。一方、寒天は江戸時代になって、京都伏見の美濃屋太郎左衛門が、偶然凍結したところてんから結晶水が抜け出して寒天質が残ることを発見。寒天は、ところてんから生まれた日本の伝統食品といえます。「寒天」という名前は、日本にいんげん豆などを伝えた明僧、隠元禅師が名付けたと言われています。寒天は、料理やお菓子作りに使われるほか、オブラートや細菌培養基などにも用いられています。海藻の一種である天草などから作られているので、食物繊維やミネラルなどをバランス良く含んでいます。寒天の食物繊維は、腸内をきれいにして便秘・肥満・高血糖を防ぐ働きがあります。また、日本人に不足しがちといわれているカルシウムも豊富です。おいしく食べて生活習慣病予防にも一役買ってくれるヘルシーな食品です。なお、寒天とゼラチンはよく似ていますが、実は全く違うものです。寒天は100%植物由来のものであるに対して、ゼラチンは牛などの動物の皮のなかの蛋白質から作ったもので、成分も製法も全く違ったものになります。

 

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かき氷

 真夏の日差しが照りつける中、「氷」と書いたのぼりをみるとちょっと涼しさを感じますね。冷た~いかき氷を食べて一休み...夏ならではの楽しみです。「かき氷」は日本の夏の風物詩、夏の季語で夏氷(なつごおり)とも言います。実はこのかき氷、冷凍庫がある現代だけの食べものではありません。昔の人も、暑い季節にかき氷を食べて涼をとるのが大好きでした。昔は、製氷技術はなかったので、冬の間、池で凍った氷を切り出し、それをなるべく溶かさないように貯蔵しました。山の麓の穴蔵や、洞窟の奥などを利用してそこに大量に氷を入れて冷却効果を高め、さらに断熱効果を高めるためにおがくずなどをかけて保存しました。この貯蔵場所を氷室(ひむろ)と呼びます。昭和初期に氷削機が普及し、かき氷が一般化していきました。戦前は、かき氷といえば、削った氷に砂糖をふりかけた「雪」か、砂糖蜜をかけた「みぞれ」、小豆餡をのせた「金時」などが定番のメニューでした。かき氷専用のシロップが販売されるようになったのは、戦後のことです。

 

 かき氷専用のシロップは「氷蜜(こおりみつ)」と呼ばれ、イチゴやレモン風味などさまざまな種類があります。また、砂糖水を略して水(すい)といい、「氷水」・「みぞれ」・「せんじ」・「甘露」とも呼ばれています。同一のものであっても、地域によって呼び名や盛りつけ方が異なりますし、地方によってユニークなかき氷があります。
たとえば、抹茶に砂糖と水を加え、茶筅で泡立てたシロップをかき氷にかけ、小豆を載せた宇治金時。宇治が抹茶、金時は小豆のこと。また、ミルクをかけた「ミルク金時」もあります。氷あずきは、水のシロップに小豆をのせたもの。白くまの発祥は鹿児島県で九州の名物氷菓です。かき氷にミカンやパイナップルの缶詰などの果物を盛り込み、小豆をのせ、練乳をかけたもの。カップ入りの氷菓やアイスキャンディーもあります。雪くまは、夏の猛暑で知られている埼玉県熊谷市が、暑さを元気に乗り切れるようにとブランド化したかき氷。地元のおいしい水を使った氷で、雪のようにふんわりした食感に削り、オリジナルのシロップや食材を使っていることが条件だそうです。みかん氷・パイナップル氷は、横浜スタジアムで売られているかき氷で、缶詰みかんや缶詰パイナップルをのせ、その上に 缶詰のシロップをかけただけのシンプルなもの。こうしてみると、色々なかき氷がありますね。甲子園球場名物の「かち割り」のように氷を細かく砕いたものもかき氷と呼ぶそうです。どれもおいしそうなかき氷で、食べ比べしてみたいですが、食べ過ぎてお腹を冷やさないよう、注意しましょうね。

 

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季節のたより「暑中見舞い」

 35°以上の日が続き、暑中真っ盛り! このような時に出すのが「暑中お見舞い」です。季節の挨拶状には、年始のご挨拶の「年賀状」、冬の「寒中見舞い」や「余寒見舞い」、夏の「暑中見舞い」や「残暑見舞い」があります。日頃の連絡は電話やメールで簡単にできますが、季節の便りが届いたらやはり嬉しいもの。堅苦しく考えないで、今年の夏は相手の笑顔を思い浮かべながら、暑中見舞いを出してみませんか。「暑中お見舞い」は、夏を無事に乗り切るために相手の健康を思いやるたよりです。「暑中」とは、暑い最中と察しはつきますが、実は二十四節気の「小暑」と「大暑」をさします。「小暑」は7月7日頃~大暑までのおよそ15日間、「大暑」は7月23日頃~立秋までのおよそ15日間、この小暑と大暑を合わせたおよそ30日間が「暑中」です。従って、「暑中見舞い」は「暑中」の期間に出すもので、立秋(8月7日ごろ)を過ぎると、「残暑見舞い」になる訳です。ただ、さすがに梅雨の最中はさすがに的外れなので、「暑中見舞い」は梅雨明け後から立秋までに出しましょう。 立秋を過ぎたら「残暑見舞い」にして、8月末までに届くようにします。ご無沙汰している友人、お世話になった方、気になるあの人など...。例えば、おしゃれなポストカードを見つけた時に、送りたいなと心に浮かんだ方へ。出したい気持ちを大切にすれば、自分の言葉で書け、気持ちや様子も伝わります。絵はがきにすれば、文章も短くてすみ、形式にとらわれず書けます。一口に絵はがきといっても、市販の季節の絵はがきを使ったり、インターネットでフリー素材を見つけて印刷したり、デジタルカメラで撮った写真を貼り付けて印刷するなど、いろいろな方法がありますね。また、暑中見舞いグッズも豊富な時期です。選ぶのも楽しいですね。夏休みにあたる時期なので、旅行に行かれる方も多いでしょう。旅先から絵はがきを送れば、旅の話題も盛り込め、リラックスした雰囲気で書けます。下手なおみやげより喜んでもらえます。また、季節感のある絵柄の切手や、送る相手の好みにあった切手を貼るとさらに雰囲気がアップ! 特殊切手や季節にちなんだふるさと切手、グリーティング切手などもあるようですので、チェックしてみてはいかがでしょうか。

 

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バレーボール羽実杯

 昨日、本校のバレーボール部主催の、第11回羽実杯小学生の部が、本校の体育館で近隣の小学生のバレーボール8チームを招いて開催しました。地域のバレーボールの交流とレベルアップが期待されます。この日は朝から多くの小学生を送って保護者の方々が来校し、駐車場の確保に戸惑う、うれしい悲鳴? となりました。体育館で開会式の後、順次試合がおこなわれ、一日体育館では声援がこだましました。

 

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彩の国進学フェア

 昨日、今日と、さいたまスーパーアリーナで開かれた「彩の国進学フェア」に参加しています。例年、中学生や保護者の関心が高く、昨日も開始予定の10時より早めの開場対応となりました。本校のブースにも多くの中学生や保護者の方が訪れ、学校の内容などを確認していただきました。多くの中学生、保護者に本校の情報を発信する貴重な機会としていきたいと思います。

 

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メロン収穫体験講座

 本日、小中学生を対象にメロンの収穫体験講座をおこないました。昨年は天候不順でメロンが大きくならず実施できなかったので、今年は出来てホッとしています。市内から10名ほどの小中学生・保護者が参加し、暑い中メロンの収穫をおこないました。実際に獲ったメロンを食べてみると、甘みが足りない? 獲れたてなので、熟成させると甘みが増すと思います。ふだんはなかなか出来ない貴重な体験をして、楽しい時間を過ごしてもらえたようです。

 
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祇園祭

 夏休みが始まりました。暑い日が続きますが、40日ほどの休みで何をしようか、楽しみにしている人も多いと思います。また、この時期は各地で夏祭りがさかんにおこなわれますが、そのなかでも祇園祭は最も大きな規模の1つです。祇園祭は京都府京都市にある八坂神社の祭礼で、日本を代表する夏祭りのひとつです。山鉾行事はユネスコ無形文化遺産にも登録され、神田祭(東京都)、大阪天神祭(大阪府)とともに日本三大祭に数えられています。7月1日の「吉符入」で始まる祇園祭は、7月17日の山鉾巡行、神幸祭、7月24日の山鉾巡行、花傘巡行、還幸祭を中心に、7月31日「疫神社夏越祭」で幕を閉じます。平安時代、京の都に疫病が流行した時、京の人々が牛頭天王(ごずてんのう)の怒りだと恐れ、当時の国の数と同じ66の鉾を立てて神を祀り、神輿を送って厄災が去ることを祈ったのが祇園祭の始まりと言われています。祇園祭が行われる八坂神社の祭神は素戔嗚尊(すさのうのみこと)です。日本各地には八坂神社を総本社として素戔嗚尊をまつる神社がたくさんあり、そこで行われるお祭りには「祇園」という名前がつくものが多くあります。近隣の熊谷市では、7月20日から22日まで3日間行われる八坂神社例大祭のうちわ祭がおこなわれます。12台の山車・屋台が熊谷囃子とともに市街地を巡行するようすは、その絢爛豪華さから関東一の祇園祭と称されています。そして、クライマックスは3日目の夜。あちらこちらの街角で引き合わせ、叩き合いが繰り広げられながら、山車と屋台がお祭広場に集結します。ライトアップされた山車・屋台。数万人の人の波。夜空に響きわたるお囃子と歓声。訪れた人の誰もを熱く燃えさせます。3日間で数十万人の方が祭りを楽しみます。江戸時代の多くの祭りがそうであったように、赤い色が厄除けになるという理由から、熊谷でも各家で赤飯を炊いて親戚などに配っていましたが、ある時、市内の料亭の主人が思いついて、当時、生活必需品だった渋うちわを配るようにしたことから「うちわ祭り」と呼ばれるようになりました。熊谷うちわ祭に「うちわ」が現れた時代については諸説があり、文献によっては江戸時代とするものもあります。暑気払いに出かけてみてはいかがですか?

 
 

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終業式

 今日は1学期の終業式。校長が1学期を振り返っての講話をした後、教務部の長澤先生から1学期の成績等について、生徒指導部の網野先生から夏休みの生活等について話がありました。その後陸上部の表彰、8月に三重県で開催されるインターハイに出場する、ウエイトリフティング部の56kg級の平井翔悟君、94kg級の山本広大君、105kg級の柿本和希君の壮行会をおこないました。3人は今まで頑張って蓄えた力を存分に発揮してもらえればと思います。また、3人を含めすべての生徒がこの夏休みを自らの力を伸ばす機会、自己・進路実現の機会としてもらうことを祈念します。

 
     校長講話          吹奏楽部の校歌演奏
 
    教務主任の話         生徒指導主任の話
 
     陸上部の表彰         顧問の出場選手紹介
 
  生徒会長 激励のことば       選手の決意表明

終業式での校長講話骨子:
おはようございます。35°以上の日が続いていますが、体調を崩していませんか? 早いものでもう1学期の終業式です。まさに「光陰矢のごとし」ですね。さて、始業式で2・3年生に「ノブレス・オブリージュ」という話をしましたが、覚えていますか? この言葉はフランス語で、「財産、権力、社会的地位の保持には責任が伴う」ことを意味しますが、2・3年生に当てはめれば、学校での生活を送るうえで、上級生はその経験を生かして1年生を良い方向に導き、高校生活を前向きに送らせるよう導くことだという話をしました。1年生が各部に入部してその活動が盛んになり、団体競技の部では単独チームでの出場が出来るようになり、放課後グラウンドや体育館で熱心に活動し、県大会に出場する部も増えました。2・3年生の指導がよかったと思います。

 今日は1学期の終業式で年間の3分の1の節目に当たります。「ふしありて、竹強し」という言葉があります。竹には「ふし」がある、だから曲がらず、折れず、真っ直ぐに成長します。高校生活には学期、学年という「ふし」があります。この学期というふしを迎え、自分を振り返ってみて、よかったことは何か、足りないものは何か、それを考えてみてください。

 先日、成績会議があり、先生方から皆さんの成績や生活の報告がありました。かなり頑張ったなと思える生徒、手を抜いてしまったかなと思える生徒、それぞれがいました。苦手であっても、得意でなくてもやらなければならない、最低のラインがある。手を抜いてしまった、失敗してしまった者はこの夏休みで挽回し、他の者に追いつくようにしましょう。

 次に日常生活はどうだったでしょう? 人は弱い生き物です。快楽や手抜きなど心の弱さを持っています。さまざまな曲がり角や局面で、自分の心にブレーキを掛けられたか? 心にブレーキを持っていなければ、他人に害を及ぼすとともに自分自身に害をもたらす。心のブレーキとは自制心です。本校の校訓「誠実」、「協調」につながります。不当な欲望を抑え、相手をいたわり、人間性を高めてください。

 また、健康増進はどうだったでしょう? このところ、熱中症で救急車で病院に搬送される生徒が何人かいました。聞くと、朝食や昼食を抜いたりしたとか。睡眠や食事をしっかりと取り、規則正しい生活を心がけてください。

 明日から夏休みに入ります。3年生は進路実現ための重要な時期です。特に、就職希望者は、すぐにも会社見学が始まります。しっかりとした気持ちで訪問をし、はきはきとした態度、笑顔を忘れずに、己を正して、頑張ってください。1・2年生は部活動、あるいは商業、農業等の専門教科で必要になる勉強や、この時期にしかできないことにも挑戦してください。

 よい計画を立てて、実施し、その成果をあげる皆さんに9月1日の終業式に会うことを期待して、終業式の講話とします。 


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土用の丑の日

 暑い日が続いて、身体がバテバテという人もいると思います。今日7月20日と8月1日は土用の丑の日です。この日にうなぎを食べると夏バテをしないと言われています。実はこの風習、江戸時代の万能学者であり、発明家でもある平賀源内が仕掛けたものだと言われています。源内は知り合いのうなぎ屋さんが夏はうなぎが売れないと困っていたのを見て、店の前に「土用丑の日、うなぎの日」という貼り紙をしたのです。これが大当たりして、土用の丑の日にうなぎを食べる風習が広まりました。元々、この日に梅干しやうどん、瓜など「う」のつくものを食べると病気にならないという言い伝えがありましたので、「う」のつく食べ物=「うなぎ」として定着したのでしょう。いずれも食が細くなる夏に食べやすいものです。このような言い伝えは先人たちのありがたいアドバイスとも言える訳です。スタミナをつけて夏の暑さ、ダルさを吹き飛ばしましょう!

 
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避難訓練

 本日、避難訓練を実施しました。9時10分地震が発生し1号館階段付近で出火した想定で、全校生徒が体育館に避難しました。点呼が完了するまでに11分30秒ほどかかりました。昨年度とほぼ同じ時間です。その後、校長と羽生消防署の方から講評がありました。
 災害はいつ、どこで、どのように起こるかわかりません。ふだんから災害が発生した場合の対応を考えておく必要性を改めて感じました。

 
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熱中症(日射病と熱射病)

 最近、熱中症による大きな事故が報告されるようになりました。この時期からの十分な対策は、スポーツに関わる全ての人たちに大切なことです。「日射病」と「熱射病」、よく似た名前なので同じ病気だと思ってる方も多いようですが、実は違うものです。日射病は、 夏の暑い日差しを浴びて歩き回ったときに体がオーバーヒートして起こります。顔が赤くなって息遣いが荒く、皮膚は暑くてさらさらと乾いた状態で汗が出ません。そして、目まいや頭痛、吐き気などの症状がでます。症状がひどいときは意識不明になり死亡することもあります。日射病を防ぐにはつばの大きい帽子を被り、その下にタオルなどを入れ、後頭部と首に直射日光が当たらないようにします。日射病にかかってしまったら風通しのよい木陰などに頭を高くして寝かせ、濡れたタオルで首筋や腋の下などを冷やします。あおいだりして風を送り、体温が平温になるまで続けます。 吐き気があったら顔を横に向かせます。塩分の含んだ水(スポーツドリンクなど)を少しずつ飲ませます。熱いものやアルコール類は禁物です。一方、熱射病は 高温多湿の下で長時間歩いたり作業をした時に、大量の汗をかき、体内の塩分や水分が著しく不足して起こります。つまり、体温の調節が効かなくなって起こる訳です。顔は青白く大量の汗が出、皮膚は冷たくじっとりとした感じになります。 体温は普通かやや低めで脈は弱くて早い。虚脱感とともに、目まい、吐き気がともないます。熱射病を防ぐには高温多湿の所、例えば夏の炎天下のテントの中での作業などは長時間に及ばないようにします。作業中はこまめに水分や塩分を補給しておきます。熱射病にかかったら、涼しい木陰に頭を低く足を高くして寝かせ、体温が低いようなら体を暖めます。水か薄い食塩水を15分おきくらいに飲ませます。夏の暑い盛りに激しいスポーツをすると、体は高くなった体温を冷やすためにたくさんの汗をかきます。あまりたくさんの汗をかき、この失った水分の補給をしてやらないと日射病になるという訳です。私が高校生の時は運動の最中には水分なんてもっての他だとよくいわれましたが、適度な水分は絶対に必要です。猛暑日、酷暑日が続きますが、適切な体調管理と十分な睡眠、食事の摂取に心がけましょう!

      

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スマホ・ケ-タイ安全教室

 本日、スマホ・ケ-タイ安全教室をおこないました。今回は生徒の多くが持っているスマートフォン等に係るトラブルに対応するため、NTTドコモ「スマフォ・ケータイ安全教室事務局」インストラクターの上島様を講師としてお招きし、生徒への指導をしていただきました。上島様は、DVDとパワーポイントを活用して、スマフォやSNSのトラブルの例をあげ、1度掲載した情報はコピーされたりと完全に消去するのは難しく、ネットトラブルの恐ろしさなどを詳しく説明してくださり、個人情報の安易な掲載をやめ、適切な利用(ネチケットを守る)や友だちとしっかり会話することの大切さなどをお話くださいました。
 全員がこれらのことを肝に命じ、きちんとした使用をすることを期待します!

 
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打ち水

 夏の朝夕の気温が比較的高くない時間帯に、道や庭先などに水をまく「打ち水」。水が蒸発する時に熱を奪い、地面からの放射熱も減少するため、気温が下がって夏の暑さを和らげる効果があります。また、舗装されていない道では、土ほこりを抑える効果もあります。現在は、暑さ対策として涼を得ることに重きを置かれている打ち水ですが、元々は、商店が店先に水をまくことで、お客様を迎える前にその場の穢れを祓って清めておくという心遣いのひとつでした。今日も猛暑日が予想されますが、少しでも涼しくなる工夫は必要ですね。
 
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球技大会

 今日は球技大会。男子はグラウンドでサッカー、女子は体育館でバスケットボールで、学年別・クラス別の対抗戦です。暑い日が続いており、今日は熊谷市で39°の予報が出ており、熱中症が心配されますが、グラウンドでも体育館でも、生徒たちの熱気と応援の歓声が響きました。

 
          女子のバスケットボール
 
            男子のサッカー
 
             閉会式と表彰
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PTA支部会

 今年度のPTA支部会が始まりました。14日(土)は午後1時30分より第1・2・3の合同支部会を羽生市のワークヒルズ羽生でおこないました。30°をはるかに超えるなか、多くの保護者の方々に御参会いただき、PTA会長、校長の挨拶の後、学校のほうから1学期の成績、夏休みの過ごし方、進路の状況についての説明をおこない、その後、学年別に分かれて懇談会を実施しました。学年別懇談会では、会社見学や大学等の選択を控える3年生が最も活発に意見・情報交換を交わしていました。15日(日)は午後1時30分より第4・5・7支部会を加須市のパストラル加須で、第6・8支部会を行田市のグリーンアリーナで開催しました。また、7月21日(土)には、午前10時から学校で上記の会に参加できなかった保護者の方々を対象に支部会を開催する予定です。

 
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野球埼玉大会2回戦

 昨日、野球の埼玉大会2回戦が越谷市民球場でおこなわれ、本校は越谷北高校と対戦しました。11時30分に始まった試合は、相手に先制され6回表まで5-1とリードされます。しかし6回、7回に2点ずつ得点し、ついに同点に終盤の粘りに期待しました。しかし、8回に長打を集められ5点を奪われます。最終回も四球で粘り、最後の打者もファウルで粘りましたが、三振となりゲームセット。 10対5のスコアーでしたが、7回までは互角の勝負で迫力がありました。また、怪我をした選手もいましたが、治療をして最後までグラウンドに立ち、頑張りました。応援の保護者の方々やブラスバンド部の生徒も懸命に応援し、選手はそれに十分応えていたと思います。全体的には力をつけてきているので、今後勝利も期待できます。炎天下の中、お疲れ様でした。

 
 

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ルビー

 7月の誕生石ルビーの語源は赤を意味するラテン語のルペウス。和名は紅玉。その名の通り、あでやかな真紅に輝くこの石は、宝石のなかの宝石とでも呼びたい美しさを備えています。昔は赤い宝石はすべてルビーと呼ばれていました。まさに、赤い宝石の女王、それがルビーなのです。ルビーは内部で燃える情熱の炎だと考えられていました。ルビーを身につける者は、内に秘めていた激しい情熱がよび覚まされるとともに、嫉妬や邪念を静め、精神の安定を得ると考えられていました。ルビーの最高の色は、なぜなのか、「鳩の血」の色にたとえられ、ピジョン・ブラッドといいます。それはやや紫色を帯びた濃いめの赤色をしています。ミャンマー産のものに多いと云われていますが、大粒のものが採れるのは稀で、たいへんな稀少価値があります。もちろん、それ以外のルビーに価値がない訳ではありません。むしろ傾向として、ビジョン・ブラッドよりは若干色の薄い赤い色に人気が集中しつつあるように思えます。7月の誕生石ルビーは、情熱、仁愛、威厳の象徴とされています。現在の誕生石のもととなる12カ月の宝石リストが作られたのは、1952年のアメリカ。梅雨のなごりが続く日本で選定されていたなら、きっと7月は別の宝石になっていたことでしょう。

       

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蛍狩り

 日本の夏の夜の風物詩と言えば、まず花火を思い浮かべますが、かつては蛍狩りも人気がありました。幻想的な光を放ちながら舞う無数の蛍を観賞することは、昭和の中頃まではさかんにおこなわれていました。蛍の成虫はセミと同じく1~2週間のはかない命です。短い一生でパートナーを見つけて子孫を残すために、光を発して異性にPRしているのです。繁殖に成功すると生涯を閉じます。そうした蛍の姿は、奈良時代から詩歌や文学の題材に取り上げられることも多く、花火が誕生する江戸時代前から蛍狩りは夏の夜の風流な楽しみとして親しまれてきました。日本では源氏ホタル平家ホタルが有名です。但し、清らかで流れが緩やかな川や水田などの水際の草むらにしか蛍は生息できません。自然が少なくなって都市化が進んだ場所では蛍狩りは出来ないため、現在は豊かな自然が残された地域でおこなわれています。一方、各地の自治体や教育機関などでも蛍を人工的に飼育し、観察する試みがすすんでいます。

 
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蓮(はす)

 蒸し暑くなり、蓮(はす)の花が咲く時期となりました。蓮の原産地はインド亜大陸とその周辺で、地中の地下茎から茎を伸ばし水面に葉を出します。草高は約1メートルで、茎に通気のための穴が通っています。水面よりも高く出る葉もあります。葉は円形で葉柄が中央につき、撥水性があって水玉ができます。地下茎は「蓮根」(れんこん、はすね)といい、野菜名として用いられています。開花期は7~8月で、白またはピンク色の花を咲かせ、早朝に咲き、昼には閉じます。蓮の泥水の中から生じ、清浄な美しい花を咲かせる姿が、仏の智慧や慈悲の象徴とされ、様々に意匠されています。如来像の台座は蓮華をかたどった蓮華座であり、た厨子の扉の内側に蓮華の彫刻を施したりしています。主に寺院では仏前に「常花」(じょうか)と呼ばれる金色の木製の蓮華が置かれています。また、死後に極楽浄土に往生し、同じ蓮花の上に生まれ変わって身を託すという思想があり、「一蓮托生」という言葉の語源になっています。先日、行田市の古代蓮の里公園に行ってみました。行田市の“天然記念物”に指定されている行田蓮(古代蓮)は原始的な形態を持つ1400年~3000年前の蓮であると言われています。古代蓮の里にほど近い公共施設建設工事の際に、偶然出土した種子が自然発芽し甦り、池に開花しているのが発見されました。地中深く眠っていた多くの蓮の実が出土し、自然発芽して一斉に開花した事は極めて珍しいことといわれています。古代蓮の里では行田市のシンボルともなっている古代蓮を育てており、可憐な古えのピンクや白の花が楽しめます。一度お出かけになっていはいかがですか。但し、花の開いているのは午前中です。

 
 

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ほおずき

 ほおずき(鬼灯) はナス科の多年草で、日本では平安時代から薬として利用されてきました。東南アジアが原産とされていますが、その自生地ははっきりしていません。淡い黄色の花を6月から7月ころ咲かせます。この開花時期にあわせて、日本各地で「ほおずき市」が開催されます。日本の仏教習俗であるお盆では、ガクに包まれたほおずきの果実を死者の霊を導く提灯に見立て、枝付きで精霊棚(盆棚)に飾ります。古くは薬草として利用され、子供の夜泣きやひきつけ、大人のお腹や胸の痛みを和らげる効能があるとされていました。中国では、根が「酸漿(サンショウ)」という生薬名で知られ、漢方医学では咳止めや解熱、利尿の薬として熱や黄疸の時に用いられます。毎年7月9日、7月10日に東京都台東区浅草の浅草寺でほおずき市が催されています。約200年前の明和年間に始まったと言われています。ほおずき市といえば浅草寺、と言われるほど有名なほおずき市。7月10日に参拝すると、なんと四万六千日も毎日お参りしたのと同じだけのご利益があると言われています。ほおずき市としては全国でも最大規模で、毎年全国からも多くの人たちが訪れて、大変な賑わいになります。境内にはたくさんのほおずきを売る店、そして風鈴の涼やかな音色が響き、いかにも浅草といった江戸の下町の風情を感じることが出来ます。

 

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高P連関東大会栃木大会

 7月6日(金)、7日(土)、栃木県で開催された関東高等学校PTA連合会大会栃木大会に参加しました。6日は栃木県の高校生によるアトラクションで始まり、高校生の演奏や演技で盛り上がりました。その後、全大会で今年度の大会宣言の採択、日光東照宮特別顧問の高藤晴俊さんによる「世界遺産日光東照宮の謎と真実」の講演があり、御自分の見解を交えながら東照宮についてユーモアを交えた話を伺いました。7日(土)は分科会「生徒指導とPTA」に参加し、神奈川県立鶴見総合高校と栃木県立上三川高校の取組の発表がありました。貴重なお話を伺うことができ、参考になりました。

 
 

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朝顔市

 朝顔市は、ほおずき市と並ぶ夏の風物詩です。朝顔市の朝顔は、青やピンクなど3~4色の大輪の花が一鉢に咲くように寄植えされた「あんどん仕立て」が主流です。「今日の朝顔は何色?」と夏の早起きは朝顔チェックで決まりですね! 朝顔はヒルガオ科のつる草で、支柱となるものに巻きつきながら成長していきます。巻き付く向きはなぜか左巻き。そして、朝顔は日没から10時間後に咲く、体内時計を持っています。それで、早朝に花を開き、日が出るとしぼんでしまうのです。似たような名前の花に昼顔、夕顔がありますが、昼顔はその名の通り昼に咲き、夕方しぼみます。夕顔はウリ科のつる草で、その実からかんぴょうが作られます。朝顔の原産地は中国で、奈良時代に遣唐使によって日本に伝来したといわれています。当時は朝顔の種は「牽牛子」(けんごし)といって、下剤や利尿作用がある漢方薬として珍重されていました。朝顔の花が鑑賞用として栽培されるようになったのは江戸時代になってからの事です。朝顔市で有名な入谷(東京都台東区)は、入谷田圃の土が良かったことと、腕の良い植木屋が多く住んでいたことから、朝顔の名所として有名になりました。朝顔市の代名詞ともなっている入谷の鬼子母神の朝顔市は、明治初期からの歴史があります。世情の悪化から大正時代に一度姿を消しますが、戦後の昭和23年に江戸情緒豊かな夏の風物詩として再開されました。朝顔の中国名「牽牛花」(けんぎゅうか)にちなみ、牽牛といえば七夕伝説に出てくるあの牽牛、ということで七夕を挟んで3日間開催されます。東京・入谷の朝顔市は、入谷鬼子母神を中心に言問通り沿いに市が立ち、毎年40万人もの人で賑わいます。朝顔は早朝に咲く花。朝顔市も朝5時スタートです。色よく咲いている花を品定めするには、やはり早起きして出かけたほうが良いですね。

 

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七夕

 明後日は七夕です。七夕といえば織姫と彦星の話が有名です。中国の伝説ですが、昔、天の川の西岸に織姫という姫君が住んでいました。織姫は機織りの名手で、美しい布を織り上げては父親である天帝を大変喜ばせておりました。そんな娘の結婚相手を探していた天帝は、東岸に住む働き者の牛使い彦星を引き合わせ、二人はめでたく夫婦になりましたが、結婚してからというもの、二人は仕事もせずに仲睦まじくするばかり。これに怒った天帝が、天の川を隔てて二人を離れ離れにしてしまいました。 しかし、悲しみに明け暮れる二人を不憫に思った天帝は、七夕の夜に限って二人が再会することを許しました。こうして二人は、天帝の命を受けたカササギの翼にのって天の川を渡り、年に一度の逢瀬をするようになったとのことです。一方、日本では、古来お盆に祖先の霊を迎える前の旧暦の7月7日、祓(はらえ)の行事がおこなわれていました。「棚機津女(たなばたつめ)」という衣を織る女性が神様に仕え、川などの清い水辺の機屋(はたや)に一晩こもって「棚機」という織り機で神様の衣装を織り、それを神棚に供えて、村人たちの穢れを払っていました。この2つが結びつき、7月7日の七夕の習慣が生まれました。七夕の習慣は江戸時代には庶民に広まりましたが、明治時代になると暦が太陽暦(新暦)になり、旧暦の7月7日が新暦では8月上旬となって1か月遅れるようになり、廃れていくようになりました。これに対して、昭和2年に大正時代から続く不景気を吹き飛ばそうと、仙台の商店街の有志たちが、伊達正宗も推奨したといわれる絢爛豪華な七夕飾りで名高い「仙台七夕まつり」を復活させ、これをきっかけに七夕まつりが夏の風物詩として日本各地で開催されるようになり、往年の輝きを取り戻しました。埼玉県では深谷市の七夕まつりが有名です。

 
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アメリカ独立記念日

 日本とはさまざまな面で交流の深いアメリカですが、その歴史は250年ほどです。1700年代、現在のアメリカ東部はイギリスの植民地であり、本国から多くの人々が自由を求めて移住していました。イギリス本国政府は戦争の負担を補うため植民地にさまざまな重税をかけました。これに対して植民地の人々は、本国圧力からの脱出と自由を求めて立ち上がり、独立戦争を起こしました。独立宣言(United States Declaration of Independence)は独立したことを宣言する文書で、1776年7月4日アメリカ大陸会議によって採択されました。このため、7月4日はアメリカ合衆国の独立記念日として毎年盛大に祝われます。独立後、アメリカは大陸西部に進出し、領土を拡大します。その頃の日本は江戸時代で、平和が続いていました。しかし、その80年ほど後の1853年には、ペリー提督率いる黒船が来航して日本に通商を迫るようになり、否応なしに世界の歴史・潮流に組み込まれていくようになります。アメリカとの関係がこの頃から現在や今後の日本にさまざまな影響を与えていくようになる、まさにスタートがこの日と言えると思います。

 
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省エネ

 夏は暑くて暑くて・・・。とついつい、クーラーに頼りがち。でもこのまま電気消費から生まれる二酸化炭素などの温室効果ガスが増えてくると、地球の温暖化はすすみ、夏はもっともっと暑くなるかもしれません。例えば地球の平均気温が2°上がると、東京の気温は鹿児島県と同じくらいの気温になると言います。地球温暖化の裏付けとしてアメリカ海洋大気局は1997年の地球の平均気温は16.9°で、今世紀最高だったと発表しています。夏は一年の中で最も電力使用の多い季節です。電気を多く使うと二酸化炭素の排出も増え、地球の温暖化に拍車をかけます。夏の電気の使われ方は平日13時~16時がピークとなります。その使用率の4割がエアコンによるもの。部屋の中を涼しくすればするほど地球は暖かくなっていくのです。エアコンの設定温度を1°高めにするだけで約10%の省エネになると言われています。また、一緒に扇風機を使って涼しい風を部屋全体に循環させてやることで少々設定温度を高くしても涼しく感じることができます。また、エアコンの室外機の廻りの気温が高いと放熱効率が悪くなり、冷房の利きも悪くなります。室外機を直射日光からさけるよう日よけやひさしを作ってやると冷房の利きもぐんと良くなります。ただし、前面の風通しが悪くならない様に気をつけましょう。冷房効率を上げるもう一つの方法は窓から入ってくる熱をできるだけ少なくすることです。最も簡単な方法は窓用断熱フィルムを貼ること。最近の断熱フィルムは光の透過率も良いため部屋が暗くなると言う心配もないようです。また、夏だけでなく冬の暖房効率も良くなります。

 

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7月の風景

 あっという間に3か月が過ぎ、7月になりました。今年は梅雨は早々と終了し、どうも暑い夏となりそうです。7月は旧暦で文月(ふづき、ふみづき)と呼ばれています。文月の由来は、7月7日の七夕に詩歌を献じたり、書物を夜風に曝す風習があるからというのが定説となっていますが、七夕の行事は奈良時代に中国から伝わったもので、元々日本にはないもので、稲の穂が含む月であることから「含み月」「穂含み月」の意であるとする説もあります。また、「秋初月(あきはづき)」、「七夜月(ななよづき)」の別名もあります。文月は日本海軍の駆逐艦の名称にも用いられています。英語での月名、Julyはユリウス暦を創った共和政ローマ末期の政治家、ユリウス・カエサル(Julius Caesar)からとられています。富士山の山開き、海開きも7月ですが、もうすぐ期末テストです。まずはこちらに3か月学んだ成果を答案用紙につづり、夏休みを満喫してもらえればと思います。

 
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