平成29年度~校長室

平成29年度~校長室

冬夕焼(ふゆゆうやけ)

 今朝まで冷たい雨が降っていましたが、今は晴れ、夕方には冬の夕焼けが見られそうです。冬の夕焼けは別名、冬茜(ふゆあかね)や寒夕焼(かんゆうやけ)とも言います。冬になると気温が低くなり空気が澄んで、夏に見る夕焼よりも色が鮮やかになります。太陽光の波長の長い赤光色だけが見えるので、木々が影絵のように浮かび上がり、空には真っ赤な夕景が広がります。また、陽が沈んだ後も地平線には赤い帯が残ります。このような空でUFOが目撃されることもあるそうです。ただ寒さは格別です。

 

 

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シクラメン

 この冬の時期、目を楽しませてくれる花の1つにシクラメンがあります。シクラメンは日本で最も生産されている鉢植え植物です。元々は地中海沿岸、ギリシャからチュニジアにかけて原種が自生し、古来は花ではなく、塊茎の澱粉を注目され、食用とされていました。しかし、大航海時代以後新大陸からジャガイモがもたらされると、シクラメンを食用にする習慣はなくなっっていきました。 日本には明治時代に伝わりました。戦後急速に普及し、品種改良も進められ、花色も黄色や二色、フリンジ咲き、八重咲きなどが登場しました。日本における鉢植え植物では生産量はトップクラスで、冬の鉢植えの代表格として定着しています。 従来、鉢で育てる室内観賞用のシクラメンが一般的でしたが、原種との交雑により、1996年に埼玉県児玉郡児玉町(現本庄市)の田島嶽が屋外に植栽可能な耐寒性のあるミニシクラメンの系統を選抜し、「ガーデンシクラメン」として売り出しました。この「ガーデンシクラメン」はガーデニングブームの波に乗り流行し、全国で生産が始まり、瞬く間に普及しています。

 

 

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ストーブ

 毎日、寒い日が続きますね。外出先から帰ってストーブのある室内に入るとホッとします。ストーブは燃料を燃焼させるなどの手段により、熱を発生させる装置です。燃料は石油、ガス、電気、薪(まき)などさまざまで燃料によって構造が異なります。日本の家庭で一般的に見られる灯油を燃料にした石油ストーブは、「アラジンブルーフレームヒーター」が優れた輸入製品として知られていました。国産ストーブの第一号は、1856年に武田斐三郎が外国船で見たストーブを参考に、函館の鋳物職人に製造させたものとされています。このストーブの頭部は半球状であり、煮炊きを考慮しない暖房用ストーブとなっていました。北海道など一部の寒冷地域を除いて、都市部の住宅事情は煙突を必要とする暖房器具が敬遠され、可搬型の石油ストーブは広く普及して、国内メーカーの開発競争もあり日本独自の発展を見せました。日本国外ではセントラルヒーティング方式による暖房が一般的であり、火災予防の観点からも裸火によるストーブを認めていない国やアメリカの一部の州もあります。 東日本大震災の発生後、停電が続いた地域もあり、発火に電気を利用するストーブが利用できないことがあり、かつてのマッチなどを利用するストーブが必要となった時期もありました。ストーブは燃料を燃やすので、きちんと消化を確認しないと火災の原因になることもあるので、気をつけましょう。

   

 

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学校説明会

 1月25日(土)、今年度最後の学校説明会をおこないました。寒い日にもかかわらず、150名に近い中学生・保護者の方々においでいただきました。校長の挨拶の後、入試に関する説明、商業系学科、農業系学科の説明をパワーポイントを利用してわかりやすくおこないました。その後、校内見学と個別相談をおこないました。個別相談にも多くの中学生・保護者に参加をしていただきました。今日参加された中学生が入試でいい結果を出して、希望の学部に入学できることを祈念します。

 

    ムジナモンと制服でお迎え        受付をお願いします

 

      商業系学科の説明            農業系学科の説明

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あんこう鍋

 あんこう鍋は、あんこう(鮟鱇)を主な具材とする鍋料理で、「西のふぐ鍋、東のあんこう鍋」と言われ、冬の代表的な鍋料理として東日本において広く食べられていますが、特に茨城県および福島県いわき市の鍋料理として、多くの店で提供されています。あんこうは、日本近海の水深100~300mの砂泥底に生息している深海魚で、底引き網(トロール網)で他の魚と一緒に水揚げされます。漁獲高日本一は山口県下関市とされていますが、茨城県を境に「北のアンコウ」、「南のアンコウ」と分けられ、北の海で獲れるアンコウの方が高値で取引されています。特に、親潮と黒潮が交わる茨城県の鹿島灘海域はプランクトンが豊富で質が良く、久慈漁港や平潟漁港で主に水揚げされている常磐物は豊洲市場で上物とされています。深海魚であり外見が奇妙ですが、「食べられないところがない」と言われるように、身はもちろん、皮や内臓、エラなど、骨以外は全て食べることが出来る無駄のない魚です。あんこう鍋の味付けは大きく分けて4種類で、味噌味は漁師風の味として、民宿や旅館、居酒屋、割烹料理店などで多く出されています。店独自の割下(スープ)により個性を出しています。料亭などの高級店では上品な醤油味のあんこう鍋が好まれています。これを味噌味にする場合、肝と味噌を練り合わせた団子の様なものを好みで鍋に加えます。どぶ汁は大洗町や北茨城市の一部の店で味わえる、より濃厚なあんこう鍋で、溶けたあん肝によりスープが濁ることから名付けられました。漁師風どぶ汁は上記のどぶ汁とは調理法が異なり、アンコウと野菜の水分だけでスープを作る鍋で、水を使わず野菜と味噌、アンコウだけで栄養価の高い鍋ができることから、漁師達に重宝されていました。ただし、この調理法は手間と時間が必要で、相当手馴れた人でなければ作ることが難しいため、一般的に提供している店は少なく幻の鍋です。どの調理法でも、最後にごはんと玉子、出汁を加え、「おじや(雑炊)」にして食べることが多いです。ふつう、魚はまな板で捌く事が多いのですが、アンコウの表面はぬめりが有り水圧に耐えられる柔らかい体のため、大きな個体になるとまな板の上で捌く事は難しく、そのため「吊るし切り」と呼ばれる方法がとられます。 その方法とは、下顎に鉤状のものをかけてアンコウを吊るし、水や氷を入れることによって安定させ、アンコウを回転させながら捌くのです。江戸時代の頃から始められていたと言われています。現在でも、茨城県にある大洗ホテルや一部の食事処でも店の前で吊るし切りを行っています。アンコウは栄養成分が豊富です。80%を水分が占める低カロリーの魚ですが、あん肝(肝臓)は脂質量が40%もあり高カロリーです。皮やヒレにはコラーゲンが多く含まれており、ビタミンCの多い野菜と食べる鍋は食品と一緒に食べると肌をきれいにすると言われています。

  

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進路体験発表会

 本日6時間目、進学・就職が決まった3年生による進路体験発表会をおこないました。3年の進路決定者が1・2年生の教室にそれぞれ3人ずつ訪問し、「いつ頃進路を意識したのか」、「受験前の心構えと下調べ」、「実際の体験」、「後輩へのアドバイス」などを自ら体験を交えて伝えました。3年生から1・2年生に「遅刻はしないように」、「面接練習はしっかりやっておいたほうがい」、「勉強は大切」などのアドバイスがあり、1・2年生からは「オープンキャンパスに何回行ったのか」、「内定後、課題が出されるのか」など質問もありました。3年生の進路の決まった生徒たち、お疲れ様でした。1・2年生もこれをきっかけに進路に向けてしっかりと考え、対応してもらえればと期待します。

 

 

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だいこん

 ダイコンはアブラナ科ダイコン属の越年草で、野菜として広く栽培され、主に肥大した根を食用とするほか、種子から油を採ることもあります。名前の由来は、大きな根を意味する大根(おおね)からきています。 原産地は確定されていませんが地中海地方や中東と考えられ、紀元前2200年の古代エジプトで、今のハツカダイコンに近いものがピラミッド建設労働者の食料とされていたのが最古の栽培記録とされ、その後ユーラシアの各地へ伝わりました。日本には弥生時代には伝わっており、ハマダイコンまたはノダイコンと見られる古保禰(こほね)も栽培され、現在のカイワレダイコンとして用いられていました。江戸時代には関東の江戸近郊である板橋、練馬、浦和、三浦半島辺りが特産地となり、その中で練馬大根は特に有名です。 ダイコンは、日本においては品種・調理法とも豊富で、世界一大きくて重い桜島大根、世界一長い守口ダイコンなどの種類があり、日本人の食卓には欠かすことのできない野菜です。葉はビタミンAを多く含み、青汁の原料として使われています。汁はビタミンCやジアスターゼを多く含みます。野菜としての位置は、春の七草の一つ「すずしろ」であり、薬味や煮込み料理にも使われるなど、利用の幅は広くあります。薬草で、消化酵素を持ち、血栓防止作用や解毒作用があります。主に生食または加熱調理され、保存用に漬け物、乾物とされるほか、辛みを生かして香辛料としても利用されます。 ダイコンはクビ(葉に近い部分)は汁が多くて甘く、サキ(地に深い先端部分)は汁が少なく辛いです。このため、クビの部分は生でサラダに、サキは大根おろしなど薬味に向きます。 大根は、生でも煮ても焼いても消化が良く、食当たりしないので、何をやっても当たらない役者を「大根役者」と呼びます。同じ理由で、なかなか当たりを打てない野球の打者を「大根バッター」とも呼びます。 この寒い時期には、鍋物の具として欠かせない存在です。

 

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花の内(はなのうち)

 花の内はお正月の1月15日から31日までの期間を指すことばで、元旦から7日までの『松の内』や1月4、5日の小寒に始まる30日が『寒の内』と呼ばれているのと同じような意味です。東北地方でヒエ、アワの穂や削り花を立てておくのでこう呼ばれたと言います。また、1月15日の『小正月』には木の枝にモチや団子を刺して豊作祈願するので『花正月』とも呼ばれ、稲の予祝を行うので稲の花にかけて『花の内』という説もあります。ただ、この時期は咲いている花は少なく、暖かい春が待ち遠しいです。

 

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園芸科課題研究発表会

 今日の5・6時間目、園芸科3年生の課題研究発表会をおこないました。園芸科では3年生の授業で週4時間課題研究の授業があります。生徒は野菜班、バイオ班、フラワー班に分かれて自分たちで研究テーマを決め、探求します。今日は1年かけて探求してきた成果を園芸科の2年生を前に発表しました。野菜班はメロン、トマト、イチゴの研究を、バイオ班は菌を培養して納豆やバターの作成、チーズやきのこの培養など、フラワー班は検定試験の内容やウエディングブーケづくりなどについて発表しました。緊張してうまくしゃべれなかった生徒もいましたが、しっかりと自分たちの研究発表をすることができました。2年生も来年どのようなことを研究するかのヒントをもらえたようでした。

 

 

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フランス、大変革の日

 タイトルから「一体何のこと?」と思う人が多いと思いますが、これには多分に私の主観が入っていますので、「こう考える人もいるのね。」くらいにとらえていただけるとありがたいと思います。
 今から227年前の1月21日、フランスのパリで国王だったルイ16世が多くの公衆の前でギロチンで処刑されました。フランスは古くから国王の権力が強く、国王の命令のもと、近代以降はヨーロッパの強国として近隣の国々と争ったり、海外にも積極的に進出して強勢を誇っていました。しかし、18世紀以降はその積極戦略がうまくいかず、国家財政が厳しい状況が続いていきました。このフランスを根底から支えていたのは、農民や商人などの第3身分でしたが、彼らは搾取の対象で、その上に立つ聖職者や貴族は税金も払わず、退廃的で贅沢な暮らしを送っていました。これに不満を募らせた第三身分の人々がパリのバスティーユ牢獄を襲撃してフランス革命が始まりました。国王ルイ16世はこの事態収拾をうまくできず、国家逃亡を図るなど多くの人々の信頼を失い、彼らの怒りを増幅させて、議会の決定で処刑となりました。でも、王が庶民に公開処刑にされるなどふつうは考えられません。各国の皇帝や王はぞっとしたと思います。その後、フランスではナポレオンが皇帝となったりと皇帝政治、王政治が復活したこともありましたが、現在のフランスは民主主義の国家として、EUの中心として、世界をリードする立場にあります。現在も国王がいる国もまだありますが、人々の声が政治に反映される国が多くあります。その意味では、ルイ16世の処刑・体制変更は当時のヨーロッパ社会に大きな衝撃を与え、民主主義社会への道を開いたと言えると思います。

 

 

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大寒(だいかん)

 今日は今年の大寒です。また、2月上旬の立春までの期間のことを呼びます。大寒は冬の季節の最後の節気で、寒さがさらに厳しくなり、1年中で最も寒い時季です。小寒から立春までの30日間を寒の内といい、大寒はそのまん中に当たります。この時期には、寒稽古など耐寒のためのいろいろな行事が行われます。また「寒仕込み」といって、寒気を利用した食べ物(凍り豆腐、寒天、酒、味噌など)を仕込むのに最もよい時期とされています。寒の水とは寒の内の間に汲んだ水のことで、この時期の水は雑菌が少なく体にも良いとされてきました。また、長期保存に向いているとされ、「寒の水」で作られた味噌、醤油、酒は腐らないといわれています。中でも、寒の入りから9日目に汲んだ寒九の水は、薬にもなるといわれるほど良質とされ、酒造りにおいて最高の酒ができるといわれています。良質のものができるのはうれしいですが、寒さが大好きな人は少ないですよね?

 

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阪神淡路大震災の記憶

 高校生のみなさんも聞いたことがあると思いますが、25年前のこの日、近畿地方はマグニチュード7.3の大地震に襲われ、特に神戸の街が壊滅的な打撃を受けました。この地震は阪神淡路大震災と呼ばれ、道路・鉄道・電気・水道・ガス・電話などの生活ライフラインは寸断され、広範囲において全く機能しなくなりました。これ以降、都市型災害及び地震対策を語る上で、「ライフライン」の早期の復旧、「活断層」などへの配慮、建築工法上の留意点、「仮設住宅」「罹災認定」等の行政の対策などが注目されるようになりました。死者6434名、行方不明者2名、負傷者43792名と、多くの人々が打撃を受けました。避難人数はピーク時で316678人、住家被害は約90万棟、火災被害はやく14600件、その他道路の破損7200か所以上、橋梁の破損330箇所、河川の破損774箇所、崖崩れ347箇所となり、被害総額約10兆円規模と未曾有の規模の災害でした。この被害に対応するため、全国からさまざまな形の「救援・支援」が寄せられました。救援物資・義援金・ボランティア活動のほか、インフラの復興には他府県の電力会社・ガス会社などの多くの職員が復興応援のために現地入りし、対応しました。9年前の東日本大震災の時、この時の経験が生きたこともあったかと思います。災害は起こってほしくありませんが、いつ何が起こるのかわからないのも事実です。さまざまな場面に対応できるよう、ふだんから準備、対応の検討はしておきましょう!

 

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白菜 

 寒い日が続きます。この時期は鍋物で体を暖めたいところですが、冬場の鍋に欠かせないのが白菜です。白菜の原産国は中国で、日本には江戸時代に渡来しました。菜類の中では貯蔵性が高く、冬場ですと2カ月ほどもちます。今ではいつでも食べれる白菜ですが、旬は1月ころで栄養面では野菜の中でもに水分が多く、カロリーは低いです。また、白菜にはカリウムや食物繊維が豊富に含まれています。カリウムや食物繊維は血圧を上昇させるナトリウムを体外へ排泄する働きがありますので、高血圧を予防する働きを期待することができますが、漬物はそれ自身にナトリウムが多量に含まれているので、高血圧予防の効果は期待できません。選び方のポイントは葉先まで固く巻いていて、大きさのわりに重いものを、切ったものを買う場合は、断面が水平で葉が詰まっているものを選びましょう。黒い斑点があるものは避けた方がいいです。白菜はビタミンCはそれほど多くありませんが、冬は供給源が不足する季節ですので、あんかけなどで煮汁も一緒にいただけるように工夫したいものです。丸ごとのものは新聞紙にくるんで冷暗所で保存。半分に切ったものは、下部の根元に縦に切り目を入れ、湿らせた新聞紙でくるんで冷蔵庫で保存してください。昨年台風が多かった影響で、野菜は高値が続いているものもありますが、しっかりと食べたいものです。

 

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藪入り

 江戸時代に、商家などに住み込みで働いていた丁稚(でっち)や女中などの奉公人、嫁いできた新婚のお嫁さんが、休みをもらって実家に帰省することを「藪入り」と呼びました。1月15日の小正月が終わった翌日の1月16日と、7月15日のお盆を終えた翌日の7月16日が藪入りの日でした。奉公先あるいは嫁入り先で正月と盆という重要な行事を済ませ、そのうえで実家の行事にも参加できるようにとの配慮が生んだ習慣とされています。現在のような定休日がお店にない時代、藪入りは奉公人にとっては貴重な休日で、主人はお小遣いや着物などを持たせて、親元に送り出したそうです。第二次世界大戦が終わり、労働基準法が整備され、日曜日などを定休日とする店が増えたことで、藪入りの習慣は過去のものとなりました。但し、正月と盆の帰省という形式で藪入りの伝統は、現在にも継承されています。

 

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小正月

 小正月は旧暦の1月15日は立春後の望月(もちづき。満月のこと。)にあたり、その昔この日を正月としていました。元服(現在の成人式)が行われていたのもこの日です。やがて太陽暦になると、元日を「大正月」、1月15日を「小正月」と呼ぶようになりました。大正月が年神様を迎える行事なのに対し、小正月は豊作祈願や家庭的な行事が多いのが特徴です。また、大正月を男正月、小正月を女正月ともいい、松の内に多忙をきわめた女性をねぎらう休息日でもありました。小正月には餅花を飾り、豊作を祈ります。餅花とは紅白の餅で、これを柳などの木に飾りつけ、農耕神の予祝の花とされている桜の花や、実った稲穂に見立てます。地方によっては餅ではなく繭を使い、繭玉と呼びます。餅花は小正月の正月飾りでもあります。また、小正月には小豆粥を食べ、無病息災を祈ります。小豆のように赤い色の食べものは邪気を払うと考えられています。祝い事の席には、小豆を使った赤飯などがつきものですね。

 

 

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成人の日について

 13日(月)は成人の日です。現在は男女を問わず、20歳になると公に「成人」として扱われます。そして、晴れて成人となった若者が大人としての重い責任を新たに自覚し、同時に彼らを祝い、励ますのが「成人式」です。成人を20歳以上としたのは、1898年(明治29年)の民法制定時に徴兵制度や課税の基準年齢が満20歳だったことにあわせたものと言われています。成人の日が1月15日と制定されたのは1948年(昭和23年)のことで、戦後の混乱の昭和21年、埼玉県蕨市で日本の将来を担う若者を激励するために開催された「青年祭」がきっかけとなりました。そのなかの行事「成年式」が全国各地で成人式として広まり、そのうねりを受けて国が「国民の祝日に関する法律」に成人の日を盛り込んだのです。
1月15日が成人の日となったのは、昔は正月に大人として認められる「元服」の儀式をおこなったから、小正月や関東以外の松の内の終わりが1月15日であるからなど、諸説あります。ちなみに、成人の日はハッピーマンデー法により2000年(平成12年)以降は1月の第2月曜日となりました。日本では、明治29年の民法制定まで成人を20歳以上とする考えはなく、男子は平安時代以降10~16歳、女子は12~13歳が成人としてとらえられ、下していた髪を結い上げる「髪上」という儀式をおこなっていました。また、一定の年齢に達したら成人という考え方ではなく、1日に何キロの芝を刈れるなどの行為ができるようになれば成人として認める考え方もありました。ところで、成人年齢を現行の20歳から18歳に引き下げるとともに、女性が結婚できる年齢を16歳以上から男性と同じ18歳以上にする改正民法が成立しました。施行は2022年4月1日からとなります。つまり、今の高校2年生は今までと同じように20歳で成人となりますが、1学年下の高1、中3の生徒は2022年に成人となり、3学年が一挙に成人となる現象が生まれます。成人式の在り方ややり方や、未成年者のため契約の際に親の同意が必要だったことがなくなるなど、大きな変化が起こります。これから社会全体で考え、対応していかなければならない課題です。

  

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鏡開き

 お正月の間、年神様の居場所になっているのが鏡餅。そのため、年神様がいらっしゃる松の内の間は飾っておき、松の内が過ぎたら下げて食べ、年神様をお送りします。年神様の依り代(よりしろ)である鏡餅には年神様の魂が宿っているとされるため、鏡餅を食べることでその力を授けてもらい、1年の家族の無病息災を願います。つまり、鏡餅は供えて、開いて、食べてこそ意味があるのです。松の内を1月7日までとする地方では11日に、関西など松の内を15日とする地方では15日に鏡開きを行う場合が多いようです。昔は「二十日正月」といって20日に鏡開きを行っていましたが、徳川幕府三代将軍・徳川家光が慶安4年4月20日に亡くなったため、月命日の20日を避けて11日になったといわれています。鏡開きはもともと武家から始まった行事で、鏡餅に刃物を使うことは切腹を連想させるので禁物でした。そこで、手か木槌などで割ることになりましたが、「割る」という表現も縁起が悪いので、末広がりを意味する「開く」を使って「鏡開き」というようになりました。鏡開きで年神様を見送り、お正月に一区切りつけるということは、その年の仕事始めをするという意味がありました。剣道などの武道で、新年の道場開きに鏡開きとしてお汁粉をふるまったりするのは、その名残りです。また、祝い事の時に振舞われる樽酒のふたを割ることも鏡開きといいますが、これは酒樽のふたのことを「鏡」と呼んでいたから。米からできる日本酒は神聖なものとされ、神事を営む際に神様に供えられ、祈願が済むと参列者で酒を酌み交わして祈願の成就を願う風習がありますので、やはり縁起の良い「開く」という表現を使っています。鏡餅の鏡開きも、樽酒の鏡開きも、新たな出発に際して健康や幸福などを祈願し、その成就を願うということは同じなのです。

   

 

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だるま

 赤くて丸い身体に、黒々とした眉とひげ。転んでもすぐに起き上がる「七転び八起き」のだるまは、商売繁盛や運が向く縁起物です。神社やお寺の縁日などで売られますが、特に歳末から3月ごろまで、全国各地でだるま市が開かれています。だるまのルーツは、室町時代に作られていた起き上がり玩具ですが、江戸時代に達磨大師の姿を模して作られたところから、「だるま」と呼ばれるようになりました。達磨大師とは実在の人物で、中国の嵩山(すうざん)少林寺で、9年も壁に向かって座禅をして悟りを開き、禅宗の始祖となったという高僧です。群馬県高崎市の少林山達磨寺が、このだるま発祥の地として有名です。昔、碓氷川の大洪水で流れてきた巨木で、一了(いちりょう)という行者が達磨大師の姿を彫ってお堂に安置したのが達磨寺の起こりです。江戸時代、天明の飢饉の時に、少林山の九代目・東嶽(とうがく)和尚が、農家の副業として達磨大師の絵を手本に張り子のだるまを作らせ、七草大祭で売らせたところ、商売繁盛、家内安全のご利益があるとして、たいそう評判になりました。毎年1月6日・7日に「少林山七草大祭だるま市」、通称「高崎だるま市」が開催されています。高崎だるまの顔は、眉は鶴、ひげは亀を表しているそうで、縁起の良い顔の福入りだるまを買い求める多くの人で賑わいます。だるまは、売られている時は両方の目が白いままのものがほとんどです。だるまに「願」をかける際に片方の目に黒目を入れ、願いがかなった時にもう片方の目を入れますが、これは、昔、養蚕農家で行われていた風習からきているといわれます。群馬県は養蚕が盛んな土地です。蚕は年に3回繭を作りますが、養蚕農家では、春の繭が良ければだるまに片目を入れ、秋の繭も良いと、もう一方の目も入れる習慣があり、それが一般に広まったといわれています。また、目を入れることは「目(芽)が出る」に通じてめでたい意味もあるそうです。

   

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3学期始業式

 本日、3学期の始業式をおこないました。多くの生徒が元気に登校しました。校長よりは新年にあたり3年生、1・2年生に激励のことばを贈りました。さらに進路指導担当の飯田先生より進路についての心構え、生徒指導部の網野先生より生活面についての話がありました。
 3学期に入り、それぞれの生徒が1年の集大成を図る時期になりました。目標や進む方向は違っても、自分らしく生きてほしいと思います。

 

始業式での「校長講話骨子」:
 皆さん、おはようございます。冬休みはゆっくりと過ごせましたか? 3学期となりました。皆さんにとっても次へのステップに繋げる、まとめの学期となりました。年変わりに気持ちを新たに頑張ろうと思っている人が多いと思います。
 さて、今日は皆さんにことばを贈ろうと思います。
 まず、3年生には「良弓は張り難し。」という言葉を贈ります。これは今から2千年以上前の中国の思想家墨子の言葉です。よい弓は強く、弦を張るのは難しいが、一たび弦を張れば、遠いところでも射ることが出来る。人の場合も同様で、才能のある者はなかなかいうことを聞かないが、うまく才能を生かせば伸びるものです。学習でも仕事でも初めて体験することに、最初から何もうまくいくとは限りません。でもうまく、少しずつ対応をしていけば、自分の力を発揮できるようになります。そのためにうまく弓を張って(対応をして)もらいたいと思います。
 少子高齢化、AI化、多様な価値観がある現代社会や未来においては、今までの常識や既成事実は通用しません。数十年後には今ある仕事の50%がなくなり、新しいものにとって代わられていくと言われています。このような大変革期に、社会や企業は若い感覚や柔軟な考えを持つ皆さんに期待します。しっかりと弓を張って対応していってほしいものです。
 次いで1、2年生には「自ら勝つ者は強し。」という言葉を贈ります。これも今から2千年以上前の中国の思想家老子の言葉です。本来この言葉は「人を知る者は智、自ら知る者は明なり。人に勝つ者は力有るも、自ら勝つ者は強し。」の一文です。この文の意味は「他人のことを知る者は一応知恵者と言えるが、自分をよく知る者こそ真に聡明な人物である。人を打ち負かす人はその人より確かに強いが、自分自身に打ち勝ってこそ真の強者と言える。」・・・。現代は競争社会で、さまざまな面において勝つことが求められ、皆さんの周りでも他人に勝ってその地位や権利を手にするのが当たり前です。勝った者は勝利者です。しかし、真の競争相手とは一体誰なのでしょう? どんな人の心の中にも私欲、邪悪、怠け心は潜んでいます。勝っては驕り、負けて心をふさいではこれらの悪が広がります。自分の適性、能力、性格をよくわきまえ、自分の拠るべきところを知り、それを失わない者こそ真の勝利者であると老子は言います。
 1年生は2年生となって学校をリードしていく立場に、2年生は最上級学年として現在の3年生のように進路実現、自己実現を成し遂げる年になります。4月にも気持ちを新たにすると思いますが、1月から意識していれば考える時間が増え、ゆとりができます。精神的に、時間的にゆとりをもっていろいろなことに取り組みましょう!
 いずれにしても、風邪などをひかないように体調管理には十分気を付けて、今年を過ごしてもらえればと思います。期待しています。

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春の七草・七草粥

 今日1月7日は「人日(じんじつ)」で、五節句の1つ。七草粥を食べる日でもありますね。そこで、春の七草について調べてみました。一年の無病息災を願って1月7日に春の七草を使って作る七草粥。厄払いと健康を祈りつつ、今年も元気で過ごせますように祈ります。ところで春の七草を全部わかりますか? 芹(せり)、薺(なずな)(ペンペン草)、御形(ごぎょう)(母子草)、繁縷(はこべら)(はこべ)、仏の座(ほとけのざ)(田平子(たびらこ))、菘(すずな)(蕪(かぶ))、蘿蔔(すずしろ)(大根)と言われています。 農家では白い米に大根、人参、小松菜、ねぎ、ホーレン草、ミツバ、セリなどを入れごった煮にして食べます。セリは6日に水が湧く掘や田んぼに摘みに行きます。他は家で作った野菜を入れることもあります。七草粥は正月の餅腹を休ませるため、青い物を食べる日と言われていましたが、春の七草は越冬の強い植物だから冬枯れの季節に青い物を補食する意味があると思えます。七草の日は初めて爪を切る日と言われ、セリなどを浸した水に指を入れてから爪を切れば、一年の間爪の病からのがれると言われています。考えてみると、秋の七草がどれも見て楽しむ植物。春の七草はすべてが食用とされているというのは面白い事を昔の人は考えたものですね。

  

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小寒

 今年は全般的に暖冬と言われていますが、今朝は寒いですね。今日は小寒に当たります。小寒とは二十四節気の1つで、「最も寒い時期の始まり」を意味します。新暦では1月5日~6日頃で年によって変わります。小寒が「寒の入り」で、立春の前日が「寒の開け」、寒の入りから寒の開けまでの1か月を「寒の内」と言います。ちなみに「寒」(かん)とは「最も寒い時期」のことです。「寒中見舞い」を出すのはこの「寒の内」の期間になります。小寒の時期は日本ではまだお正月気分。関東では1月7日に、関西では1月15日に松飾りをはずし、どんど焼きでお正月の飾りものを焼いて、歳神様を天に送ります。11日は「鏡開き」で、「鏡餅」を割ってかき餅などにして食べます。「鏡餅」は歳神様の依り代、あの丸いお餅は三種の神器の一つ「八咫鏡(やたのかがみ)」をかたどったものだそうです。鏡餅の上の乗せるミカン(本当はダイダイ)もやはり三種の神器の一つ「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」をかたどっているそうで、畏れ多いものだったのですね。子供の頃から続く習慣として無意識に受け継いでいましたが、天照大神(あまてらす おおみかみ)の神話につながる伝統です。15日は「小正月」と言って小豆粥を食べる習慣があったそうですが、今ではむしろこの頃は「成人式」の話題がニュースで報じられたりしています。暖冬とはいっても寒い時期なので、風邪やインフルエンザには注意しましょう!

 

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雑煮

 雑煮は、年神様にお供えした餅のご利益を頂戴するために、年神様の魂が宿った餅を野菜や鶏肉、魚介などといっしょに煮込んで作る、お正月には欠かせない料理です。地方色も豊かで、また、家庭ごとに我が家の味があるのも特徴です。雑煮は元々は正月だけのものではなく、室町時代に武家社会の儀礼的な宴で、本膳料理の前菜として出されたのが始まりです。あわびや里芋、山芋、大豆など健康によいもの7種を入れた煮物で、お酒を飲む前に食べて臓腑を保護・保養する意味があり、「保臓(ほうぞう)」と呼ばれ、「宝雑」「烹雑」と書くこともありました。江戸時代にお餅を入れて雑多なものを煮込む「雑煮」となり、各地にいろいろな雑煮が生まれました。また、雑煮を煮るときは、「若水」を使うのが本来の習わしです。「若水」とは元旦に初めて汲む水のことで、「初水」「福水」ともいい、これを飲むと1年の邪気が祓えるといわれています。昔は井戸や湧水を汲みに行きましたが、今は元旦に水道で汲めばいいのですから、手軽に実践できますね。「若水」は、ぜひ家長が汲んでください。雑煮は地方によっても様々で、材料も作り方も違います。京都中心の関西では、白みそ仕立てで、丸餅を焼かないで煮る、まったりした甘い味わいが特徴です。京都文化の影響の強いところは、白みそ仕立てに丸餅が基本。丸餅なのは、鏡餅を模しているからです。日本海側や山間部が赤みそなのは土地の食文化が融合した例でしょう。一方、関東や中国・九州地方では、しょうゆ仕立てのすまし汁が多く、角餅(切り餅、のし餅)を焼いて入れ、すっきりした味わいが特徴です。江戸文化の影響の強いところは、すまし汁に焼いた角餅が基本。そこへその土地ならではの具材が入ります。みそを使わないのは、武家社会では「味噌をつける」がしくじるという意味で縁起が悪いから。角餅なのは、丸める手間がかからず合理的で、焼いて膨らみ角が丸くなると解釈します。関西風・関東風は、関西地方・関東地方という単純なものではなく、その土地の礎を築いた人が京都文化・江戸文化どちらの影響を受けているかが反映されています。全国的にすまし汁が多いのは、参勤交代で地方に江戸文化が伝わったためです。海辺の町では魚が入り、山里では地元の野菜が入ります。香川などで小豆のあんころ餅を入れるのは、せめて正月には稀少な砂糖を食べたいという思いの表れです。地域性ばかりでなく、家によっても雑煮は違います。それは、祖先や親の出身地、結婚した相手の出身地、好みなどが融合して我が家の雑煮になっているからです。あらためて、我が家の雑煮を見直してみるのも面白いかもしれませんね。

   

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江戸っ子の初もうで

 江戸時代、江戸っ子たちが元旦にこぞってでかけたのは、吉方(えほう)参りでした。吉方は恵方とも書き、その年の縁起がよいとされる方角のことで、干支(えと)によって毎年変わります。元旦の早朝、吉方にあたる神社に参詣して幸福を祈り、開運札や御守などをいただく――この吉方参りの風習が、現在の初詣に続いているのです。では、江戸っ子は吉方以外の神社には行かなかったのかというと、そうではありません。ただし、これはその年の最初の縁日に寺社参りをするのが一般的でした。たとえば、初子(はつね…初めての子の日)の大黒、初寅の毘沙門、初巳(み)の弁天、初午(うま)の稲荷、初申(さる)の山王、庚申(こうしん)の帝釈天……といった具合です。江戸の年中行事は、その根底に厄除けの意味があることが多いのですが、元旦の吉方参り、そのあと次々に行われる寺社の縁日への初詣、さらには6日の年越し、7日の七草……と、年の始めは厄払い行事でいっぱい。現在も1月24・25の両日行われている亀戸天神社の「鷽替(うそかえ)神事」なども、厄除け行事の一つの形といえるでしょう。 江戸っ子が元旦に出かけたのは「恵方」の神社、という話は先にしましたが、たとえばその年の縁起のよい方角が巽(たつみ)だとしても、その方角にはいろいろな神社があります。さて、どこへ行ったものやら。人気のある神社は江戸時代にもありました。その一つの手がかりになるのが、明治元年に明治天皇が准勅祭神社として定めた以下の10の神社です。初詣の参考になれば……。
●神田明神(千代田区・外神田)
●芝大神宮(港区・芝大門)
●根津神社(文京区・根津)
●品川神社(品川区・北品川)
●亀戸天神(江東区・亀戸)
●日枝神社(千代田区・永田町)
●氷川神社(港区・赤坂)
●白山神社((文京区・白山)
●王子神社(北区・王子)
●富岡八幡宮(江東区・富岡)

 

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1月の風景

 あけましておめでとうございます。新年となりました。いやなことは忘れ、新しい1年に期待する人も多いと思います。1月はグレゴリ暦で年の第1の月に当たります。日本では旧暦1月を睦月(むつき)と呼び、現在では新暦1月の別名としても用いています。睦月という名前の由来には諸説あり、最も有力なのは、親族一同集って宴をする「睦び月(むつびつき)」の意であるとするものです。他に、「元つ月(もとつつき)」「萌月(もゆつき)」「生月(うむつき)」などの説があります。英語のJanuaryは、ローマ神話の出入り口とドアの神ヤヌスにちなみ、年の入り口にあたることから、ヤヌスの月となりました。お正月になると、「今年こそは」と思いを新たにされる方も多いかと思います。お正月は、日頃、生活に追われて忘れているものを思い起こさせてくれるよい機会でもあります。お正月のいろいろな習俗には、私たちの祖先が精一杯生きていくなかで、いかにより幸せに生きるべきかという神仏への切なる願いが至る所に込められています。それが長い間の伝承となって現在のしきたりをつくっているのです。

 

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初日の出は、闇夜の中から上ってくる

 現在ではお正月は冬の真っ最中。1年で最も寒い季節ですが、旧暦のお正月は、現在の暦でいえば1月下旬から2月上旬。したがって、日が長くなってきたのを実感できる、寒さのなかにも春の気配が感じられる時期でした。清少納言の『枕草子』の第三段には「正月一日は、まいて空の気色うらうらとめづらしう霞みこめたるに……」と、お正月には日差しが明るくなり、空気がやわらいでいる情景がとらえられています。旧暦の話が出たところで、もう一つお正月に関連した旧暦のお話しをしておきましょう。旧暦では、毎月の終わりは月が隠れるつごもりで、月の初めは必ず新月でした。したがって大晦日の夜も闇夜。初日の出は、月明かりのない真っ暗な夜が明け、地平線から上ってくる新しい年を迎えるにふさわしい太陽だったのです。単に、その年の最初の日の出というだけではない実感があったのですね。吉方参りに続いて、初日の出を拝む風習は、大正の初め頃までさかんに行われていたそうです。来年の初日の出は見られるでしょうか?

 

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除夜の鐘

 除夜の鐘とは、大晦日(=おおみそか)のちょうど日付けが変わり、新しい年になる深夜0時をはさんでつく鐘のことを指します。除夜の鐘をつく理由は、人の心にある煩悩を祓うためと言われています。仏教では、人には百八つの煩悩(=ぼんのう)があると考えられてきました。その煩悩を祓うためにつく除夜の鐘の回数は108回とされています。煩悩とは、人の心を惑わせたり、悩ませ苦しめたりする心のはたらきのことを言います。人の心の乱れ・汚れを煩悩とすると、代表的な煩悩には、欲望(肉体的および精神的なもの)、怒り、執着、猜疑などがあります。さらに煩悩を細かく分類すると、三毒とか、百八煩悩とか、八万四千煩悩など、分類のしかたにもさまざまなものがあります。さて、鐘をつく回数が108回という理由については、煩悩の数が108つあるからだと述べましたが、それでは、なぜ大晦日に鐘をつくのでしょうか。108回鐘をつきさえすれば大晦日でなくても良いのでは…と思いませんか? 大晦日に鐘をつく理由も諸説あります。仏教では煩悩を祓うことにより解脱し、悟りを開くことができるとされています。本来は、日頃から仏教の修行を積むことにより、これらの煩悩(心の乱れ)を取り除き、解脱することができるのですが、除夜の鐘には厳しい修行を積んでいない我々においても、こうした心の乱れや汚れを祓う力があるという信仰が現在まで伝わり、除夜の鐘の儀式となって続いています。だから、普通の日ではなく、除夜、つまり大晦日に鐘を打つのですね。もともと仏教では、お正月には、お盆とならんで年に二回先祖を祀る儀式がありました。これが歴史を重ね時代を経るうちに、「お正月は年神様(豊穣・豊作の神様)にその年の豊作を祈る」という神道の信仰へと移っていき、仏教の古い儀式としては夏のお盆のものだけが長く受け継がれています。もともとあった仏教の風習のうち、正月に関しては、除夜に鐘をつく風習だけが今に残っているようです。梵鐘の澄んだ音は、深夜の空気と相まって心にしみわたるような気がします。鐘を叩くことで私たちの魂が共鳴するような気持ちにさえなります。

   

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餅つきの由来

 かつて、餅つきは年末の風物詩としてさかんにおこなわれていました。我が家にも以前は臼と杵があり、20数年前まで家族総出で12月30日に1日かけて餅つきをおこなっていました。つきたてでアツアツの餅は、大根おろしやあんこであえるとサイコーです! が、ノロウイルスが全国的に猛威を振るう中、集団食中毒の恐れがあるとして、餅つき大会を中止する動きもあります。日本には古くから稲作信仰あり、稲は「稲魂」や「穀霊」が宿った神聖なものだと考え、崇められてきました。稲から採れる米は人々の生命力を強める神聖な食べ物であり、米をついて固める餅や、米から醸造される酒はとりわけ力が高いとされています。そこで、祝い事や特別な日であるハレの日に餅つきをするようになりました。餅つきは一人ではできないため、皆の連帯感を高め、喜びを分かち合うという社会的意義もあります。そして、お正月には鏡餅、桃の節句には菱餅、端午の節句には柏餅というように、行事食としても定着していきました。とりわけ日本の行事文化の大黒柱であるお正月は、お餅が重要な役割を果たすので、年末に餅つきをするようになったのです。お正月のお餅には特別な意味があります。古来より、新年を司る「年神様」という神様が元日にやってきて、新年の魂(年魂)を授けてくれると考えられてきました。ここでいう魂とは、生きる気力のようなものです。魂を頂戴した回数を数えれば年齢がわかるので、誕生時が1歳、それ以降は元日に年をとる「数え年」が昔は一般的だったのです。この新年の魂の象徴が、丸い形をした「鏡餅」です。三種の神器に「八咫の鏡」があるように、鏡は神様の象徴でもあったため、丸い形をした昔の鏡を神聖なお餅で表すようになり、鏡餅と呼ぶようになりました。大掃除、門松、しめ飾り、おせち料理など、一連の正月行事は年神様を迎えるために成立したものですが、家にやってきた年神様は鏡餅に依り付くとされています。そして、年神様が依り付いたお餅には年神様の魂が宿るとされ、その餅を家長が家族に分け与えたのが「お年玉」のルーツです。年玉は年魂という意味で、鏡餅のほか、家族分の小さな丸餅を神棚に供え、それを下してお年玉としていたといわれています。このお餅をいただくための料理が「お雑煮」で、お餅を食べることで新年の力がつくとされてきました。お年玉はお金に変わってしまいましたが、鏡餅を雑煮にして食べるのはその名残です。こうしてみると、いかにお餅が大切かがわかります。大切だからと言って、食べ過ぎていいということではありませんが・・・。

  

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歳の市

 学校は冬休みに入りました。部活動や補習に参加する生徒くらいで校内は静かな状況です。一方、町ではクリスマスも一息つき、威勢のいい声が飛び交う歳の市が始まります。お正月のご馳走は何にしようかなぁ…? クリスマスが過ぎると一気にお正月ムードに。商店街や市場にお正月商品や生鮮食料品が勢ぞろいし、寺社には正月飾りや乾物などを売る市が立ち並びます。デパートなどの歳末大売出しも歳の市と称するものが多いですね。お正月に向けて下着、靴、鍋などの日用品を新しくするのは、お清めの意味があるからです。門松、注連飾り、鏡餅などの正月飾りは、29日は「二重苦」「苦立て」「苦松(=苦が待つ)」に通じ、31日は葬儀と同じ「一夜飾り」で縁起が悪いことや、年神様をお迎えするのに一夜限りでは失礼なことから、26日~28日または30日に飾ってください。必要なものを調達するだけでなく、露店や市場の賑やかさは年の瀬の風物詩。どれにしようか迷ったり、値切ったりするのも楽しみのひとつです。買い物リストをもってぜひ出掛けましょう。良いものを安く調達でき、買い忘れてもまだ日があるので慌てなくてすみます。

 

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2学期終業式

 早いもので今日は終業式。学校は今日までで、明日から1月8日まではお休みです。校長が2学期を振り返っての講話をした後、教務部の長沢先生から2学期の成績等について、生徒指導部の網野先生から冬休みの生活等について話がありました。その後、国体で活躍した陸上競技部や、埼玉県産業教育フェアCGポスター・ラベルデザインコンテスト入賞者の表彰をおこないました。今年は昨年と異なり14日間の休みとなります。部活動や補習等で登校する生徒もいますが、大半は自宅で自分の時間を過ごすことになります。1年を振り返り、うまくいかなかった事や反省すべき点を確認して、来年はより充実した、心に残る年にしてもらえればと思います。
終業式での「校長講話骨子」:
 皆さん、おはようございます。今学期が始まった9月は汗を拭きながらの始業式でしたが、今日は寒さに耐えての終業式です。日が経つのは早いものと改めて感じます。皆さんにはどのような2学期だったでしょうか?
 2学期にはいろいろな学校行事がありました。特に、11月の創立百周年記念式典には、百年に一度のイベントとして皆さんもその場に立ち会ってくれました。式典での皆さんの立派な態度、工藤夕貴さんの記念講演、全員でつくったちぎり絵の披露、警察音楽隊と吹奏楽部の合同演奏など、来場した多くの方々からお褒めの言葉をいただき、大変光栄なことと思いました。
 今年もあと1週間で終わりますが、平成から令和へと年号が代わり、大きな変化があるように感じています。昭和の終わりに私が教員になった頃は、社会全体が今よりものんびり、ゆったりとしていて、学校は土曜日の午前中に授業はありましたが、午後は部活動や課外活動に参加するのが当たり前で、スマフォはおろかガラケーもなく、連絡は家電で、今流行りの振り込め詐欺はない時代でした。昭和から平成に代わり、バブル経済(聞いたこと、ありますか?)が崩壊して平成初期の低成長期となり、就職氷河期と呼ばれた時期もあり、停滞感が蔓延していたと感じていたのが平成の中頃まで。アベノミクスで経済状況がよくなり?、ラグビーワールドカップが開催され、来年に東京オリパラを控え、就職状況が好転したのが平成の末期と感じます。平成10年代生まれの皆さんは、時代や社会状況をどうとらえているでしょう?
 時代が移り変わっていくなかで、人々の考え方や発想もその影響を受け、変化していきます。そのような時代や分野において、当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化することをパラダイムシフトと言います。かつては「24時間働けますか。」という歌が流行ったように、目一杯仕事をがんばるという風潮がありましたが、今は「働き方改革」が叫ばれ、ブラック企業やブラックバイトが非難を浴びています。また、皇位継承資格は皇統に属する男系男子のみとした皇室典範に、女性天皇を認めてもよいのではという考えも、パラダイムシフトの流れだと思えます。皆さんのなかにも、自分の考えがあることをきっかけに大きく変わった経験を持つ人はいると思います。
 そのようにパラダイムシフトが起こるなかで、しっかりと自分の考えや意見を持ち、相手に伝えてほしいと思います。友だちとの付き合いはスマフォを介してが多くなってきていますが、やはり基本は面と向かって話し合うことだと思います。今年もスマフォに係るトラブルが社会でも校内でも見られました。スマフォの便利さ、気楽さは誰もが実感していますが、使い方や伝わり方がうまくいかないとトラブルとなります。「直接話す」という古くからの対応は、相手の目や表情からもその意図を読むことが出来る優れたものです。新しいものに目を向けながらも、古くからあるものにもしっかりと目を向け、自分を向上させましょう!

 

 

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避難訓練

 本日、地震による火災が発生したという想定で避難訓練をおこないました。体育館で集合、安全、点呼。10分ほどで全員の避難・確認ができました。訓練に当たって校長と保健環境部の担当の先生より講和をしました。今年は4月にパリのノートルダム大聖堂、10月に沖縄県の首里城など世界遺産で火災が起きています。冬場は火災が多くなります。十分に注意するとともに、避難経路や家族との連絡方法なども確認しておきましょう!

 

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冬至の食べ物

 冬至の日には食べ物に係わる言い伝えがあります。まず、冬至に「ん」のつくものを食べると運が向上すると言われ、だいこん、にんじん、ぎんなん、きんかん、みかん、うどんなどを食べる習慣があります。なぜでしょうか? 前に記したように、冬至は太陽の力が最も弱くなる陰の極みの日で、翌日からは再び太陽の力がよみがえり始めて陽に帰り、上昇運に転じると考えられました。この「一陽来復」という考え方に、「いろはにほへと」が最後に「ん」で終わって再び「い」で始まることを重ね、陰が極まる冬至の日に「ん」のつくものを食べることで、翌日から再び運気を呼び込めるとされました。また、古来より冬至に「かぼちゃ」を食べると風邪を引かないと言われ、夏に収穫したかぼちゃを長期間保存して、冬至の日に食べるという習慣もあります。夏の野菜であるかぼちゃは、漢字で表すと「南瓜」で、「なんきん」という異名を持ちます。つまり、運を呼び込む「ん」のつく食べ物の1つであり、北に象徴される陰から南に象徴される陽へ転じる、冬至にふさわしい食べ物です。また、黄色は魔除けの色とされたため、昔はかぼちゃを食べることで無病息災を祈願したのです。但し、そうした縁起かつぎのためだけにかぼちゃを食べる訳ではありません。かぼちゃは夏に収穫した後にも長期間保存が効き、秋・冬まで置くことで甘みが増すだけではなく、ビタミンAやカロチンなどの栄養価が高いため、冬の風邪や中風の予防にも効果的です。昔の日本では、冬至の頃には秋野菜の収穫も終わり、食べられる野菜が少なかったことも、かぼちゃが好んで食べられた理由でしょう。

  

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球技大会

 本日、球技大会をおこないました。種目は男子はミニサッカーで、女子はバスケットボール。学年クラス対抗戦です。グラウンドでのミニサッカーは、風が吹き、見学していると寒いと感じる中、熱心にボールを蹴っていました。体育館でのバスケットボールは、得点が入ると歓声が起き、クラスメイトに熱心に応援していました。各1位はサッカーが1年6組、2年2組、3年5組、バスケットボールは1年6組、2年5組、3年2組でした。寒い中、いい汗をかくことができました。

 

 

 

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冬至(とうじ)

 もうすぐ冬至です。今年の冬至12月22日(日)です。冬至とは、北半球において太陽の位置が1年で最も低くなる日のことで、日照時間が最も短くなるため、1年で最も昼が短く、夜が長くなります。太陽の位置が1年で最も高くなる夏至(6月21日ごろ)と比べると、日照時間におよそ5時間もの差があります。冬至は陽の光も弱く、この日を境に日が長くなっていくため、冬至を太陽が生まれ変わる日ととらえ、世界各地で古くから冬至の祝祭が盛大に行われています。また、旧暦では冬至が暦を計算する上での起点となり、立冬と立春の中間が冬至で、冬の真ん中となります。 日本では、冬至にはゆず湯に浸かる習慣があります。お風呂にぷかぷか浮かぶゆず。いい香りが漂ってきて、体もぽかぽかしてきます。でも、どうしてゆず湯に入るのでしょう? 中国や日本では、冬至は太陽の力が一番弱まった日であり、この日を境に再び力がよみがえってくると考えます。そこで、冬至のことをかげ陰(いん)が極まり再び陽(よう)にかえる日という意の「一陽来復(いちようらいふく)」といい、この日を境に運も上昇するとされています。また、悪いことが続いても、回復してよい方向に向かうという意味もあります。 古代には冬至を1年の始まりとしていた時代もあり、冬至に未来への希望をつないだのでしょう。 現代でも、新年や大切な儀式に際して入浴する風習があります。昔から強い香りがする植物で邪気をはらう風習がありますが(端午の節句の菖蒲湯(しょうぶゆ)など)、冬が旬のゆずは香りも強く、邪気ばらいにぴったりです。ゆず湯には、ゆず=「融通」がきく、冬至=「湯治」という語呂合せもあります。 ゆず湯に入ると1年間風邪をひかないといわれています。ゆずには血行を促進して冷え性を和らげたり、体を温めて風邪を予防する働きがあり、果皮に含まれるクエン酸やビタミンCによる美肌効果もあります。さらに、香りによるリラックス効果もあるため、元気に冬を越すためにも大いに役立ちます。

   

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クリスマスの装い

 もうすぐクリスマスです。町でも家庭でもクリスマスの飾りつけやパーティーの準備に余念がありません。でも、今さらながらですがクリスマスとは何でしょう? わかりやすく言えばイエス・キリストの誕生を祝う日。クリスマスの語源は、ラテン語のChrist(キリスト)+mas(ミサ、礼拝)=Christmasになります。諸説あったキリストの誕生日が古代ヨーロッパの冬至の祭りと結びつき、12月25日となりました。昔の暦は日没を過ぎると日付が変わったことから、25日は現在の24日の日没後にあたるため、24日の夕刻から朝までをクリスマス・イブとして祝います。キリスト教信仰が根付く欧米では、家族や友人と家で食事をしたり、教会へ行ったりするのが一般的ですが、日本ではにぎやかなイベントが多くなっています。また、サンタクロースやクリスマスプレゼントを、世界中の子どもたちが楽しみにしています。クリスマスの飾り付けの由来を調べてみると、クリスマス・ツリーはモミの木がベース。冬でも葉を落とさない常緑樹で、永遠の命を表します。旧約聖書に出てくる「知恵の樹」の象徴でもあります。さまざまなオーナメントを飾ります。ひとつひとつがキリストにまつわるお話を象徴し、キリストの誕生を物語っています。ツリーのてっぺんにかざる星は、キリストが生まれた時、東の空に輝いていたという「ベツレヘムの星」を、ベルは キリストの誕生を知らせた喜びのベルで、迷える羊を導くためのベルでもあります。また、ツリーの由来になった「知恵の樹」はリンゴの樹で、まるい玉飾りもリンゴの象徴です。クリスマス・リースは、ヒイラギやモミなどを丸く輪にして、終わりのない永遠の愛を象徴しています。ヒイラギの葉はキリストが人びとの罪を背負って十字架刑にされた時にかぶった茨の冠を表し、赤い実はキリストの流した血を象徴しています。また、とげのようにとがった葉が魔よけにも通じるため、ドアにかけてクリスマスを迎えます。食事やプレゼント、サンタさんにもいろいろないわれがありますが、関心があれば自分で調べてみてください。それよりも楽しむことが先ですね。

 

 

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生徒会役員立会演説・選挙

 本日4限、生徒会役員立会演説会・選挙を体育館でおこないました。今年度は全役員が信任投票になります。それぞれが演説をおこない、いづれの候補も生徒会行事の充実や、今後の羽実について考えていこうと支持を訴えました。その後、教室で投票をして、生徒会長は2年4組の尾澤さん、副会長は1年4組の亀山君と2年4組の宮内さん、監査委員長は2年5組の堀本さんがそれぞれ信任されました。

 

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お歳暮

 1年間お世話になった人に日ごろの感謝の気持ちを表すため、年の暮れに品物を送る風習、あるいは送る品物そのものを「お歳暮」と言います。お歳暮の由来は、年越しの「御霊祭」(みたままつり)で祖先の霊にお供えする品物、または来たる1年に人々の幸運や健康を授けてくれる年神様を迎えるために、新年にお供えする品物を前もって年の瀬に本家や家元に届けていた習慣です。そして時代を重ねるとともに、お歳暮は仕事の取引先や会社の上司、仲人、恩師、親類など日頃お世話になっている人々にも送る風習へと変化していきました。江戸時代には、武士は番組織に編成されていたので、組頭にお歳暮を贈る習慣がありました。商人たちも1年の親交を感謝する意味で得意先にお歳暮を贈るようになりました。カレンダーや手ぬぐいを得意先や客に配りましが、この風習は江戸時代の名残です。明治時代に入ると、役人が権力を握る社会情勢に変わり、高価なお歳暮を贈ることで贈る側の人が生活に助力を得ようと計らうようにもなりました。その後、仕事の取引先など利害が絡む相手に対してもお歳暮はさかんに贈られるようになり、見返りを暗に期待する思惑も混ざるようになり、現在に至っています。かつてお歳暮では塩鮭、塩ぶり、数の子など長期間保存が効く魚介類を贈ることが多くありました。鮭やぶりは「年取り肴」と呼ばれ、年越しに食べる習慣がありました。なかでも、鮭は春に生まれて川を下り、秋に川に帰って産卵して一生を終えるので、新たな一年に年神様をお迎えするためのお供え物としてふさわしい魚と考えられ、江戸時代には、塩鮭をわらで巻き、輸送途中で損傷することがない状態にして、江戸の将軍に献上する「新巻き鮭」が流行りました。

  

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大掃除

 早いもので、今年も残すところあと14日。家でも学校でも年末の大掃除の時期がやってきます。大掃除といえば、新年も間近にせまる頃に1年間たまった汚れを一掃し、新年をすがすがしい気持ちで迎えるためにおこなう習慣だと、現在ではとらえられていますが、江戸時代には「煤払い(すすはらい)」という名で12月13日におこなわれる一大行事でした。徳川幕府は12月13日を「江戸城煤払い」と定め、江戸城では新年に年神様を迎えるために、現在の大掃除に当たる煤払いがおこなわれるようになりました。庶民も幕府にならって煤払いに精を出すようになりました。年の瀬におこなう大掃除には、元々正月に1年の幸福と健康をもたらす年神様をお迎えするために、前年の煤や塵を払って家や心を清めておくという意味があります。元々、正月に年神様を迎える準備を始めるのは、その年の農作業が終わる12月8日の「事納め」からでしたが、江戸時代になると婚礼以外は万事が吉日とされた鬼宿日に当たる12月13日が「正月事始め」の日とされました。1年のけがれを払い、家や城のすみずみまできれいにすると、正月に年神様がたくさんの御利益を授けてくれると考えられていたので、煤払いは年の瀬のお祭りを思わせる盛大な行事だったようです。身の回りがきれいになると気持ちいいですよね。

   

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自転車安全運転伝達講習会

 本日4時間目、自転車安全運転伝達講習会をおこないました。これは埼玉県が高校生の自転車のマナーアップのため毎年おこなっているもので、参加した生徒たちがそれぞれの高校で全校生徒にその内容を還元するものです。参加した3年1組の岡崎さん、山下さんからは、自転車は軽車両という車両の1つであり、交通ルールに従って乗車しなければならないこと、埼玉県は高校生の死傷者が全国ワースト4位であり、1日に2名が自転車事故に会っていること、交通事故が起こると被害側にも加害側にも精神的、経済的、金銭的な負担がかかること、交通事故防止のためルールやマナーを守ることの大切さや思いやり、周囲に気遣った安全運転を心がけることなどが伝えられました。現在では事故の損害賠償額が1億円に近い事例もあるので、自転車保険に加入する必要があることも報告されました。安全運転に十二分に注意するよう心掛けていきたいです。

 

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かぶ

 かぶは冬の代表的な野菜で世界中で栽培されています。原産地についてはヨーロッパもしくは中央アジアと言われています。かぶの語源は諸説あり、頭を意味する「かぶり」、根を意味する「株」、またはカブラの女房言葉である「オカブ」からとされています。歴史は古く、中国では詩経に記載され、ヨーロッパ系も古代ギリシャの史料にみられます。ただし、ヨーロッパで広く普及したのは16世紀からで、飼料用途が多かったようです。 東ヨーロッパなど寒冷な地では冬場の貴重な食料源や救荒植物として活用されました。 日本では、古事記の「吉備の菘菜(あおな)」がかぶのことと見られるほか、日本書紀に持統天皇が栽培を推奨したと記されています。京野菜など西日本で見られる中国伝来のアジア系とともに、東日本でヨーロッパ系(野沢菜など関連する変種も含む)が在来種として確認され、シベリア経由と見られています。 根の部分の栄養素はダイコンとほぼ同じで、葉にはカロテン、ビタミンC、食物繊維が豊富に含まれています。アブラナ科に共通する苦味や辛味はありますが、かぶはなかでも甘味が強く、寒い時期ほど甘味は強まります。主要産地は千葉県で3割を占め、これに次ぐ埼玉県、青森県で全国生産量の約半分を占め、ほぼ全てが小かぶです。日本のかぶは味がよく、固いため、生食より煮物や味噌汁・シチューの具材として利用が多いですが、一部では蕎麦の薬味として大根おろしの様に利用されることもあります。加熱すると一転して非常に柔らかくなるため、ダイコンのようにじっくり煮込む料理には向いていません。日本料理では風呂吹きにも利用され、浅漬け、糠漬け、千枚漬け(聖護院かぶら)、酸茎などの漬物に加工されます。 かぶな、すずなはともに冬の季語で、その白さを降雪に関連づけた詩歌が見られます。 カブの葉はスズナ(鈴菜、または菘。根の形を鈴に見立てた)として、春の七草にも数えられていて、現代でも葉が付いた状態で販売されている事が多いです。

 

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忠臣蔵

 最近の若い方はあまり知らないかもしれませんが、テレビの番組欄を見ると、例年12月14日前後に「忠臣蔵」という(あるいはこれに関連した)番組を見つけることが出来るのではないでしょうか? 今から300年以上前の、江戸時代の元禄14年3月14日(1701年4月21日)、江戸城殿中松之大廊下で現在の兵庫県にあった赤穂藩藩主・浅野長矩(内匠頭)が、高家肝煎・吉良義央(上野介)に刃傷に及んだことに端を発します。この一件で加害者とされた浅野は幕府の裁定で即日切腹となり、被害者とされた吉良はお咎めなしとなりました。その結果を不服とする赤穂藩国家老・大石良雄(内蔵助)をはじめとする赤穂浪士(赤穂藩の旧藩士)47名、いわゆる「赤穂四十七士」は、紆余曲折のすえ、元禄15年12月14日(1703年1月30日)未明に江戸の吉良邸へ討ち入りをし、見事その首級をあげ、主君の仇をうちました。そして、その後の浪士たちの切腹までの一連の事件を総称して、今日の史家は「赤穂事件」と呼んでいます。主君の遺恨を晴らすべく命をかけて、吉良邸に討ち入った赤穂浪士四十七士の行動は民衆から喝采を持って迎えられました。平和な時代が百年近く続いた元禄の世において、すでに過去のものになりつつあった武士道を彼らが体現したからです。彼らは主君の恨みを晴らした忠実な家臣とみなされました。江戸幕府は、武家社会の事件を文芸や戯曲で取り上げることは禁じられていたので、赤穂事件についても幕府をはばかって舞台を別時代とし、事件を扱った物語が歌舞伎、人形浄瑠璃、講談、戯作などありとあらゆる分野で幾度となく作られてきました。映画評論家の佐藤忠男は、「吉良邸討ち入りは「忠義」を名目にしているものの、本質的には武士の意地を示す行動であり、民衆もその意地に感動したのだ」と言い、歴史学者の山本博文は、幕府への抵抗としての側面があることにふれた上で、「忠臣蔵に私たちが感動しているのは、何か目標の為に、命を捨てて行動する「自己犠牲の精神」があるという単純な理由からなのではなかろうか」と指摘しています。彼らを称賛する意見が多数を占めているようです。もちろん、現在の常識からいえばいけない行為ですが、時代が違うと考えも思想も異なることがわかります。

  

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ポインセチア

 ポインセチア(英名poinsettia)は常緑性低木で、日本では11月から12月ごろに茎の上にある葉が赤や桃色や乳白色に美しく色付きます。クリスマスが近くなると花屋に鉢物が出回ることから「クリスマスフラワー」とも呼ばれています。そのため日本では仲冬(大雪から小寒の前日まで)の季語ともされています。葉は薄く楕円形で、花はいわゆる杯状花序である。その下に着く葉の形の苞葉が赤く染まるのが鑑賞の対象となります。その赤さはキリストの血の色に例えられます。原産国とされるメキシコでは、「ノーチェ・ブエナ」(原義は「素晴らしい夜」だが、通称として「クリスマス・イヴ」の意味を持つ)と呼ばれています。メキシコの伝説がアメリカ合衆国の初代メキシコ公使であったJ・R・ポインセットの知れるところになり、また真冬に花を咲かせることから、アメリカに伝わり、彼の名前がつけられました。日本には明治時代に来ました。和名はショウジョウボク(猩々木)で、大酒飲みの赤い顔が特徴の伝説上の動物である猩々に似ていることから名付けられたと言われています。観葉植物としてクリスマスの時期にあわせて短日処理をして、紅葉させて緑色の葉色とのコントラストを楽しみます。ただし0℃を下回るような場所に放置すると葉が落ちてしまうので、クリスマス時期の管理には注意が必要です。増やし方は、水を張った容器や土に挿し木をすれば発根します。園芸品種が近年多様化しており、従来の紅色に加えて、乳白色、淡い黄緑、ピンク、斑入りなどのバリエーションが楽しめます。

  

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かぼちゃ

 かぼちゃは保存が効き、保存中の栄養素の損失も他の比べて少ない野菜です。そのため、冬至の時期の貴重な栄養源でもありました。かぼちゃは、中央アメリカから南アメリカ北部を原産地とするウリ科の植物です。日本かぼちゃは、16世紀中頃ポルトガル船によってカンボジアからもたらされ、「かぼちゃ」の名はこの時の伝来先に由来しており、江戸時代中期から風邪や中風の予防にかぼちゃを冬至に食べる風習が根付いたといわれています。ビタミンAを豊富に含み、皮は硬いが長く煮ることでやわらかくして食べることができます。サツマイモと同様にデンプンを糖に変える酵素を含んでおり、貯蔵によってあるいは低温でゆっくり加熱することによって甘味が増します。従って、収穫直後よりも収穫後、約1か月頃が糖化のピークで食べ頃となります。保存性に優れ、常温で数か月の保存が可能な数少ない野菜ですが、保存がきくのは切っていない場合で、切って果肉が空気に触れると数日で腐ってしまいます。甘みの強い品種は菓子作りにも向いており、パンプキンパイや、南アメリカのフランやタイの「サンカヤー・ファクトン」などのプリンなどに加工されます。 フランスではスープの材料として使われることが一般ですが、南部ではパイやパンに料理されます。アルゼンチンでは中をくりぬいたカボチャにシチューを入れます。 種子(パンプキンシード)も食品として市販されており、ナッツとして扱われます。パンや洋菓子のトッピングとして用いられることが多くあります。メキシコにはカボチャの種子をすりつぶしたソースで肉や野菜を煮込んだ、ピピアン (pipian)という伝統料理があります。また、種子から食用油(パンプキンシードオイル)が取れます。 アメリカではシナモンやクローブなど、パンプキンパイに用いる香辛料とカボチャを使って醸造したビールが生産されています。日本では北海道での生産量が多く、アイヌの人々もカボチャを栽培しており、北海道での栽培の歴史は古いです。

  

 

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羽生市内県立高校合同出前授業

 羽生市「学びあい夢プロジェクト」協議会事業で、羽生市内の県立高校4校が合同出前授業を12月9日(月)に羽生南中、10日(火)羽生西中、11日(水)羽生東中でおこないます。今日の西中での授業を見学しました。本校からは、商業の授業として「電卓を利用した計算」と、農業の授業として「ポップコーンづくり」をおこないました。中学生たちは、初めての高校の先生の授業で最初緊張していたようでしたが次第に興味・関心を示し、いづれも積極的に取り組んでいました。他の高校の先生方も工夫をして中学生が興味を持ちやすいよう、気さくに話しかけ、高校の授業を体験してもらいました。高校のことを知ってもらうよい機会とすることができました。

 

   商業の授業:電卓で計算       農業の授業:ポップコーンづくり

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水仙

 水仙は、花の少ない冬に可憐な花を咲かせ、香りもよく、日本人に古くから親しまれています。水仙には多くの種類がありますが、日本では水仙といえば「ニホンスイセン」を指すことが多いです。庭植えや切り花などにするほか、日本各地に群生地があり、私たちの目を楽しませてくれます。水仙の原産は地中海沿岸からアフリカ北部で、色や形の異なる様々な園芸品種があります。日本には平安末期または室町時代頃にシルクロードを通り、中国を経由して渡来したとされています。水仙の名前の由来は、「仙人は、天にあるを天仙、地にあるを地仙、水にあるを水仙」という中国の古典から「水仙」となったと言われています。日本では単に水仙というと、古来より日本で野生化している「ニホンスイセン」を指すことが多く、庭植えや切り花などでよく目にすることができますし、各地に群生の名所もあります。地域によって違いますが、12月から2月が開花時期で、寒い季節に雪の中でも健気に咲くので「雪中花(せっちゅうか)」とも呼ばれます。1月の花にもなっており、春の訪れを告げる花として、正月の飾りに使われることも多いですね。水仙は、可憐なその姿からは思いもよりませんが、実は毒のある植物です。特に葉や球根は毒性が強く、食べると悪心、嘔吐、下痢などの食中毒症状を起こしたり、触ることで皮膚炎になったりすることがあります。葉がニラやノビルに、球根が玉ねぎに似ているので間違って食べてしまう例がよくあるそうですから、気をつけてましょう。

 

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針供養

 「針供養」とは、折れたり、錆びたり、曲がったりして使えなくなった針を豆腐やこんにゃくなどに刺して供養する行事です。針供養は、東日本では2月8日、西日本では12月8日に行うことが多かったようですが、地域に関わらずどちらか一方の日に行うところや、両日行うところもあります。この日付の違いには、背景にある「事始め・事納め」の捉え方が影響しています。「事始め・事納め」とは、コトノカミという神様を祀るおまつりです。元々、「事」という字は、神様への祈りの文である祝詞を入れた器をつけた木を高く捧げて祖霊をまつるという意味の「史」と、吹き流しを組み合わせた形で、「まつり」を意味していました。コトノカミのまつりは、2回あり、12月8日が「事始め」で2月8日が「事納め」になる場合と、2月8日が「事始め」で12月8日が「事納め」という場合があります。この違いはコトノカミが「年神様」か「田の神様」かという違いです。この時に行う「事」が新年に迎える神様の事なのか、田畑を耕し農耕に勤しむ人の事かという違いで、日付けが逆転するのです。年を司る年神様を迎えるための神事を始めるのが12月8日の「事始め」で、すべてを終えるのが2月8日の「事納め」です。こうして年神様に関する一連の神事を終えると、人々の日常が始まります。また、田の神様を迎えて人の日常が始まるのが2月8日の「事始め」で、すべてを終えるのが12月8日の「事納め」です。このように、年神様をまつる神事の期間と、田の神様をまつって働く人の日常の期間とに分けるとすれば、一方の始まりの日はまた一方の終わりの日になるわけです。そして、2月8日と12月8日のことを、「事八日」(ことようか)、「事の日」などと呼びます。「事八日」には、お世話になった道具を片付け、感謝する風習があります。代表的なのが「針供養」で、前述したように、2月8日と12月8日のどちらか一方の日か、両日に行います。針供養の起源は定かではありませんが、中国の「社日(土地の神様をまつる日)に針線(針仕事)を止む」という習わしに起因するという説があります。平安時代には貴族の間で行われるようになったと考えられており、江戸時代に針の労をねぎらい、裁縫上達を願うまつりとして広がりました。針仕事は女性にとって重要な仕事だったため、折れた針や古くなった針に感謝の気持ちを込めて柔らかい豆腐やこんにゃく、もちに刺し、川に流したり、土に埋めたり、神社に納めたりして供養し、裁縫の上達を願いました。豆腐など柔らかいものに刺すのは、これまで硬い生地などを刺してきた針に対し、最後は柔らかいところで休んでいただきたいという気持ちや、供物としての意味があるといわれています。昔はそれぞれの家庭で針供養を行っていたそうですから、豆腐やこんにゃくに針を刺し、身の回りの道具を大事にする気持ちを大切にしてはいかがでしょう。最近は古くなったり、切れたりした物はすぐ捨てることも多いですが、かつては家庭でていねいに修繕して、いろいろなものを使い回していました。ほんと、針に感謝です。

  

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椿(ツバキ、つばき)

 ツバキ(椿)(学名: Camellia japonica)は、ツバキ科ツバキ属の常緑樹で、照葉樹林の代表的な樹木です。日本内外で近縁のユキツバキから作り出された数々の園芸品種、ワビスケ、中国・ベトナム産の原種や園芸品種などを総称的に「椿」と呼びますが、同じツバキ属であってもサザンカを椿と呼ぶことはあまりありません。ツバキとサザンカはよく似ていますが、次のことに着目すると見分けることができます(原種は見分けやすいが、園芸品種は多様性に富むので見分けにくい場合があります)。
・ツバキは花弁が個々に散るのではなく萼と雌しべだけを木に残して丸ごと落ちるが(花弁がばらばらに散る園芸品種もある)、サザンカは花びらが個々に散ります。
・ツバキは雄しべの花糸が下半分くらいくっついているが、サザンカは花糸がくっつきません。
・ツバキは、花は完全には平開しない(カップ状のことも多い)が、サザンカは、ほとんど完全に平開します。
・ツバキの子房には毛がないが(ワビスケには子房に毛があるものもある)、サザンカ(カンツバキ・ハルサザンカを含む)の子房には毛があります。
・ツバキは葉柄に毛が生えません(ユキツバキの葉柄には毛がある)が、サザンカは葉柄に毛が生えます。
 ツバキもサザンカもいづれも冬から春に花を咲かせ、目を楽しませてくれます。

 

 

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山茶花(サザンカ、さざんか)

 サザンカ(山茶花、学名: Camellia sasanqua)は、ツバキ科ツバキ属の常緑広葉樹で、童謡『たきび』の歌詞に登場することでもよく知られています。漢字表記の山茶花は中国語でツバキ類一般を指す山茶に由来し、サザンカの名は山茶花の本来の読みである「サンサカ」が訛ったものといわれています。元は「さんざか」と言いましたが、音位転換した現在の読みが定着しました。秋の終わりから冬にかけての寒い時期に、花を咲かせます。野生の個体の花の色は部分的に淡い桃色を交えた白色であるのに対し、植栽される園芸品種の花の色は、赤色や白色やピンクなど様々です。日本では山口県、四国南部から九州中南部、南西諸島(屋久島から西表島)等に、日本国外では台湾、中国、インドネシアなどに分布しています。なお、ツバキ科の植物は熱帯から亜熱帯に自生しており、ツバキ、サザンカ、チャは温帯に適応した珍しい種であり、日本は自生地としては北限です。サザンカは生垣によく利用され、学校にも多く植えられています。

 

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柚子(ユズ、ゆず)

 寒くなると、鍋物が恋しくなると前日記しましたが、そのような時に欠かせないのがユズなどをベースにしたポン酢です。ユズ(柚子、学名:Citrus junos)はミカン属の常緑小高木で柑橘類の1つです。ホンユズとも呼ばれ、消費・生産ともに日本が世界最大です。柑橘類の中では耐寒性が強く、極東でも自生できる数少ない種で、柑橘類に多いそうか病、かいよう病への耐久があるため、ほとんど消毒の必要がなく、他の柑橘類より手が掛からないこと、無農薬栽培が比較的簡単にできることも特徴のひとつです。成長が遅いことでも知られ、「桃栗3年柿8年、ユズの大馬鹿18年」などと呼ばれることがあります。このため、種子から育てる実生栽培では結実まで10数年掛かってしまうため、結実までの期間を短縮するため、カラタチへの接ぎ木により、数年で収穫可能にすることが多くなっています。ユズの果汁は、日本料理等において調味料として、香味・酸味を加えるために用いられます。また、果肉部分だけでなく皮も七味唐辛子に加えられるなど、香辛料・薬味として使用されています。いずれも、青い状態・熟れた状態の両方とも用いられ、九州地方では柚子胡椒と呼ばれる調味料としても使用されています。これは柚子の皮に、皮が青い時は青唐辛子、黄色く熟している時は赤唐辛子と塩を混ぜて作るもので、緑色または赤色をしています。熟したユズでも酸味が非常に強いため、普通は直接食用とすることはありません。薬味としてではなく、ユズ自体を味わう調理例としては保存食としてのゆべしの他、韓国の柚子茶のように果皮ごと薄く輪切りにして砂糖や蜂蜜に漬け込む方法などがあります。果汁はチューハイ等にも用いられ、ユズから作られたワインもあります。柚子の果実のうち、果肉の部分をくりぬいて器状にしたものは「柚子釜」と呼ばれ、料理の盛りつけなどに用いられます。近年では、スペインの著名なレストランであったエル・ブジが柚子を大々的に喧伝したのが発端となり、フランス料理を始めとした西洋料理にも柚子の使用が広まりつつあります。

 

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鍋物(なべもの)

 冬になると、食卓に欠かせないのが鍋物。鍋料理は惣菜を食器に移さず、調理に用いた鍋に入れたままの状態で食卓に供される日本の料理で、鍋物(なべもの)、あるいはただ鍋(お鍋)と呼ぶこともあります。複数人で鍋を囲み、卓上コンロやホットプレートなどで調理しながら、個々人の椀や取り皿、あるいはポン酢やタレなどを入れた小鉢に取り分けて食べるのが一般的です。通常は複数人で囲んで食べるため一抱えほどの大きさの鍋を用いますが、宴会や会席料理では小鍋で一人前ずつ供される事もあります。一人用の鍋も市販されており、この時は鍋から直接食べることもあります。日本の鍋料理に使用する鍋として、最もポピュラーなのは陶器製の土鍋です。土鍋は熱伝導性が低いため火がじっくりと通り、長時間の煮込みでも焦げ付いたりする危険性が低いために鍋料理に適しており、寄せ鍋をはじめとして、多くの鍋料理に対して用いられます。具材を煮込む前に焼く工程があるすき焼きなど、土鍋には向かない調理法がある場合は鉄、ステンレスなどの金属製の鍋(金属鍋)が使われます。もちろん、通常土鍋が使われる料理を金属鍋で代用することも可能です。最近の電磁調理器の普及に伴い、それに対応した土鍋風ホーロー鍋なども販売されています。また、ジンギスカン鍋、フォンデュなどそれ専用に作られた独特の形状の鍋を使用する料理も多くあります。鍋物はいろいろな具材を煮込んでいるため、スープには出汁が凝縮された状態になっています。このスープを利用しての食べ方にもいろいろありますが、一般的には雑炊が多く、うどんや素麺、中華麺(ラーメン)、餅などを入れ、鍋物のしめとすることが多いです。鍋物は、具材や調味料、火加減、調理時間などによって無限の種類ができます。是非、オリジナルの鍋物をつくってください!

 

 

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外部講師による製パン実習

昨日、農業経済科3年5組の5・6時間目の食品製造の授業で、外部指導者による「製パン」実習を実施し、講師として学校の前のパン工房「学舎」の濱田学先生に指導していただきました。先生には以前にも指導をしていただき、生徒のようすを理解していただいています。今回の実習では「バターシュガークッペ」と「ベーコンエピ」を作りました。行程は1 ミキシング、2 一次発酵、3 分解・丸め、4 ベンチタイム、5 成形、6 二次発酵、7 カット、8 焼成の8つです。先生の説明と実演を目に焼き付け、パンの制作開始! いざ作ってみると、成形や計量の難しさの難しいこと! 悪戦苦闘しながら何とかオーブンに生地を入れ、8分間焼くとふっくらとした美味しそうなパンが出来上がりました。実際に試食してみると、かなり美味い! 今回は大成功だったようです。生徒の中には卒業後調理学校に進学する者もいて、いい、美味しい経験となりました。

 

     実習を始めます         手をしっかり洗いましょう

 

    生地を切り分けます         8個のバターシュガークッペ

 

  ベーコンエピは4個つくります        焼きあがりました

 

  こちらはバターシュガークッペ、右はベーコンエピ、うまくできました

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